20.卒業の日 その4
けれど、彼との距離が縮めば縮むほど、さっきまでの勢いはしぼんでいく。
どんな顔をして彼の横に並べばいいのだろう。
本当に彼は、澄香と一緒に帰ってくれるのだろうか。
思いを告げた後、彼は今までどおりの笑顔を見せてくれるのだろうか……。
さまざまな不安が澄香の脳内を瞬時に駆け巡る。
ああ、だめだ。彼に受け止めてもらう自信がない。
そんな澄香を見てクラスメイトが、大丈夫? と親切に俯き加減の澄香を覗き込む。
すると、前方の男子グループの方から携帯の着信音が鳴り響いた。
「もしもし……。ああ。う、うん。今終わった。あと五分ほどで、三宮駅。わかった、言っとくよ……」
立ち止まり携帯を耳に当てているのは宏彦だった。
そして次の瞬間、澄香と目が合う。
「池坂。ちょっといい? 」
思いがけない彼からのアクションに、戸惑いを隠せない。
澄香は何だろうと首を傾げるが、咄嗟にマキは彼女の腕を離すと、宏彦にこの子差し上げますと言わんばかりにグイッと押しやる。
「手間が省けてよかった。かがちゃん、この子、煮るなり焼くなりよろしく! ってことで。じゃあね! 」
そう言って、何やらヒューヒュー言ってる他のクラスメイトを引き連れて、澄香と宏彦を置き去りにしたままマキは足早にその場から消え去ってしまったのだ。
澄香は突然の事態に状況が呑み込めず、その場に立ちすくむことしか出来ない。
「あっ、ごめん。池坂、その……。ちょっとついてきて」
少し歩幅を狭めてゆっくり歩き出す宏彦の後ろを、澄香がとぼとぼとついて行く。
いったい、どうすればいいのか。
このまま彼の後を追うように歩き続けて、その先には何があるというのだろう。
駅の前まで来たところで立ち止まり、振り向いた宏彦の顔が、さっきとはうって変わって、暗く沈みこんでいるように見えた。
澄香の脳裏に不安がよぎる。
しばらく目を合わせた後、宏彦がゆっくりと口を開いた。
「もうすぐここに木戸が来る……。あいつ、君に会って、話がしたいって」
「え……? 」
「池坂、頼むから、そんな顔するなよ」
澄香は宏彦の言ってることがさっぱり理解できなかった。
どうしてここで木戸なのだろう。
彼と会う理由は何もないはずだ。
泣きそうな顔になりながら、理不尽な思いを彼にぶつける。
「そ、そんな。加賀屋君も知ってるでしょ? あたし、木戸君とはその……」
「別れたって言うんだろ? そうみたいだな。でもケンカしたわけじゃないんだろ? 顔も見たくないほど嫌いになったってわけでも……。あいつ、九州の大学に行くから、最後に池坂に会いたいんじゃないのか? 会ってやれよ。……嫌? 」
とても宏彦が本心で言っているとは思えなかった。
いや思いたくなかった。
別れた?
別れるも何も、そもそも澄香は木戸と付き合っていたとは思っていない。
木戸は二人の関係をそんな風に宏彦に言っていたのだろうか。
澄香の心は大きく乱れ始める。
「ねえ、加賀屋君。何か誤解してるよ。あたしたち……。あたしと木戸君は……」
澄香が震える声で、やっとの思いで宏彦にそう言いかけた時、黒のダウンジャケットを着た木戸が、笑顔を浮かべながら走って宏彦に近付いてきた。
「待たせたか? ごめん。会計でもたついて……」
「いや、俺たちも今着いたところさ。……じゃあ、俺、もう行くわ。あ……」
宏彦が一瞬何か言いたげに澄香を見たが、すぐに踵を返して一人で改札を通り抜けようとする。
「ま、待って! 加賀屋君! 」
すがるような澄香の声に宏彦が即座に振り返る。
「何? どうした? 」
「い、いや……別に。何も。引き止めてごめんなさい。あ、あの……」
澄香のただならぬ様子に、宏彦は苦笑いを浮かべながらまた二人の方に戻って来る。
「あの……。この後、あたしどうすれば……」
そんな二人のやりとりを黙って見ている木戸をよそに、澄香は宏彦にすがるような視線を送る。
「あははは。そうだよな。俺に呼び止められて、おまけにいきなり木戸と二人きりにされて……。おい、木戸。おまえちゃんと責任取れよ。池坂は俺の大事な幼馴染だからな。泣かしたりしたら承知しないぞ」
そう言って宏彦は澄香の頭をぐしゃっとかき回し、いたずらっぽく笑う。
澄香は突然の彼の行動にまたもや目を丸くする。
学校ではふいに肩を抱かれ、今また頭をかき混ぜられ……。
手も繋いだことのない相手なのに、宏彦のぬくもりを知ってしまった澄香は、木戸の前であるにもかかわらず全身がとろけるようなあまやかな感覚に包まれる。
「池坂、何かあったらすぐに連絡しろよな。……木戸は君が思ってるより、ずっといい奴だから。それじゃあ! 」
それだけ言うと、今度は振り返ることなく改札をくぐり抜けて行く。
澄香をひとり、そこに残したまま……。
ああ、加賀屋君、行かないで。
最後に話したかったことがあるの。
私が好きな人は。
加賀屋君、あなたなのだから。
けれど、澄香の本当の気持ちが彼に届くはずもなく。
澄香は宏彦の後姿が見えなくなるまで、じっと彼の背中を目で追い続けていた。