クリスマスイブ その2
「今日は仕事、どうだった? 」
妻がワイングラスを手に取り、小首を傾げて訊ねる。
「ひとつ案件が片付いて、ようやく肩の荷が下りたってところかな」
競合商社に危うくお株を持っていかれそうになったところ、すれすれのラインで入札に成功した。
宏彦一人の手柄というわけではないが、上司は彼の功績を高く評価してくれている。
年明けにはまたもや別の重要案件が控えているが、とにかく小休止できるこの状況が何よりのクリスマスプレゼントだと思い、妻とこうして時間を持てたことに満足している。
「そっか。よかったね。だってインタビューされた日のちょっと前くらいまで、辛そうだったじゃない? 夜もあまり寝てないみたいだったし。ずっと心配していたんだ」
妻にいらぬ心配をかけまいと、仕事のことはあまり話さないようセーブしてたつもりだったが、彼女にはすべて見抜かれていたようだ。
妻の観察力には脱帽だ。
「で、澄香は? 困ったことはない? 」
こんなにも夫のことを心配してくれている妻だが、果たして自分は澄香のことをどれほどわかってやっているのか不安になる。
こうやって直接訊かなければ気付いてやれない自分が不甲斐ない。
「ないない。あ、でも、今年の新入り君が、ちょっと受注ミスやっちゃって、バタバタしたかな。取引先に確認とお詫びの電話をして、事無きを得たってことくらいで、あとは普通だったかな」
「大変だったな」
「ふふふ。大丈夫だってば。あたしだって入社一年目はいろいろあったもん。先輩に手取り足取り助けてもらって、上司にもいっぱいカバーしてもらった。後輩君も、彼なりに頑張ってるし」
「そうか。まあ、澄香もあんまり無理するなよ。いつも俺の帰りが遅いから、家のこともあまり出来なくて澄香に任せっぱなしだろ? 」
「それは仕方ないよ。仕事だもん。その代わり、休日には買い物に付き合ってくれるし、掃除機もかけてくれるし。とても助かってる。宏彦だってあまり無理しないでね」
「ああ」
「うん……」
澄香特製のチキンの香草焼を食べ、しばらく沈黙が続いたあと、宏彦はもうたまらなくなって口を開いた。
「そろそろ見るか」 と。
例の録画ビデオを早く見たくて、いつ言いだそうかとタイミングを見計らっていたのだ。
せっかくの彼女の手作り料理も食べないうちにビデオのことを持ち出すのも失礼な気がして、ためらっていたのだ。
ところが、宏彦が口を開いたと同時に澄香も声をそろえて言ったのだ。
「そろそろ見ない? 」 と。
お互い顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。
なんだ、澄香も見たかったのかと安堵する自分がいた。
インタビューを受けた直後は、自分の映っている画面など絶対に見たくないと思っていたのに、怖い物見たさとでもいうのだろうか、どんな風に放送されているのか、実のところ、今朝からずっと気になっていた。
インタビューを受けたことは、両親はもちろんのこと、職場の人にも友人にも誰にも言ってはいない。
妻は誰かに言いたくてたまらない風だったが、宏彦の我がままに付き合い、沈黙を守ってくれていることに感謝している。
放送時間帯も夕方で、友人たちは皆仕事中だ。
母親達も夕食準備等で、忙しく立ち働いている時間であるため、多分気付かないと思う。
というか、そのチャンネルをつけていること事態、稀であると踏んでいた。
たとえ映ったとしても番組中のほんの一部分に瞬間的に流れるだけだろうから、知人に宏彦だと見破られる可能性も低い。
あえて誰にも知られずに、今夜妻と二人でこっそり見て、笑い合えればそれでいいと思っていた。
「食事はまた後でってことにして、とにかく先に見ようよ! 」
妻が先に席を立ち、早くテレビの前にあるソファに行こうよと手を引っ張る。
「ねえねえ、早く、早く」 と、もう一口だけワインを飲むことすら許してもらえそうにない。
あまりのはしゃぎようにびっくりしたが、実は宏彦も、内心は妻と変わらないくらいハイテンションになっていた。
おいおい、待ってくれよと言いながらも、足はソファを目指してまっしぐらに進んでいく。
ポートアイランドにある北欧家具の店で選び、自分たちで四苦八苦しながら組み立てたソファに、どさっと二人同時に沈み込む。
テレビの前の特等席は、秘密のビデオ上映会を待つのみとなった。
「えへへへ。では行きます。準備はいいですか? 」
リモコンを手にした妻が、ビデオの電源をオンにして、録画一覧の画面を呼び出す。
あったぞ。ちゃんと録画されている。
「なんか、ドキドキするね」
「ああ。でも、ホントに映っているのかな? 俺が面白みがなさすぎて、カットされてたりして……」
「そんなことないって。だってあたしの旦那様だよ。こんなに素敵でかっこいいのに、カットする理由がわからないし。じゃあ、いくよ! 再生スタート! 」
素敵でかっこいい、だって? そんな、さらりとおっしゃらずに、もっともっと声を大にして言ってくれてもいいのにと、一人にんまりと妻のお世辞に酔いしれている、その時だった。
「あ、携帯が。おい、澄香、おまえのじゃないか? 」
キッチンのカウンターに置いてあるスマホが聞きなれた軽快な音楽を奏でる。
「ええ、携帯? あ、あたしのだ。んもう、誰だろう。ちょっと待ってね」
澄香は再生ボタンを押す寸前だった手を止め、リモコンをテーブルに置いた。
そしてちょっぴり不服そうにスマホを手にした。