27.彼女を紹介するよ その2
澄香は耳を疑った。
頭の中で同棲の二文字が大きく揺れ動く。
澄香は意を決して、大西の方に顔を向けた。
そして気まずそうに顔を歪めた宏彦と目が合った。
「ほら見てみ。池坂だってびっくりしてるで。なあ、池坂、気になるやんなあ? かがちゃんの東京でのアバンチュールのあれこれ」
澄香と宏彦の関係を何も知らない大西は、澄香に同意を求めるように話しかけてくる。
にしてもアバンチュールって……。
「え? あ、あたしは別に。いったい何の話なの? 」
澄香は、振り向いてしまったことを後悔した。
これでは、知らなくてもいい宏彦の過去を自ら掘り返して、かき回しているようなものだ。
「大西、いい加減にしろよ。そんなもん、ありもしねえ噂に決まってるだろ? 」
宏彦が大西を睨みつけながら言う。
宏彦らしからぬとげとげしい物言いに、澄香は目を丸くする。
「いいか、池坂。君もよーく聞いておけ」
「は、はい」
これではまるで、叱られている小さな子どものようだと思いながら、澄香は宏彦の顔をちらっと見る。
「先輩とは、そんな関係じゃなかったさ」
「うそやん! またまたそんなこと、言っちゃって」
すかさず大西が突っ込みを入れる。
「まあ、最後まで話を聞いてくれ。先輩は、小学校から中学まで、親の仕事でアメリカ暮らしだったんだ。同じくイギリス帰りの俺に興味を持ってくれて、せっかく身につけた英語も使わなきゃ忘れちまうし、二人の時は英語で話そうと、話し合った。アメリカとイギリスじゃあ、微妙に単語も言い回しも違ったりして、あれはあれで、勉強になったと思う。とまあ、そういうわけだ。池坂。わかってくれた? 」
「う、うん……」
宏彦が突如澄香の方を向き、至近距離で顔を覗き込むようにしてそんなことを言うものだから、澄香はうんと言って小さく頷くのが精一杯だった。
「おい、大西。おまえの期待に応えられなくて、わるいな」
すぐに大西の方に向き直ってくれた宏彦に、ほっと胸を撫で下ろす。
あの状態があと少し続けば、卒倒してしまうところだった。
澄香はそんな宏彦の一生懸命な言い訳を聞きながら、徐々に緊張感が緩んでいくのがわかった。
メールをしている間も、一度だって、同棲の話になったことはなかったのだ。
宏彦の言っていることは正しいはずだ。
「なんや、おもろないなあ。片桐先輩、フライトアテンダントになって世界中飛び回ってるって聞いとったから、もしまだおまえと付き合いあるんやったら、彼女達の合コンにでも誘ってもらおかなと思とったのに……。それにしても残念やなあ……」
大西が腕を組み、心底残念そうに首を横に振る。
澄香は呆気にとられて、大西をまじまじと見た。
「おい、大西。今、おまえが言った事。そのままおまえの彼女に言ってやろうか? 」
「おおおっ! かがちゃん。それだけはご勘弁を……」
立場が逆転した宏彦が、大西を窮地に追い込んだと思いきや、突如態勢を立て直した大西がにやにやしながら宏彦に上半身を傾ける。
「で、かがちゃん。おまえ、話逸らしたらあかんで。肝心なことごまかしているやろ。カノジョ。カノジョはどないなんや。おるんかおらへんのか! はっきり言ってもらおうやないの」
それを聞いて、澄香は再び固まった。
知りたい。でも聞きたくない。
もし宏彦に、別の彼女がちゃんと存在するとここでわかったなら……。
どうなのかな。こんな素敵な彼だもの。彼女がいても不思議はない。
でも、いないと言って欲しい。
それが、澄香の唯一の願いだ。
心臓がバクバクと暴れまくり、ますます早鐘を打つ。
宏彦がちっと舌打ちをして、椅子にもたれるように座りなおした。
いよいよその時が来たのだろうか。
澄香は膝の上においた手に力を込め、彼の言葉を待った。
「なあ、大西。ここで、それを言わせるか? おまえなあ、空気をヨメよ。せっかくの同窓会。俺のプライベートなど聞いて、何が楽しい? 」
「おお……。かがちゃんともあろう男が、なんや、うろたえてますけど? じゃあ空気をヨマセテもらいますが。それはイエスですね? カノジョがいるってことですか? 」
「はあ? なんでイエスなんだ! 」
あくまでも引き下がらない大西に業を煮やしたのか、宏彦はぬっと身体を起こして詰め寄る。
「ほらほら。おまえは嘘はつけへんからな。その動揺した目。全てを物語っていますね。で、どんなカノジョなん? 会社の子? はたまた東京ギャル? 」
「ったく。どうしようもねーな。おまえには負けたよ」
「はいはい、それで? カノジョは? 」
手ごたえをつかんだのだろう。
大西が得意満面な顔で宏彦に迫る。
「彼女か……。いるような、いないような……」
宏彦は、隣の澄香に時折り視線を運びながらも、腕を組んで眉間に皺を寄せる。
澄香は祈るような気持ちでその答えを待った。
出来ることなら、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。
もし宏彦がイエス、即ち彼女がいると言ったなら、すべてが終わってしまうのだから……。
「よしわかった。今度の同窓会の時、大西、おまえに俺の彼女を紹介するよ。それでいいだろ! 」
宏彦はグラスを手にすると、スパークリングワインを一気に飲み干した。
そしてそのグラスをテーブルにコトンと置いた時、様子を伺っていた周りのみんなが、おおーーっと声を上げた。
「よっしゃー! おい、みんな聞いたか? 今度の同窓会、みんなも忘れんなよ。……で。もしカノジョ紹介してくれなかったら、今度の同窓会は全部かがちゃんのおごりってことでよろしく! 」
大西が声も高らかに宣言する。
とんでもないことになった。
澄香は、わけもなくからだが小刻みに震える。
宏彦の言った言葉をもう一度ゆっくりと思い出し、今の状況を冷静に振り返ってみた。
宏彦には、つまり……。
いるのだ。
彼女が。