22.卒業の日 その6
「……それもまだわからない。いつかはあきらめなきゃならないのに」
「不毛だな……。僕なら、君を幸せにする自信がある。それでも僕には勝ち目はない? 」
「不毛だと思う。でも、気持ちはそんなに簡単に変えられないもの。だから今の状態のままで木戸君とは付き合えないし、それは、木戸君にも失礼だと思う。勝ち負けなんかじゃないの。他の誰かが付き合おうって言ってくれたとしても、このままじゃ、あたし、誰とも付き合えない。って、そんなことあるわけないけどね。ふふふ」
澄香は自嘲気味に笑う。
自分なんかを好きになる物好きが他にいるとも思えないけれど、こんな例えしか思い浮かばない自分がなおさら滑稽に思える。
本当に今は誰とも付き合いたくないのだ。
「……わかった。ごめんな。なんか俺、あきらめが悪いよな。そろそろ帰ろうか……」
今までの強張った表情がいっきに緩み、さも申し訳なさそうに木戸の目が澄香に語りかける。
コーヒーショップを出て、駅に向って歩く。
後味の悪さは拭いきれないが、傷ついているのはむしろ木戸の方なのだと思うと、複雑な心境だ。
澄香はトータルで二度も木戸に別れの言葉を浴びせかけてしまったことになる。
誰でもこんな風にばっさりと断られたなら、すぐには立ち直れないくらいのダメージを受けるに違いない。
でも同情は禁物だ。はっきりと断ってよかったのだと自分自身に何度も言い聞かせる。
「もう九時過ぎてるな……。なあ、池坂。俺の最後の望みを叶えてもらってもいいかな……」
「な、何? 」
このタイミングでそれはないだろう。
これまでの流れで少々感傷的になっていた澄香であれば、付き合うこと以外ならどんな無理難題も受けてしまいそうな立場なのだから。
「池坂。家まで送らせて欲しい。それ以上は何も言わない。君を困らせることもしない。いいかな? 」
「え? いや、それは……。わ、わかった。じゃあ、送ってくれる? 」
澄香は否定しようと口を開きかけたが。
木戸があまりにも寂しそうな眼差しで見つめてくるものだから、ついつい気を許してしまったのだ。
「サンキュー……」
木戸のかすれたような声が澄香の耳に届く。
その後すぐ、反対側を向いた木戸が少し鼻をすすったように見えたのは、気のせいなんかではないはずだ。
もし木戸が泣いているのだとしたら……。
澄香はそれ以上深くは考えたくなかった。
とにかく早く家に帰り着きたいとそればかり心の中で繰り返す。
電車の中では何もしゃべらなかった。
二人とも思い思いの方向を向き、視線を合わすこともない。
馴染みの駅で降り、切符を自動改札にくぐらせる。
澄香のすぐ後ろを木戸が同じように切符をくぐらせた。
改札を出たところで、木戸の様子を見ようと振り返ったとたん、澄香はバランスを崩し、転びそうになった。
履き慣れないブーツのヒール部分が地面にまっすぐに着地せず、ぐにゃっとくねったようになったのだ。
その瞬間、すぐ後にいた木戸が抱きかかえるようにして、澄香がよろめくのを支える。
間に合った。なんとか転ばずに立っている。
体勢を整え、あわてて木戸から離れた澄香は、その時木戸の手が澄香の手をしっかり握っていることに気付いた。
「木戸君、離して……」
その手を引っ込めようとしても、木戸は更に強く握り返してくる。
澄香は木戸が怖いと思った。
知らない男性に無理やり引き寄せられているような恐怖を覚える。
澄香の怯えた様子に気付いた木戸は、咄嗟に手の力を緩め、悲しげに彼女を見つめた。
「ごめん。怖がらせるつもりはなかったんだ」
そして再びそっと澄香の手を包み込むように握りなおす。
次第に澄香の目に安堵の色が戻ってくる。
助けてもらったのは澄香の方。
逆に、人として当たり前の行動に出た木戸に怯え、彼を疑った自分が恥ずかしくなる。
木戸は何も悪くない。
澄香は繋がれた手をじっと見つめ、ふりほどくのをやめた。
その時、シャッターの下りた売店の横にあるジュースの自動販売機の傍らで人影が動くのが見えた。
こちらを見ていたようなその人影を確認するように、もう一度その方向に視線を向ける。
が、しかし。
そこには誰もいない。
目を凝らして見ても、何も見えなかった。
でも確かに誰かがいたような気がするのだ。
いや、絶対にいた。
その人はこっちを見ていたはずだ。
澄香は、何度も何度もそこを振り返ってみたが、ジュースの見本が灯りに照らされて、整然と並んでいるのが目に映るだけだった。
「さあ、行こう」
なかなか進まない歩みに痺れを切らせた木戸にやや強引に手を引かれ、澄香は釈然としない面持ちのまま、バス停に向かった。
高校時代の回想場面はここまでになります。
次話より現在に戻ります。