19.卒業の日 その3
クラス四十名中三十五人もの高出席率で始まった卒業パーティーは、簡単なオードブルとソフトドリンクの乾杯で幕が開けた。
なんと座席中央には、あの鬼教師、黒川の姿まであった。
「おまえたち、頼むからアルコールは飲まんでくれよ。俺の首がとぶからな! 」
いつもの迫力はどこへやら。
鬼クロはめいっぱい額に皺を寄せて苦悩の表情を浮かべている。
「先生、大丈夫ですよー。俺たちもせっかくの未来をぶち壊したくないですから」
「店も未成年には酒出さへんから、心配せんときー」
高校を卒業したとはいえ、未成年の集まりだ。
飲酒問題はいつの時代も教師を悩ませるのだろう。
「はあ……。こんなところまで来るつもりはなかったんだが。まさかこの俺をこんな華々しい席に誘ってくれるとはな。ほんとに俺なんかがここにいてもいいのか? 」
鬼クロは困ったような、それでいて嬉しそうな顔をして、そんなことを言う。
するとすかさず一人の男子がごそごそと意味不明な動きを見せ、皆の視線が一斉に彼に注がれた。
「センセーのおかげっすよ、俺が卒業できるのも。なので、センセーはここにいてオッケーってことで。サンキューっす! 」
クラス内でも一番担任を手こずらせたワルの一人が突然立ち上がり、改まってぴょこんと頭を下げたりするものだから、鬼クロの目から予想外の大粒の涙が零れ落ちる。
まさしく鬼の目にも涙だ。
マイクを離さない者。
鬼クロの泣きのツボを押さえて、ますます調子に乗って泣かせる者。
自分たちのおしゃべりに夢中な女子のグループに、カラオケの大音量が苦手なのか耳を塞いで顔をしかめている者までバラエティー豊かなメンツがそろう。
どの顔も澄香にとってはかけがえのない大切なクラスメイトだ。
卒業式の間中泣いていたにもかかわらず、再び熱いものがこみ上げてきて鼻の奥がツンとする。
いったい澄香の身体の中のどこに、そんなに大量の涙を製造できるマシンがあるのかと首をひねりたくなるくらい留まるところを知らない。
明日からはもうこのメンバーと会えないのだ。
そのように考えれば考えるほど寂しくて、胸が痛む。
すると、澄香と同じようにクラスメイトとの別れを名残惜しむ声があちこちであがる。
「なあなあ、これからも定期的にみんなで会おうぜ。そや! クラス同窓会の幹事を決めたらええんちゃうか? 」
「ええやん! それ、賛成! 男は……かがちゃん? 」
「んじゃあ、女子はマキやな! 」
「それいい! かがちゃんとマキで決まりぃー! 」
前々から団結力のあるクラスだとは思っていたが、まさかここまですごいとは……。
誰にも文句を言わせないほどのベストセレクションで、あっという間に幹事が決まってしまった。
もちろん選ばれた二人にするしないの選択権など一切無く、鼻をすすり続ける鬼クロの、おまえたち、頼んだぞ! の一言で、議題は即可決されるのだ。
その直後から、お互いに連絡を取り合うためのアドレス交換が大騒動の中佳境を迎える。
マキが幹事であれば、今更アドレスの交換という間柄でもない。
澄香は遠巻きにみんなの騒ぎを眺めることに専念する。
目の前のオードブルに添えられているプチトマトに手を伸ばしポンと口に放り込むが、思ったより酸っぱい。
思わず口をすぼめて、オレンジジュースに手を伸ばす。
その時だった。
すっとテーブルの上の澄香の携帯に、誰かの手が伸びたのは。
「俺のアドレス登録しとくから……。何かあったら連絡してきて」
瞬く間にアドレスを入力した宏彦が、携帯を澄香の手に載せると再び騒ぎの輪の中に消えていく。
澄香は何度も目をこすった。
今見たのは幻? それとも夢?
携帯を確認すると、そこには初めて見る澄香が一番欲しかったものが、英数字となって表示されていた。
聞きたくても聞けなかった宏彦のメールアドレス。
ヨークシャーという地名と数字が組み合わさったそのアドレスは、無駄がなくシンプルで、それでいてひねりが効いているおしゃれな文字列だった。
でも浮かれるのもここまで。
あくまでも宏彦はクラス同窓会の幹事なのだ。
今ここにいるほぼ全員が彼のアドレスを登録したにちがいない。
澄香だけが特別知ったわけではないのだ。
そう思ったとたん、彼女の身体から熱いものが急激になりを潜める。
多分これから先、一度も送信されることのない彼のアドレスに、虚しさすら覚える。
予約していた二時間が目前に迫り、カラオケルームの店員が時間切れを告げに来たのは、それから間もなくしてからだった。
二次会に行く人! と高らかに声が上がるが、国公立の二次試験や後期試験を控えている人も多く、それどころではないのか、半分にも満たない人数の手しか上がらない。
これから先、またどこかにみんなで繰り出していくのだろうか。
マキにしっかり腕をとられた澄香は、もちろん帰宅組だ。
「あたしの言うとおりにすればいいからね」
マキは明らかに何かを企んでいる目をしながら、澄香の耳元でささやいた。
そうだった。さっきマキに背中を押されたあのこと。
告白タイムが迫っているのだ。
本当に言えるのだろうか……。
澄香の胸は不安でいっぱいになる。
告白するぞと決心したさっきの勢いは、もうすでに姿も形もない。
マキに引き摺られるようにして駅に向う澄香の顔色は、きっとありえないくらいに青ざめているのだろう。
ああ、このまま走って帰りたい。
けれど、マキの手はがっしりと澄香の腕を捉えて離さない。
とうとう澄香は逃げ帰ることをあきらめ、マキと共に最後の決戦に挑むべく目標を彼だけに定め、ひたすら真っ直ぐに歩き始めた。
お読みいただきありがとうございます。
かくれんぼの舞台は、まだガラケーが主流の時代になっています。
ロックを掛けている人は少数派で、誰にでも中を見られてしまうという危険性もはらんでいました。