番外編4 7.幸せな時 その1
「ねえ、池坂君、いいでしょ? カノジョに会わせて。だって、私だって池坂君のことが好きだったわけだし。同じ人を好きになるんだもの。きっとカノジョと私って、友だちになれるような気がするの」
「って、おい、ユコ? さっきから何言うてるん? だから、俺の彼女は、こいつ……」
「ああああああっ! ノブ君、もらったケーキ、早く冷蔵庫にいれとかなあかんやん。悪くなってしまうよ。ほら、早く! 時間もなくなってきたし。あたしもでかける用意せなあかんわ。大変、大変」
せっかくの夢にまでみたプロポーズだけど、余韻に浸っている場合ではない。
ここまで来たら、何が何でもユコに真実を知らるわけにはいかないのだ。
ここで早菜が本当の彼女だとバレた瞬間、ユコは後輩の奈菜を武器に反撃に出るだろう。
もう修羅場は見たくない。
そのためにも、最後まで澄香お姉ちゃんになりきる必要があるのだ。
とんちんかんなやり取りを続ける二人には、もうしばらくそのままでいてもらおう。
矛盾を考える猶予を与えず、話題をそらせる作戦でこの場をしのぐことが早菜に課せられた使命だ。
「あ、忘れとった。保冷剤が溶けてもたかも。ユコ、ほな、今日はこれで。また別の日に、俺の彼女とゆっくり話したらええし。気をつけて帰りよ。じゃあな」
早菜に促されるまま信雅はユコに別れを告げ、もらったケーキの袋をすごすごと冷蔵庫に運ぶ。
「あの、ユコさん……」
早菜はユコの耳元でそっとささやいた。
「ノブ君は彼女と幸せになりますから。いや、あたしが幸せにします。だから、もう何も心配しないでね。じゃあ、早く彼のところに行ってあげて下さい。ね、さささ、早く」
早菜は忍者のごとく素早く廊下を横切り、これまた目にも留まらぬ早業で玄関のドアを開けた。
「あ、わかりました。なんか、話がうまく通じなかった気がするけど、池坂君が幸せなら、それでいいです。後輩のことは残念だけど、あきらめます」
「そうして下さい。では、気をつけて」
とにかく、とっとと帰ってもらうことが先決だ。
大きな花のコサージュがついたサンダルを履き終えたユコがすくっと立ち上がり、早菜をじっと見て言った。
「お姉さん? ……って。本当に優しいんですね。弟の幸せまで支えあげるだなんて……」 と。
その目はそれまでの彼女の目とは違っているように見えた。
もしかしたら、すべてを知ってしまったのかもしれない。
けれど、ユコはそれ以上何も言わず、黙って会釈して、部屋から出て行った。
早菜はユコが出て行くや否や、ドアの鍵を掛け、その場にへなへなと座り込んだ。
そして、心配そうな顔をして手を差し伸べてくれる信雅を見上げる。
彼の手を握り、引っ張り挙げられるようにして立ち上がった。
「ユコ、帰ったみたいやな。ホンマ、ごめん。おまえが一人の時に、こんなことになってしもて。疲れたやろ? 」
「うん、ちょっとだけね。最初は誰が来たんやろと思って、心臓が破裂しそうなほどびっくりした」
早菜の手を握っている信雅の手に力がこもる。
「ごめんな。まさかこんな急に、あいつが鍵なんか返しに来ると思てなかったから。それと。ちょっとだけ言い訳してもええ? 」
「何? 」
「その、鍵のことやけど。渡してたんは、このとおり事実や。でもな、あいつと同棲しとったわけでも、この部屋をホテル代わりにしとったわけでもないんや。だから……」
「もうええって。わかってるって。ノブ君が、ほんとはそんなにいい加減な人やないこと、ちゃんと知ってる。そら、あたしだって嫉妬はするよ? あんなかわいい子がノブ君の元カノやなんて、想像しただけで胸が苦しくなるし、あの子とノブ君が、その、キスとか……してたんやと考えただけで、泣き叫びたくなる。でもね、昔のことあれこれ考えても仕方ないでしょ? あたしは、ノブ君を信じるだけ。こうやって、ノブ君と一緒にいるのが、今一番、幸せなんやから」
「早菜……。ホンマにごめんな。俺、後悔してるねん。なんでもっと真面目に生きてこなかったんやろって。向こうから寄ってくるからとか、体裁がええからとか。簡単な気持ちでいろんな子と付き合ってきた過去の自分が、ホンマ情けないと思う。早菜と付き合って、ようわかった。俺だって早菜と一緒にいる時が一番幸せや」
なんか照れくさい。
こんなにもストレートに気持ちを伝えてくれる信雅に、どんな顔をして答えればいいのか戸惑ってしまう。
「ねえ、ノブ君。さっき言うてたことやけど……。あれ、ホンマなん? 」
そうだ。あのことをしっかり聞いておかなければならないではないか。
とても大事なことだ。
「さっき言うてたことって……。ユコがおまえに会いたいって話か? 」
「違うよ。それやなくて、ほら、将来の……」
「ああ、あのことか。ホンマやで。俺の本当の気持ちをユコに伝えたつもりやけど」
「そ、そうなんや……」
「俺、こんなんで頼りないけど、大学卒業したら働いて、そんで、早菜に認めてもろて、いつかは早菜と結婚したいと思ってる。いつになるかはわからへんけど、それまで待ってくれるか? 」
信雅の透き通るようなきれいな目が早菜を捉えて離さない。
好きになりすぎた男にここまで見つめられ、真っ直ぐに立っていられる人がいるだろうか。
背骨が溶けてしまったのかと思うくらいふらふらになりながら、うんと頷いた。