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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
本編
40/210

39.受難の日々 その1

 澄香の熱はその後丸二日間下がらなかった。

 月曜日の朝、近所の内科で診察を受け事無きを得たが、もっと早く治療してればこんなにひどくならなかったのにと、いつもは穏やかな初老の主治医を怒らせてしまい、いたたまれない気持ちになる。

 おまけに母親からは、自分の身体の管理も出来ないようでは当分一人暮らしは認められないと断言され、泣きっ面に蜂とはこのことかと、それはもう散々な目に遭っていた。


 週の半ばにはようやく会社に行けるまでに回復したが、復帰するなり同期のメンバーからは、カニがどれほどおいしかったか身振り手振りで聞かされて、澄香の受難の日々はまだまだ終わりそうにない。


 約束どおり、旅行の帰りに仁太とチサが澄香を見舞うため、土産のズワイガニがぎっしり詰まった大きな保冷ボックスを抱えて家にやって来た。

 まだ熱が下がらず寝ている澄香は二階に置き去りにされたまま、階下では無常にも宴会が催される運びとなる。


 十分にカニを堪能してきたはずの仁太とチサだが、澄香の母親の誘いを真に受けて、再びカニすき鍋を囲んで盛り上がったらしい。

 翌朝、ゴミ袋に透けて見える大量のカニの残骸を目撃した澄香にとって、それは屈辱以外の何ものでもなかった。

 母親特製の雑炊に、ほんの形ばかりのカニのカケラが揺らめいていたのが、澄香が口に出来た唯一の戦利品だった。


 熱が下がって十日以上経った今でも本調子ではなく、発作的に咳が出て、チサが心配そうに澄香の背中をさすっている姿が、幾度となく社内で目撃されている。


「ねえねえ、澄香。まだ例のメールのカレから、お誘いはないの? 」

「コホッ、コホッ……う、うん。コホッ。チサもういいよ、ありがとう……」


 せっかくの休憩時間に風邪をひいた自分の世話で明け暮れるチサに、澄香は申し訳ない気持ちになる。


「ほんと澄香ったら、あんなにひどくなるまで我慢してるんだから。あの時、あたしと吉山君が行かなかったら、どうなってたことか。いくら熱が下がったからって無理しちゃだめよ」

「うん。薬もちゃんと飲んでるし、もうじき治ると思う」


 今回の風邪は、咳がひどいのが特徴だ。

 咳止めを飲んでいても、何かの拍子に咳き込んでしまい、体力も減退ぎみだ。


「仕事も少しはこっちに回しなさい。あたしは悲しいくらい頑丈にできてるみたいだからさ。ね? 遠慮はいらないからね。はい、のどあめ」


 チサは制服のポケットから飴を出し、澄香の手のひらに載せた。


「チサ、ありがと。ああ、おかげで……ちょっとましに……なった。それにしても……チサにうつらなくて、よかった」


 澄香はキンカン味の飴を口に含みながら、もごもごと話す。


「はいはい、なんとかは風邪ひかないっていうからね。でもあいつはしっかり澄香と同じ症状なんだから。あんたたち、どこかでこっそりキスでもしたの? ……って疑われても仕方ないくらい、仲良く風邪引いちゃってさ」


 チサが意地悪そうにニヤッとしながら言った。

 チサの言うあいつとは、もちろん仁太のこと。

 澄香は仁太のハーバーランドでの表情を思い浮かべ、一瞬ドキッとしたが、やや顔を引き攣らせながらも、そんなことあるわけないよとしらばっくれてチサの肩をポンとたたく。


「ま、そういうことにしておきましょう。ねえーーー、澄香ちゃん」


 澄香の言うことなど全く信じていないのが丸わかりなチサの言い回しに、ついついムキになってしまう。


「もうっ、チサったら。ほんとに何もないんだから。変な想像はやめてよ」

「ふうーーん。言い訳に必死になるあたりが、あやしい……」

「あやしくなんかないって。だって、あたしには、その……。加賀屋君がいるもの。ね? 」


 断固キスはしていないと、無実であることを何とか証明しようとするが、話せば話すほど墓穴を掘ってしまう。

 宏彦とて、今の段階ではただのメル友でしかない以上、澄香の言い訳はチサには何一つ響かない。


「なるほど、澄香にはカガヤくんがいるもんね……。それはそうだけど。で、そのじれったいカレとは、この後どうするつもりなの? 今までどおり、メールだけでいいとか言うのはやめてよね! 」


 湯を注いだはるさめスープをかき混ぜながら、チサが言う。


「でも、どうしたらいいかわかんなくて。この前、彼からのメール、チサも見たでしょ? 話したいことがあるって、あれ」

「うん。見た見た。確かに、意味深だよね」

「何を話したいのかなーってずっと気になってたけど、向こうは何も言ってこないし、最近、もうどうでもよくなって……。彼ったら、そんなことももう忘れてるんじゃないかなって、そう思うようになった」


 重要な話しなら、どんなに仕事が忙しくても時間を作って伝えてくれるはずだ。

 メールの内容は今までとほとんど変わりなく、そこに緊迫感は少しも感じられない。

 宏彦がすでにそのことを忘れてしまったと考える方がすとんと腑に落ちる。


「そっか。あれからずい分経つもんね。ヒロヒコ君、まだ京都に帰ってないの? 」


 はるさめスープの湯気で曇ったダテ眼鏡を鼻の先端までずらし、上目遣いにチサのころっとした瞳が覗く。


「うん。札幌の仕事が長引いてるみたい。来週の初めくらいには帰ってこられるかもって言ってた……」

「そりゃあ、大変だ」


 チサが手にしていたカップをテーブルに置き、困ったように眉をひそめ、腕を組んだ。


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