クリスマスイブ 澄香視点 その3
夫の電話の相手は大西だった。彼は夫の高校時代の野球部仲間であると同時に、澄香にとってもなつかしい同級生だ。
電話の途中、夫が何やら不快そうな顔をして、携帯を耳から離した。
そしてこっちに来いと手招きをする。
澄香はさっきの自分の電話の時の同じように彼のそばに行き、一つの携帯に二人で耳を寄せ合った。
「悪いけど、俺はまだそのテレビ、見てないんや。だからまた後で電話する」
そうか。すでに番組を見た大西が、インタビューの詳細を夫にあれこれ訊いているのだろう。
だが残念なことに、登場人物である本人二人は、まだその番組にたどり着いていない。
当然のごとく夫は、まだ見ていないと大西に告げた。
そういえば最近の夫は、以前より関西訛りが強くなったと感じる。
イントネーションまでもがすっかり関西風にステップアップしていて、信雅のようにこてこての関西弁使いになる日も近いのではないかと思えるほど、目覚しい進化を遂げつつある。
澄香は関東出身の両親に育てられた結果、標準語に近いイントネーションで話すことが多かったが、学校や会社では仲間につられて関西訛りになってしまうこともある。
ところが不思議な物で、同じ環境で育ったはずの弟の信雅は、小学校を卒業する頃には完璧な神戸訛りを操るまでになっていたのだ。
人懐っこく、社交的な信雅であればこその結果なのだろう。
そんな弟の親にも伝わらない言い回しを通訳するのは、もっぱら姉である澄香の役割でもあった。
ありがたいことに、澄香が皆と違った話し方をしても、仲間はずれにされることもなくごく普通に受け入れられてきた。
国際色豊かな神戸ならではの土地柄が、言葉の壁を緩やかなものにしていたのかもしれない。
今後ますます夫の関西弁化が進むと、いずれ自分もそうなるのではと、賑やかで楽しげな未来を想像して、ついついにやけてしまいそうになる。
澄香があれこれ考えを巡らせている間にも、夫と大西の会話は続いている。
『そうなん。そりゃそうやな、まだ家に帰ったばっかりなんやろ? 忙しい時に電話して悪かったなあ、ごめんな……だからゆーたやん。あいつ、仕事遅いからまだ電話しても迷惑やって。おまえが、早く電話してって、ゆーから……』
大西が携帯を遠ざけて、こそこそと誰かと話しているようだ。けれど彼の声は標準よりかなり大きいので、すべてがまる聞こえになっている。
『あ、ごめんごめん。外野がうるさくて、ホンマ、やっかいやわ』
「近くに誰かおるんか? 」
夫は遠慮がちにそう訊ねた。
多分夫は、大西のそばにいる相手が誰であるかはすでに知っている。
その言動が妻を傷付けないための配慮であると、澄香にはわかっていた。
その相手と宏彦を取り合うような結末になったことも、今では過去の思い出だ。
『あははは。誰かおるんかって、そりゃ決まってるやん。先輩や』
「そうか。じゃあ、また後で」
夫は今がチャンスとばかりに電話を終了させようとしたのだが。
『ちょーちょーちょーー! 待ってーな。もうちょっとだけ話があるねん。だから電話切らんとって』
「…………」
大西の引き止める大声に負けた夫は、あきれたようにため息をついて、再び携帯を耳にあてた。
ああ、いったいいつになったら電話が終わるのだろう。
澄香もふうーっと小さくため息をつき、またもや夫の携帯を持つ手に、自分の片方の耳をくっつけ耳を澄ませた。
『いやな、それが……。かがちゃんと池坂のせいで、こっちはえらいことになってるねん』
「え? どういうことなん。意味がわからん」
夫は理不尽な大西のぼやきに不機嫌そうに眉をしかめ、澄香と顔を見合わせた。
大西の話しによると、彼の恋人でもある片桐先輩とクリスマスイブを過ごすため今日はわざわざ有給休暇を取り、先輩の実家に遊びに行っていたらしい。
実家に遊びに行った? ということは、二人の関係は本物だったということになる。
大西が先輩のことを慕っていたのは野球部員は周知の事実だったらしいが、まさか先輩までもが大西に本気になるなど、誰も予想だにしていなかったようだ。
男女の恋というものは不思議なものだ。
ひょんなことから恋が芽生え、お互いに惹かれあっていつしか愛を育てていく。
澄香もあの時、廊下で宏彦とぶつからなければ、彼との結婚はもちろんのこと、付き合うことすらなかったのだろうと思っている。
ほんの少しの人生の重なりが化学反応を起こし、二人の新たな未来をつむいでいくのだ。
大西は先輩の家族と一緒にテレビを見ていて、インタビューを知ることになったと言う。
それを見た先輩が、自分もインタビューしてもらうんだと騒いでいるらしい。
『……おまけにクリスマスプレゼントやゆーて、たっかい(高い)コート買わされて。ほんで今、北野に来てるねん。あんたらがインタビューされた場所、具体的に、どのへんなん? 教えて! 』
夫は、大西たちのあまりにも馬鹿馬鹿しい質問に、答える気力すら失ってしまったのだろう。
「おい、大西! そんな毎晩毎晩、同じ放送局が同じ場所でインタビューなんかしてるわけないやろ! 」
と一喝して、そそくさと電話を切った。
そして二人で顔を見合わせて、プッと吹き出した、のだが……。
次の瞬間、新たな現実が、澄香の脳裏をよぎる。
先輩の実家、つまり片桐家がこの事実を知っているということは、彼らが懇意にしている夫の実家にもその知らせが届く可能性が高い。
澄香は夫と共に身震いする。
「俺の実家から連絡が入るのも時間の問題だ。まだ当分、ビデオはお預けだな……」
夫がそうつぶやいたあと、澄香は彼に、そっと抱きしめられた。




