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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 4 未来への誓い
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番外編4 8.花嫁の朝 その1

澄香視点になります。

 まだまだタオルケット一枚で充分に過ごせる九月下旬の早朝、何度か寝返りを打ったあと、再び眠ろうとする努力にきっぱりと決別した。


 ベッドの上によいしょっと身体を起し、時計を見る。まだ五時過ぎだ。

 締め切った雨戸のすき間からは、弱い朝の光がぼんやりと入り込み、新しい人生が始まろうとしているのを全身で感じ取っていた。


 澄香は独身最後の朝を池坂家の二階で迎えていた。

 もう誰か起きているのだろうか。階下から物音がする。

 襖を開ける音や水道から流れる水の音。そして、人がとことこと歩く音も澄香の耳に届く。

 その物音に合わせるかのように、隣の両親の部屋から誰かが出て行く気配を感じる。

 あの足音は母だ。父も続いて部屋から出て行くのがわかった。


 そうだった。今日は、東京と埼玉からわざわざ駆けつけてくれた祖母たちが、一階の和室に泊まっていたのだ。 

 両親のそれぞれの母親だ。残念ながら祖父たちは、三年前、五年前に相次いで亡くなっているのでここにはいない。


 伴侶を亡くし一人になった祖母たちは、気が合うのかとても仲がいい。

 そんなに広くない我が家に別々の部屋を用意することも出来ず、ホテルを予約しようかと提案したところ、同じ部屋でいいので、澄香をこの家から家族と一緒に送り出したいと言ってきかなかった。


 彼らの朝はとてつもなく早い。

 これでも遠慮して布団の中で夜が明けるまでじっとしていたのだろう。

 祖母たちに限って、朝日にたたき起されるなんてことは断じてありえない。

 誰よりも早く起床する祖母たちは、眠っている太陽を無理やり地平線から引っ張りあげて、世の中の人々を目覚めさせているに違いないと、子どもの頃からずっとそう信じている。


「おはようございます」


 小さいけれど、あれは母の声だ。


「ああ、おはよう」


 父方の祖母の声もする。


「お母さん、おはようございます。よく眠れましたか? 」


 意外に大きい父の声が、朝の静寂を破るように我が家に響き渡った。


「よく眠れましたよ。いい朝ですね」


 あれは母方の祖母だ。


 澄香は首をぐるっと回し、両手を天井に向けて思いっきり伸ばしながらベッドから降りた。

 そしてパジャマのまま部屋を出て階段を降り、リビングに集う家族に向かって、おはよう、と元気よくあいさつをした。






「澄香、そこのお皿取ってくれる? 」

「はい。これでいい? 」


 母に促され、澄香はテーブルの脇に用意されていた小皿を手にする。


「ありがとう。おばあちゃんに煮物を取り分けてあげて」

「わかった」


 慌しく準備を終えると、テーブルにところ狭しと顔をつき合わせ、皆で朝食を取る。

 全員で五人。

 普段は使わない机の両サイドにも、ドレッサーやパソコンデスクの椅子を調達してきて、六人分の座席が用意されていた。


「あれ? どうしてもう一人分用意してあるの? 」


 今は五人しかいないはずの我が家にどうしてもう一人分の椅子と食器があるの? 

 首をかしげた澄香が、見たままの感想を母に伝えた。


「え? あら、澄香、知らなかったの? あのね、明け方の三時ごろだったかしら。信雅がさなちゃんの車で一緒に帰って来たわ。あの子ったら、まだ寝てるのよ。まあ、仕方ないわね。夜通し運転してきたみたいだから」


 二階を見上げるようにして母がそう言った。


「そっか。あの子、もう帰って来てるんだ。そういえばそんなこと言ってたかな? でも前に、宏彦の同級生で、元野球部員の結婚式の時も、確かさなちゃんの車で帰って来たよね? でも、工事渋滞で、なかなか神戸に着かなくて、睡眠も取れないうちに式に参加することになって散々な目にあったとか言ってたでしょ? だから今回は、新幹線で帰って来るのかと思ってた」

「ふふふ。そうね、そんなこともあったわね。でも今回は、順調に帰ってこれたみたいよ。信雅ったら、いつもさなちゃんに迷惑ばかりかけて、相手にされなくなってしまうのも時間の問題ね」

「そ、そうだね……」


 母は二人が付き合っていることはまだ知らない。

 相手にされなくなるどころか、仲が良すぎて、ますます離れられない二人なのに……と言ってしまいそうになるのを我慢するのが大変だった。


「でもね、皆を起さないように、あの子なりに気遣って、静かに部屋に入ったみたいで……。そんなことだから、まあ、家を出るぎりぎりまで、寝かせておこうかと思ってるのよ。でもこんなに賑やかな一階だから、そのうち起きてくるかもしれないわね」

「いや、あいつはこれくらいの音では、起きてこない。神経が図太いからな。でもその方が、食卓が静かでいいじゃないか」


 父が真面目な顔をしてぼそっとそんなことを言ったものだから、澄香は彼女特製の煮物を、危うく喉に詰まらせるところだった。




「澄香ちゃんの作った朝ごはん、本当においしいわ。煮物もすっかり関西風で。旦那さんが神戸の人だものね。やっぱり関西風の味付けになってしまうみたいね」


 祖母同士が顔を見合わせて頷き合っている。


「おばあちゃん、口に合わなかったかな? ごめんね。お母さんの作ってくれる料理は関東風だけど、私が作るとどうしても薄味になっちゃう。でもね、彼は、おいしいと言って、いっぱい食べてくれるんだ」

「そうなの? それはよかった。幸せそうで安心。それに、口に合わないなんてことは、全くないわよ。だしが効いていて、とてもおいしいわ。それより何より、まさかあの小さかった澄香ちゃんが、こんなにおいしい料理を作ってくれるようになるなんて、本当に信じられなくて。よかったね、澄香ちゃん。うっ……うっ……」


 夕べからずっとこの調子だ。世間話をしても涙、食事をしても涙。

 あまりにも涙、涙の連続で、もう澄香に涙病が伝染しなくなったのはこの際助かるが、今からこの調子では、果たしてこの家から無事に出してもらえるのか、それが一番の気がかりだ。


 二人の祖母が交互に鼻をすすり、泣いてばかりいる中、やっとのこと朝食を済ませることができた。

 神戸市内のホテルで式と披露宴を行うのだが、遠方から来る人たちの事もあり、すべて午後からのプログラムになっている。

 けれど、遅くとも十時にはホテルに入らなければならない澄香は、後片付けを素早く済ませると、着替えと荷造りのため一旦自分の部屋に戻った。


 式なんてまでまだまだ先のこと。たっぷり時間もあるし……と思っていたのは梅雨の頃までで、せみの声が聞こえる七月末には様々な予定が目白押しで、今日まで休む暇など一秒たりともなかったというのが現実だった。


 まだ二人の生活が始まったわけでもないのに、この忙しさ。

 仕事と新婚生活の両立が出来るのかどうか不安で、押しつぶされそうになるのも、このところずっとだ。


 式の形式は、今人気のリゾート婚に気持ちが傾きかけたこともあったのだが、二人が生まれ育ち、そして出会いの場となった神戸の地で式を挙げたいという宏彦の希望に賛同した澄香が寄り添う形で、地元でオーソドックスな式を挙げることに決まったのだ。


 そして、式と披露宴の後の1.5次会を、友人たち主導のもと、詳しい内容は伏せられたまま行われることになっている。つまり、サプライズ企画、ということらしい。

 少し、いや、かなりプログラムの内容に恐怖を感じるが、ブライダルに関してはプロでもある高校時代の親友のマキを始め、職場の若手や宏彦の野球部仲間たちが、まるで合コンのノリで企画会議なるものを頻繁に行っているのを聞くにつけ、もう断れない段階に来てしまったとあきらめざるを得ない状況だ。


 生活に必要な物は、ほとんど西宮のマンションに運び出している。

 あとは今日の式に必要な着替えと明日に予定されている旅行の荷物を持ち出すだけだった。


 世間ではそれを新婚旅行と呼ぶらしいのだが、澄香と宏彦にとっては二人のルーツを探る旅でもあり、皆からさんざん呆れられたにもかかわらず、その一風変わった旅の行程に、わくわくと胸を躍らせている状態だった。


 というのも、限られた休暇を目いっぱい使って、車で国内を回るというおおよそ世間一般のハネムーンとはかけ離れた内容だったからだ。


 東京や埼玉にあるそれぞれの祖母宅を訪れるのはもちろんのこと、宏彦が四年間在籍していた大学や暮らしていた下宿先をはじめ、アルバイトをしていた語学学校や澄香とのメールのやり取りをしていた公園のベンチ、そして、しばしば宏彦が出張で出向いていた函館や札幌まで、フェリーも使いながら車を走らせる予定だ。


 何もわざわざ新婚旅行にそんな行程を組まなくてもと、昨夜まで親族や友人に言われ続けたが、二人の気持ちが変わることはなかった。


 まとまった休みが取れる年末から新年にかけては、宏彦が家族と数年滞在していたイギリスのヨークシャーに行くことも決まっている。

 澄香は宏彦が歩んできた人生のすべてが知りたかったし、彼もまた、自分の見たもの聞いたものを、すべて澄香に知ってもらうことに異存はなかった。


 お互いの気持ちが見事に重なり合った今回の旅行は、新しい生活をスタートさせる二人にとって、最も意味のある第一歩だったのだ。


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