番外編4 6.将来も考えてるんや
「池坂君がそんなに知りたいのなら、ちょっとだけ。あのね、私の後輩のナナのことなんだけど」
「ナナちゃん? 誰なん、その人」
「あれ? 知らなかった? おかしいな、うちの大学では結構有名人なんだけど」
そんなにも奈菜って子は有名なのだろうか。
信雅が彼女を知らないと言ったのが気に入らなかったのか、ユコが玄関で不機嫌そうに口をとがらせた。
「なんで怒るん。知らんもんは知らんがな。それで? ナナちゃんって子が、どないしたん? 」
それでも信雅は引き下がることなく、ユコに詰め寄る。
「池坂君がナナを知らないだなんて、ホント、信じられないけど……。それがね、あの子、池坂君のことが好きになったみたいなの。前に私とあなたが一緒にいる時、ナナが見てたらしくて。その時に、それはもう今までにないくらいの衝撃が全身に走ったんだって。私がカノジョじゃなかったら、すぐにでもアタックしたかったくらい、池坂君に一目ぼれしたって言ってた。で、私があなたと別れたものだから、是非紹介して欲しいって、ナナに頼まれて」
「へっ? 」
予想外の展開だったのだろう。
信雅はすっとんきょうな声を出し、のけぞった。
「びっくりした? だから、ナナと付き合ってみない? いいカップルになると思うんだけどな」
「あ……。そうなんや。嬉しいけど、俺も彼女おるし。二股とかそんな器用なこともでけへんし……。悪いけど、付き合うとか無理やわ」
信雅は腕を組み、神妙な顔つきで無理だと言い切った。
それを聞いて早菜は、ほっと胸を撫で下ろした。
やっぱり信雅は変わったのだ。
もう誰にも女たらしだなんて言わせない。
「どうして? ちっとも無理なんかじゃないし。ナナはかわいいし、とってもいい子だし。ためしでいいから付き合ってみてよ。ね、お願い」
なんてことだろう。せっかく履きかけていた派手なサンダルを脱いで、ユコが信雅に迫ってくる。
うるんだ瞳をきらきらさせて、両手をしっかりと顔の前で組んで……。
お願いのポーズがここまでバッチリ決まる女性が他にいるだろうか。
そんな目で懇願されたら、男なら誰でも、はいわかりましたと頷いてしまいそうなくらい、ユコのお願いは完璧だった。
「いや、だから、俺はもう先客がおるし」
そうやそうや。あたしがいるやん。
早菜は信雅に、熱い賛同の視線を送った。
「そんなあ。付き合ってみなきゃ、何もわかんないって。私たち、まだ学生なんだし、一人のカノジョやカレシにしばられるなんて、もったいないと思うの。一度きりの人生、毎日楽しく過ごせた方がいいじゃない。ナナはモデル並のスタイルで、顔もめっちゃかわいいし、池坂君と絶対につり合うと思うの。池坂君は自分がどんなに素敵な容姿をしてるのか、わかってないのよ」
「なんやそれ。俺は顔だけか? 」
「いや、そうじゃなくて。関西弁しゃべるところも素敵だし、なんたって女の子に優しいし。だからね。ナナと一緒に吉祥寺とか歩いてみてよ。絶対にみんな振り返ると思う。だからって、今の彼女とはすぐに別れなくてもいいんじゃない? ちょっとずつフェイドアウトしていけばいいんだし」
また前に一歩踏み出たユコが、信雅にこれでもかと迫っていく。
「フェイドアウト……か。わかったわ。それやったら、ユコとはもうそろそろ、フェイドアウトする時がきたんかもしれへんな。この際やからはっきり言うとくけど、彼女とは、その、将来も考えているんや」
初めはユコの気迫に押されていた信雅だったが、真顔になった瞬間、何かとんでもないことを口走ったような気がした。
将来も考えている、と言ったように聞こえたのだが、まさか聞き間違えなんかじゃないよね……。
「将来って。じゃあ池坂君は、その彼女と結婚しようと思ってるの? うそ、信じられない! 」
呆気に取られたユコが、今度は信雅から遠ざかるように一歩ずつ後ろに下がる。
「うそやない。ホンマや。俺にはこの人しかいないと決めたんや。この人と約束したんや。もう合コンにも行かへんし、女の人に思わせぶりなこともせえへんって、ちゃんと約束した。彼女がいやや言うても、どこまでも追いかけて行くつもりや」
信雅が、横でこじんまりと突っ立っている早菜の方に向き直り、そう言い切った。
早菜は何度も目をパチパチと瞬かせながら、信雅の一字一句を心に受け止めた。
「池坂君……。そんなにその人のことが好きなんだ。なんかちょっぴり悔しい気もするけど、あなたがそこまで言うんだもの。きっとカノジョって、素敵な人なんだね。池坂君があまりにも力説するもんだから、お姉さんだって困ってるみたいだし。お姉さん、大丈夫ですか? 」
突然のユコの問いかけに我に返った早菜は、ぎこちなく、こくっと頷く。
「いや、だから。ユコ、お姉さんって……。俺より年上で、しっかり者で。見ての通り、俺にとって彼女は、かけがえのない素敵な人やけど? 」
信雅はユコと早菜を交互にみて、きょとんとしている。
「わかったわ。池坂君は、本当に心から愛せる人にすでに出会えたってことなんだ……。池坂君が手の届かない人になっちゃうみたいで、なんだか寂しいけど。幸せになってね。私もあなたに負けないくらい、幸せになるから」
「あ、ありがとう。わかってくれて嬉しいわ。ナナちゃんに、よろしくな」
「うん、わかった。ちゃんと伝えておく。ねえ、池坂君。最後にひとつだけお願いがあるんだけど」
「まだなんかあるんか? 」
「んもう、池坂君ったら、そんなイジワルな言い方しないでよ。あなたを困らせるようなことはしないから。あのね、一度でいいから、その……。池坂君のカノジョに会わせて欲しいの。なんだか私、カノジョと話してみたくなっちゃった。あなたがそこまで愛する人って、どんな人なのか、この目で確かめたいのよ。ね、いいでしょ? 」
その瞬間、早菜のこめかみに大量の冷や汗が、たらりたらりといく筋も流れを作った。
その横で信雅が、またもやきつねにつままれたような顔をして不思議そうにユコを見ていた。