クリスマスイブ その夜に……
「澄香、やっと眠れるな」
広くて大きなベッドに横たわった宏彦は、隣にいる妻を抱き寄せ腕枕をしながらそう言った。
「うん。やっとだね。ホント、今夜は大変だった」
「大忙しだったな」
「そうだね。でもさ、怪我の功名って言うのかな、助かったこともあったし。だって、私ったら、料理を作りすぎちゃったでしょ? 信雅が全部食べてくれて、ホントによかった。でなきゃ、この先ずっと同じメニューが続くところだったし」
「あははは、そうだな。あいつの食べっぷりは半端なくすごかったな。あれは、ビデオより、完全に食い気だった。なにはともあれ、信雅がもう神戸に帰って来てたってことに俺はびっくりしたよ」
「母さんも驚いていたよね。何の前触れもなく突然帰って来たのよって。だって去年なんて、何度言っても元旦にも帰ってこなかったんだよ。今年はどういった風の吹き回しなんだろうね。それに、宏彦のことを兄さん兄さんって頼って、ずっとあなたから離れないし。あの子、あなたがお兄さんになったのが嬉しくて仕方ないみたいなんだよね。宏彦の弟になったってことが、誇らしいみたい」
薄明かりの中、妻の瞳がキラキラと輝く。
「あいつは素直だし、いいやつだよ。俺だって、信雅という弟ができて嬉しいよ。兄弟なんて、子どもの頃から何度願っても絶対に得られないものだったから、とっくにあきらめていた。まさかこんな日が来るなんて、想像すらしてなかったよ。澄香と出会って家族が増えて、兄貴になれたんだ。澄香に感謝しないとな」
「そう言ってもらえると、ありがたいな。あんな子でも私の弟だから、やっぱりいろいろ心配なんだ」
「だが、なんと言ってもあいつの心境の変化のミナモトは、彼女の存在だろうな」
「ふふっ、早菜ちゃん効果だね」
「ああ。男なんて本当は弱い生き物さ。そんな自分を慕い、本気でぶつかってくる女性が現れると、俄然はりきる。彼女の存在がパワーになって、強く生きることが出来るんだ」
「へえ、そうなんだ。私もあなたの力になることができてる? 」
「もちろん。もう充分なくらいに、パワーをいただいているよ。澄香というエネルギーがなくなったら、俺は一ミリたりとも動けなくなってしまうのさ」
「そうなの? なんか嬉しいな。こんな私でも、あなたの力になれてるんだ。うふっ」
妻が胸元に顔を埋めてきた。
宏彦は彼女の背中をさすりながら話を続ける。
「ああ、残念なことをしたな。俺ももっと澄香の料理、食べたかったよ。こんなことにならなきゃ、信雅に全部食われてしまうこともなかったのに」
この騒動が起きる前にテーブルにセットされていた数々の料理を思い浮かべ、宏彦は未練たっぷりに口をへの字に曲げた。
妻が胸元から顔を上げ、うふふ、そうだよね、と笑顔を見せながら頷いた。
「材料は冷蔵庫にいっぱいあるし、また明日、いろいろ作るからね。だから、今夜の料理のことはもうあきらめて。でもね、いろいろ大変だったけど、結果的にはインタビュー受けてよかったなって思ってる。こんなにも大勢の人たちから電話やメールをもらって、なんだかみんなとっても喜んでくれたし、家族や友人たちとの絆がよりいっそう強まったって感じがしたもの」
「そうとも言えるけど。でも俺はやっぱり、誰にも知られたくなかったな。二人だけの秘密にしておきたかった。まさかここまで知れ渡るとは、完全に誤算だったよ」
もちろん、公共の電波に乗せられた物が誰の目にも留まらないなんてことはないだろうけど、もう少し時間が経ってほとぼりが冷めてから放送内容の噂が耳に入るのではと、最小限の被害しか予想していなかった自分にあきれる。
「なかでも一番影響力が高かったのは、大西君たちだよね。まさか片桐先輩のご両親から宏彦のお母さんに伝わるなんて……」
「あれは参ったよ。俺のお袋から池坂家に伝わって、挙句、あの騒ぎだもんな。五人が西宮までいきなり夜襲をかけてきたんだから」
「今から行くよって電話があった後、早かったよね。瞬間移動でもしたの? ってくらい、瞬く間に五人が勢ぞろいしちゃって」
「家族レンジャー、ただ今参上、ってなものだな。番組の録画してるなら、是非一緒にビデオが見たいって、うちのお袋なんか電話で半分泣き落としだったしな。親父もテンションマックスで、別人みたいだった。あああ、あんなんじゃ、ビデオも見た気がしない。わーわーと外野がうるさくて。それに信雅の奴、またあちこちで大げさに触れ回るだろうし、まだまだこの騒動は終わりそうにないよ」
「そうね。一応、あの子には口止めしておいたけど、そんなの守るわけないし。歴代の野球部員に伝わるのは時間の問題かもね。まあ、いいか。ねえ宏彦、また明日、二人でゆっくりとビデオを見ようよ。ね、そうしよう! 」
「そうだな。あ、でも、明日は仕事で遅くなると思う。今日早めに切り上げてきた分、明日処理しなきゃならない書類の決済もあるし。澄香は、先に寝ててもいいからな」
「うん。わかった。って、やっぱダメだよ! だって、ほら。明日は二十五日。クリスマスの晩だよ。宏彦、何か忘れてない? 」
寝具から飛び出しそうな勢いで、妻が激しくダメ出しをする。
「あ! そうか。そうだったな。プレゼント交換だ」
「そう。だから、どんなに遅くなっても待ってるから。もし眠ってしまっていたら、起してね。鼻をつまんでも、首をこちょこちょとこそばしてくれてもいいから。絶対だよ」
「わかった。じゃあ、明日に備えて、そろそろ寝るとするか」
「うん。宏彦、お休み」
「澄香、お休み」
宏彦は妻の額にそっとキスをして、髪を撫でた。
そして、五秒、十秒、二十秒。妻の得意技が、今夜も炸裂する。
すやすやと寝息をたて、宏彦の腕の中で、あっと言う間に眠ってしまったのだ。
仕事をして、家事をして、そしてクリスマスのためにあれこれ準備を整えて。
宏彦の十倍、いや百倍は身体が疲れているのかもしれないのだ。
妻の入眠スピードは日に日に速くなっているような気がする。
なのに、愚痴をこぼすこともなく、毎日楽しそうに過ごしている妻を身近で感じるのが、宏彦の一番の癒しでもあるのだ。
彼女のために自分はどうすればいいのか。
彼女の笑顔を守るために、どのような夫でいればいいのか。
すべてが手探りの状態で、何一つ妻を喜ばせていないのではないかと不安に陥ることさえある。
書斎にこっそりと隠しているプレゼントを、明日の夜、妻は喜んでくれるだろうか。
妻の寝顔を見ながら、いつもありがとうとつぶやき、宏彦もまたゆっくりと目を閉じた。