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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 4 未来への誓い
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番外編4 8.花嫁の朝 その2

 澄香は自分の部屋で素早く身支度を整え、旅の荷造りもすべて完了した。

 そして、小学校の時から使っている学習机の一番上の引き出しからカードを取り出し、机の上に置いた。


 それはパステルカラーの花の絵がついたカードで、二つ折になっている定番の物だ。

 いろいろ迷った結果、母の好きなカスミソウが描かれているのを選んだ。

 五枚あるそのカードは、一つずつ薄いクリーム色の封筒に収められ、表には、渡す相手の名前が澄香らしい柔らかい字体で記されている。


 お父さんへ、お母さんへ、信雅へ。そして、志乃おばあちゃんへ、芙紗子おばあちゃんへと、家族の名前がそれぞれに綴られているのだ。


 嫁ぐ日の朝、花嫁になる娘が、お父さん、お母さん、今までありがとうございました……と挨拶する場面を映画やドラマで目にすることがあるが、澄香ももちろんそうするつもりでいた。

 完璧なあいさつ文を考え、すでに何度か暗唱している。

 けれど当日の朝は何が起こるかわからないし、うまく気持ちが伝えられなかった時のことを考えると、不安になるのだ。


 ここまで大きく育ててもらって、両親や祖母たちに感謝しているのは紛れもない事実だが、実際、その時になると泣いてしまいそうだし、あるいは、バタバタと出かける時刻を迎え、言いそびれてしまう事態も想定できる。


 それならと、あらかじめカードに感謝の気持ちをしたためておき、当日の朝に渡そうと考えたのだが……。

 これを渡してしまえば、もう本当に池坂家の一員でなくなるような気がして、まだ渡すことをためらっている自分がいた。

 あと三十分で宏彦が迎えに来る。

 それまでにカードを渡して、家族に感謝の気持ちを伝えなければならない。

 もう後戻りは出来ないところまできているのだ。

 宏彦の胸に飛び込み、彼と人生を共にすると決めたのは、他の誰でもない、自分なのだから。


 澄香は意を決して部屋から一歩を踏み出した。

 振り返ってみると、そこには長年見慣れたなつかしい風景があった。


 チェックのカバーがかけられた、中学の時から使っているベッド。

 そして、その横にある、少し古びた学習机。

 デスクパットには小学生の頃に流行った、制服姿の魔法戦士のポスターがまだ重ねられて残っているはずだ。

 一ヵ所だけネジがはずれて、ぐらつく椅子とも今日でお別れとなる。


 空っぽになった本箱に、衣服が一枚もぶら下がっていない、ただの鉄棒になってしまったブティックハンガー。

 本箱は信雅の彼女の早菜ちゃんに。ブティックハンガーはチサの家にお嫁に行く事になっている。


 机の上には、家族そろって須磨の海に泳ぎに行った時のスナップ写真が飾ってある。

 幼い信雅がピンク色の浮き輪をつけたまま砂浜に突っ立って、澄香の隣でピースをしている。

 短パン姿の父とトロピカルなサマードレスを着た母が、満面の笑みを浮かべて両サイドでポーズを作る。

 ここが本物のハワイだよと、真面目な顔をしてあからさまな嘘を毎年言い放っていた父も、今よりずっと若い。

 それに、当時の父と現在の信雅がそっくりだと思うのは、絶対に見間違いなんかじゃない。


 母も父と結婚する時、こんな気持ちになったのだろうか。

 生まれ育った家を出ることの寂しさや辛さをどのように乗り越えたのだろう。

 昨日まで、こんな気持ちになることはなかった。

 神戸と西宮なんて、目と鼻の先の距離だ。

 すぐに帰ってこれるし、結婚したからと言って、両親と親子の縁が切れるわけでもない。

 何も変わらないと思っていた。

 彼と一緒に生きていければ何もいらないとまで思っていたのに。


 今日を限りに、もうこの家の住人ではなくなってしまうのだ。

 仕事が終わり、ただいまと言って帰ることもなくなる。

 彼と親密な時を過ごし、浮かれた心を見破られないようにわざとそっけなく玄関のドアを開けることも、もう必要ないのだ。


 熱を出せば何度も様子を見に来てくれた母。

 テスト勉強をしている時、真夜中に起きてきた父が、もういいんじゃないか、早く寝なさいと優しく声をかけてくれたことも一度や二度じゃない。


 入試や就職活動の時は、弱気になるとそっと支えてくれ、合格通知をもらえば自分のことのように喜んでくれた。

 そんな彼らの元から巣立とうとする自分が誇らしくもあり、寂しくもあるのだ。


 澄香は旅行カバンと今日の式に必要な物が入ったボストンバッグを持ち、思い出がいっぱい詰まった部屋のドアを閉めた。

 澄香は胸に手をあて、しばし部屋の前に立ち止まる。

 そして、こくりと頷いた。もう過去には戻れない、ただ前だけを向いて歩いていくのだと。

 カードはボストンバッグのポケットにしのばせている。いよいよ計画を実行する時が来たのだ。


 どういうわけか急に旅行カバンを持つ手が軽くなった。

 何か入れ忘れたのだろうか。えっ? と思い、後を振り返る。

 するとどうだろう。弟の信雅がにっと笑って、カバンを持ってくれていたのだ。


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