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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
本編
29/210

28.涙のハーバーランド その1

 それは、やはりというか、当然というか……。

 宏彦には彼女がいるという事実をこの会場にいる元クラスメイト全員に知らしめる結果となった。

 澄香は、隣に座る話題の中心人物に祭り上げられた男をちらりと見た。

 グラスには彼自身の手でトスカーナ州産の赤ワインがなみなみと注がれ、まるでビールでも飲むかのように、一気にそれをあおっている。

 カベルネ・ソーヴィニョンの色だろうか。

 濡れて光る宏彦の唇がより一層赤味を増し、澄香の胸をぎしぎしと締め付けていく。

 テーブルの上に飾られている真紅の薔薇と見まごうようなあの唇が、誰か他の女の名を語り、その誰かの魅惑的な唇を覆い尽くすのだ。

 澄香は胸に手を当て、落ち着け、落ち着くんだと自分に言い聞かせる。


 宏彦の彼女。


 それは大学時代の仲間なのだろうか。

 それとも会社の同僚? 

 想像するだけで、胸が詰まり、乾いた喉がひりひりと痛む。

 そんなに飲んだわけでもないのに、もう酔いが回ってきたかのようにフラフラになる。

 宏彦の口から彼女として澄香の名が語られることはないとわかっていても、それを心のどこかで望んでいた自分自身がいたことに気付き、澄香は愕然とする。

 メール以外何も求めてこない宏彦に、いったい何を期待していたのだろう。


 澄香の脳裏に浮かんだのは、会社の同僚である吉山仁太の顔だった。

 澄香を好きだと言う彼のように、宏彦を慕う職場の女性がいてもなんら不思議はない。

 きっと次の同窓会で彼は誇らしげに彼女を紹介するのだろう。

 澄香はそうとわかっていて、また宏彦と同じ席に顔を出せるほど人として大成してるわけではない。

 自分は今日を限りにもう二度と同窓会に出席することはないだろうと、直感的に悟った。


 隣で常に全体に気を配り、会の進行を案じているマキに悪いと思いながらも、ちょっとトイレに……と耳打ちして、立ち上がり席を立った。

 それに気付いた宏彦が、どうした? と澄香に訊ねるが、ひきつった笑みを浮かべることしか出来ない。

 迷うことなく手にはしっかりコートを持ち、誰の目から見ても、もう帰るのだとわかるいでたちでそっと会場を抜け出す。


 取りあえず化粧室に入り、メイク直す。

 目の前に映っているのはいつもの澄香だった。

 当然だ。グラス一杯のワインくらいでは、顔色ひとつ変わらない。

 携帯を取り出し、マキに身体の調子が悪くなったので先に帰るとメールで知らせることにした。

 会費の徴収はすべて終えていて、ボックスと集計を書き込んだノートと共に、すでにマキに渡してある。

 鬼クロへの祝いの色紙も、今ごろ各テーブルを回って、カラフルなペンの文字でどんどん埋め尽くされているだろう。

 今、自分がここからいなくなっても、もう誰にも迷惑はかけない。

 澄香の決心はわずかたりとも揺らぐことはなかった。


 マキへの送信が終わったと同時に着信ランプが点滅する。

 澄香が帰ると知ったマキがあわてて返信してきたのだろうか。

 ところが違った。宏彦からのメールだった。

 さっきのカノジョがいます発言の言い訳かもしれない。

 澄香は疑心暗鬼になりながらも、画面の文字を拾い読む。



 大丈夫? 気分でも悪いのか? 

 まさかもう戻って来ないとか。

 待っているよ。



 席を立ってからの第一報が、宏彦からだとは思ってもみなかった澄香は、あわてて化粧室内を見渡す。

 幸い誰もいない。

 なぜか、このメールは誰にも知られたくなかった。



 加賀屋君、心配かけてごめんね。

 ちょっと頭痛がするの。

 せっかく盛り上がっているのに

 わがまま言ってごめんなさい。

 明日も会社の友達と約束があるから

 今夜は先に失礼するね。じゃあ。



 宏彦に返信したあと、大急ぎで店を出る。

 そして万が一の事態を想定して何度も何度も後を振り返るが、幸い誰かが追って来る気配はなかった。


 神戸の夜は冷える。

 北野の街の背後にはすぐ近くに山が迫り、県内の地元球団の応援歌にもあるように、この時期、冷たい六甲おろしが吹き荒れるのだ。

 今夜も北よりの季節風がいつにも増して強く吹き、澄香の身体を凍えさせる。

 もう皆のところには戻れない。

 絶対に戻りたくない。


 コートの襟を立て、ファーが耳に当たるように密着させる。

 首をすくめながら、イルミネーションが灯る北野坂を南に向かって駆け下りた。


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