クリスマスイブ その4
「もしもし」
宏彦はさっきの妻と同じように、カウンター近くで立ったまま電話を受けた。
長電話を避けるには、この体勢が都合がいい。
『よおーー! かがちゃん、元気にしてるか? 』
「ああ、おかげさまで。大西は? 」
『ぼちぼちや。で、どないなん? もう仕事終わった? 』
「うん、家にいる」
『そうか。ほんならよかったわ。かがちゃん、ほんまおまえ、たのむでーー。なんでテレビなんか出るん』
「あ……。大西も見たんか? 」
京都勤務以降、ふと関西弁が出ることがある。
宏彦の場合、関東出身の母親の影響で日常的に標準語を話していたせいか、加賀屋のしゃべり方、なんか変やな、と仲間にからかわれることも多かった。
「変やな」と言われると、余計に意地になって標準語で通そうとしていたのも事実だ。
途中イギリスに渡ったり、高校時代は木戸が関西弁を話さなかったこともあり、従来のスタンスで過ごすことができたのだが、関西で仕事をして三年経った今、いつの間にかネイティブな関西弁を話している自分に気付き、その変わりように驚くこともある。
バイリンガルな宏彦が睡眠中に見る夢は、英語と関西弁と標準語がごく自然に飛び交う、世にも不思議な物語だったりする。
『俺もって、あたりまえやん。関西人は結構あの番組見てるで』
「そうか……」
『いやいや、よーけの人が見とうって!(大勢の人が見てるって)』
それでなくても地声の大きい大西が、必要以上に力を入れて話すものだから、宏彦は思わず携帯を耳から少し離した。
妻がきょとんとした顔をしてこっちを見ている。
説明するより一緒に聞いたほうが早い。
宏彦は、さっき彼女がしたように、こちらにおいでと手で合図を送り妻を呼び寄せた。
「悪いけど、俺はまだそのテレビ、見てないんや。だからまた後で電話する」
『そうなん。そりゃそうやな、まだ家に帰ったばっかりなんやろ? 忙しい時に電話して悪かったなあ、ごめんな……だからゆーたやん。あいつ、仕事遅いからまだ電話しても迷惑やって。おまえが、早く電話してって、ゆーから……』
大西が携帯を遠ざけて、誰かと話している様子が伺える。もしかして、その相手は……?
それよりも不可解なのは、勤務時間中であるはずの大西が、どうしてあの番組を見ていたのかという点だ。
まさか録画していて、毎晩見ているとか。
あいつのことだ。やりかねない。
『あ、ごめんごめん。外野がうるさくて、ホンマ、やっかいやわ』
「近くに誰かおるんか? 」
宏彦は瞬時にそれが誰であるのか悟ったが、妻の手前、大西の答えを待ってみた。
『あははは。誰かおるんかって、そりゃ決まってるやん。先輩や』
「そうか。じゃあ、また後で」
どうぞ二人でごゆっくりとじゃれ合って下さいとばかりに、宏彦はそのままフェイドアウトする気満々で携帯を閉じようとしたのだが。
『ちょーちょーちょーー! 待ってーな。もうちょっとだけ話があるねん。だから電話切らんとって』
「…………」
大西の引き止める声に負けた宏彦は、あきれながらも再び携帯を耳にあてた。
妻も苦笑いを浮かべながら再び頬を寄せてくる。
『いやな、それが……。かがちゃんと池坂のせいで、こっちはえらいことになってるねん』
「え? どういうことや。意味がわからん」
宏彦は理不尽な大西のぼやきに、不機嫌そうに眉をしかめ、妻と顔を見合わせた。
妻も首を傾げるばかりだ。
『今日って、その、世間ではクリスマスイブやんか』
大西が少し照れくさそうにそう言った。
「ああ」
『そやから、先輩の希望で、俺今日、有給取ってん』
「ふーん、それで」
だんだん、どうでもよくなってくる。
早くビデオが見たいのに、そんな話など今は聞きたくないというのが本心だった。
特に先輩がらみの話しなど、横で耳を傾けている妻に聞かせたくない。
『でな、先輩の実家にお邪魔してる時に、それが起こったんや。かがちゃんのインタビューの放送が! 』
「そうか。それで、普段見るはずのないおまえが、あの番組を見たんやな」
『そういうこと。で、向こうの家族は、かがちゃんのことにすぐに気付いて、大騒ぎや。加賀屋さんの息子さん、立派になったね、とか、奥さん、ホントにきれいな人だわ、と褒め始めたんや』
「そうか……」
段々、雲行きが怪しくなり始める。
『それで黙ってないのが、先輩や……だから、ちょっと静かにしとって……いや、ごめん、ごめん。そんで、それからがもう大変で大変で』
「…………」
いや、もう、本当にどうでもいい。
痴話げんかはそちらで収めて欲しい。
『かがちゃん、聞いてるか? それから、先輩が、自分もインタビューしてもらえるよう美容院行く言い出して、おまけにクリスマスプレゼントやゆーて、たっかいコート買わされて。ほんで今、北野に来てるねん。あんたらがインタビューされた場所、具体的に、どのへんなん? 教えて! 』
宏彦はあまりにも馬鹿馬鹿しい質問に到底まともに答える気力もなく、そんな毎晩毎晩、同じ放送局が同じ場所でインタビューなんかしてるわけないやろ! と一喝して、電話を切った。
そして、また新たな不安に襲われる。
片桐家がこの事実を知っている。ということは……。
宏彦は身震いをしながら携帯をカウンターに置き、まだ当分ビデオはお預けだなとつぶやいて、妻をそっと抱きしめた。
そして、その直後、妻は宏彦の言った意味を理解することになる。
イブの夜は無情にも更けていく。
二人がその夜、ビデオを見ることが出来たかどうかは……。
宏彦と澄香のスイートホームを、ところ狭しと飛び回る天使のみが、その真実を知っているのかもしれない。
そのお話はまた今度。
読んで下さった皆様へ。
メリークリスマス!
読んでいただき、ありがとうございました。
あと少し、続きます。