36.チサの暴走 その2
宏彦からの返事は待てど暮らせど返ってこない。
今度こそ本当に怒らせてしまったのだろうか。
返信をあきらめた澄香はよろよろと立ち上がり、大丈夫だから元気出してと何の根拠もない気休めばかりを言い続けるチサの後について、ビンゴ景品を買いにセンター街に繰り出した。
チサを責めるつもりはないが、いくらなんでもあれはないだろうと、澄香は手の中の携帯を何度も覗き込む。
一緒に晩御飯を食べようというチサの誘いも断って、足取りも重く家に向かった。
途中受け取ったメールは母親からのもので、風邪をひいた父親の看病のため、しばらく三重に滞在するという内容にますます気が滅入る。
ビンゴ景品の入った大きな紙袋とコンビ二で買った夕食用の弁当を引っさげて、誰もいない家の鍵を開け中に入った。
部屋の中はすっかり冷えている。
いつもは母親がいるので、電気もついていない寒々とした部屋に帰ってくることは、まずない。
ファンヒーターをつけ、手洗いを済ませる。
ポットの湯を急須に注ぎ、弁当を電子レンジに入れて夕食の準備を整えた。
準備万端だ。
テーブルの上に湯気の立ち上るハンバーグ弁当とお茶を並べて、いただきますとひとり手を合わせた。
女性に人気という触れ込みの、彩のきれいな弁当だったにもかかわらず、澄香の箸は一向に進まない。
半分ほど食べたところで透明のフタをかぶせ、リビングのソファに移動する。
二日酔いのせいなのか、宏彦からのメールが返ってこないせいなのか。
あるいは両方のせいかもしれないが、少しムカムカする。
ソファに寝そべって、テレビのリモコンのスイッチを入れ、うんともすんとも言わない携帯を手にして、マキに夕べの同窓会のことを詫びるメールを送った。
ふと顔を上げてテレビ画面に目をやると、お笑い大物スターが司会を務めるクイズ番組が映し出されていた。
いくらおもしろおかしく番組が進行していても、澄香は握り締めた携帯ばかりが気になる。
休日は合コンに忙しいマキからの返事がないのは仕方ないとしても、鳴らない携帯を眺めているほど虚しいものはない。
それにしても寒い。
ファンヒーターの設定温度を上げようと身体を起こした時、突然澄香の手の中で着信音が鳴る。
それは自分にだけわかる、宏彦専用の着信音だった。
澄香はあわててソファの上で居住まいを正し、大きく三回深呼吸を繰り返してメールを読む。
返事遅くなってごめん。
今、仕事関係の人と別れたところ。
それにしても、夕方のメール。
めっちゃおもしろい。
あれ打ったの澄香じゃないよな?
もしかして、いつもキミのメールに
登場する、会社のチサさん?
図星だろ?
で、質問の答えだけど。
彼女に携帯を見られたらって?
それなら大丈夫。ロックかけてるからな。
もし見たとしても多分怒らない。
これだけは自信がある。
なので、いつでも、WELCOME。
何かあったら責任取れって?
あたりまえだろ。俺を誰だと思ってる?
そういうわけで、チサさんに
くれぐれもよろしく。
メール、待ってるよ。
澄香は、しばらくの間、放心状態だった。
チサのイタズラだと見抜かれていたことにも驚いたが、それよりも。
宏彦の彼女だというその人は、それくらいのことで怒らない人なのだ。
そこまで心の広い人って、いったいどんな人だというのか。
年上の女性? きっとそうだ。
彼の身の回りに起きる全てのことを黙って包み込んでくれる、大人の女性なのかも……しれない。
でも、もういい。そんなこと考えても、どうすることもできないのだから。
メールは続けると言ってくれている宏彦を信じて、今までどおりやっていくしかない。
加賀屋君。お仕事ご苦労さま。
それと。さっきのチサのこと、
本当にごめんね。
あの時、チサと一緒に三宮にいたんだ。
悪ノリが過ぎるって、よーく注意しておくね。
なんか、カノジョさんに申し訳ないけれど。
加賀屋君の言葉に甘えて、今までどおり
メールさせてもらうね。
じゃあね。また明日。
おやすみ
それだけ返信すると、澄香はそのままソファに寝転んで、テレビを見ながらウトウトし始める。
ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。