番外編4 5.空気読んでよ
「ほら、おみやげやで。店長が神戸に持って行けゆーて、くれたロールケーキ……って、めっちゃかわいいやん、そのエプロン! やっぱり俺の見立ては最高やな。よう、似おてるし (よく、似合ってるし)」
信雅が細長い箱の入った紙袋を早菜に手渡すや否や、フリフリのエプロンを指差して抱きつかんばかりに迫ってきた。
これはまずい。早菜は素早く身をかわし、信雅に現状を伝えるべく早口で言った。
「の、ノブ君。あの、その、お客さん……」
抱きつく寸前でベッドの下にちょこんと座っている客人を見た信雅が、元々大きな目をこれでもかと言うくらいぎょろりと見開き、あっ、と声を上げた。
「池坂君、お帰りなさい。おじゃましてまーーす」
ぱっと立ち上がったユコが、ふわふわの髪をほわっと揺らして、とびきりの笑顔を信雅に見せる。
「ユコ……。ななななんで? どうしてここにおるん? 」
信雅は今の状況が呑みこめていないようだ。
完全に目が泳いでいる。パニック寸前に追い込まれているのがありありとわかる。
別れたはずの元カノが今カノと一緒にいるのだ。
あってはならないことが目前で繰り広げられているのだから彼の動揺も相当なものだろう。
「池坂君、びっくりした? 急に来ちゃって、ごめんなさい。あのね、失くしてた鍵が見つかったの。だから返しておこうと思って、ここに寄ってみたんだ」
「そ、そうなん。それはどうも。そんなん、別にいつでもよかったのに」
信雅の声が幾分裏返って震えているように感じるのはこの際仕方がないだろう。
「池坂君から預かった鍵、あなたと付き合ってる間は、とうとう一度も使うことなかったけど、今日、初めて使ったの。そして初めてあなたの部屋に入った」
え? 今まで使ったことがなかったって、ホントだろうか。
部屋に入ったのも初めてだなんて……。
早菜は俄かには信じがたいこの事実に、こっそりと眉を潜めた。
でもまあ、本人がそういうのだから本当のことなのだろう。
早菜としては信雅が常に美女と浮名を流していたのは周知の事実で、それについて嫉妬するとか咎めることはしないと決めていた。
いちいち気にしていては身が持たないからだ。
それに、もうすでに過去のことだ。
この部屋で他の女性と過ごしていたことも含め、すべてわかった上で彼と共にいるはずだった。
けれど今のユコの言葉にうっかり涙ぐみそうになってしまった。
信雅という男は、ずっと女にだらしないどうしようもないヤツだと思い込んでいただけに、ユコの発言が意外だったのだ。
軽い遊びのような恋愛を繰り返しているように見えていたのは、もしかして誤解だったのだろうか。
そうだとしたら、嬉しい誤算だ。
彼の派手な容姿が、早菜をそう思い込ませていたのかもしれない。
「鍵を使ったって、なんで? 中にはこの人がおるのに? 」
信雅は早菜をチラッと見て、鍵を使って勝手に部屋に入り込んだユコの行動を不審がる。
「だって、換気扇からいいにおいがするのに、何度インターフォンを鳴らしても出てくれないんだもの。池坂君ったら、うたた寝でもしてるのかなって、心配になって。もしそうならガスコンロとか危ないでしょ? 悪いとは思ったけれど、勝手に鍵使って入っちゃった。そしたら、お姉さんに……」
「あ……。そういうことやったんか。俺のおらへん時は、ピンポン鳴っても出んでええと言うとったからな。にしても、お姉さんって。まあ、そやな、こいつは俺より年上やし、姉みたいなもんやしな」
信雅が早菜を見て、微笑んだ。
え? これはいったいどういう意味の微笑みなのだろう。
早菜は持ち前の思考力をフル活用して考えをめぐらせてみたが、彼女が望む答えは導き出せなかった。
姉みたいな、ということは、ユコが言っている本来の意味を理解していない可能性が高い。
このままだと早菜が本当の姉ではないとばれるのも時間の問題だ。
「ノブ君。そろそろ出かける準備せんとあかんし。だから、その、ユコさんにも帰って……」
ユコが異変に気付く前に、事態を収拾しなければならない。
ユコにはとっとと帰ってもらうに限る。
それからの早菜の行動は素早かった。
「そやな。こんなんしてる場合ちゃうわな。ほなユコ、わざわざ鍵ありがとう。気をつけて帰りや」
信雅が廊下の隅に身体をよけ、ユコの通り道を作った。
よかった。このままユコがおとなしく帰ってくれれば、早菜が姉ではないとバレることもなく、すべてが丸く収まるのだ。
ささ、どうぞ玄関に行って、そのかわいい花のコサージュがついたサンダルを履いてお帰り下さい。
ところが信雅ときたら……。
「まあ、俺もこんな毎日で、結構幸せにやってるんで。ユコもカレシとかおるんやろ? 」
やっと帰る気になって玄関に向かったユコに、なんでそんな余計なことを訊くのだろう。
早菜は必死で目配せをして、信雅の暴走を止めるべく彼に合図を送り、あれこれ手を尽くすのだが。
「うん。いるよ。池坂君ほどカッコよくないけど、今度のカレ、優しくていい人なの。なんか私ね、めっちゃ幸せなんだ。だからと言うわけじゃないけど、池坂君にも幸せになってほしくて」
「俺か? 俺かて幸せやで」
信雅がちょっとデレデレした顔で早菜を見る。
それを見てユコが不思議そうにまたもや首をかしげた。
何か気付かれたのだろうか。
嫌な予感がする。
「ん……。でも、池坂君にはもっともっと幸せになって欲しいの。そうそう、でね、実は後輩の……」
そっちか。
信雅と早菜の関係を疑ったのではなく、後輩のあの話を持ち出すための前振りだったのだ。
「ああああっ! あの。ユコさん、その話はまた後であたしがノブ君に言っておくから。早くその優しい彼のところに行ってあげて下さい。彼、待ってるよ」
危ない、危ない。油断も隙もあったもんじゃない。
今ここでその話をされたらすべてが水の泡だ。
早菜が信雅の彼女であることがバレて、話がややこしくなってしまう。
なんとしても回避しなくてはいけない。
「もう、お姉さんったら。ホント、優しいんだから。じゃあ、そうします。早く行った方がカレも喜ぶし。あの話、池坂君に伝えといて下さいね。絶対ですよ」
「あ、はい。も、もちろんです。ちゃんと言っておきますから。気をつけて帰って下さいね」
はい、さようなら……。ふうーーっ。これで一件落着、と思ったら。
信雅が興味津々な顔をして割り込んでくるではないか。
もういいから、ノブ君は黙っといて。
それ以上、ユコを引き止めたらあかん。
早菜は声に出せない気持ちを、パクパクと口の形で伝えようとしたのだが。
「え? 何? 何の話なん? 後輩が何やて? まだもう少し時間もあるし、その話、聞かせてーな」
ノブ君……。ったく、あんたって人は。
子どもの頃から空気が読めないタイプってことは熟知していた。
けど、ここは読んでよ。
読むべきでしょ。
早菜はあれほどの必死な目配せを理解してくれなかった彼に、もうなす術はないとうな垂れる。
「んもう、池坂君ったら。おでかけは大丈夫なの? 」
サンダルを履きながら、ユコが後を振り返った。
「あんまし大丈夫じゃないけど、ちょっとだけやったら……」
そう言って信雅は、同意を求めるように早菜をちらっと見た。
早菜はあきらめモードで、しぶしぶ頷くしかなかった。




