番外編4 3.お姉ちゃん、助けて!
「あ、あの、あたしは……」
突然現れた目の前のかわいらしい人に、あなた、誰? と問われ、何と答えるべきかとまどう。
「あっ! 」
早菜が返答に困っていると、急に彼女の目がありえないほど大きく見開かれた。
ナチュラルメイクなのに、なんて大きな目だろう。
マスカラだって少なめだ。
なのに量も充分で、長すぎるまつげ……って、そんなことをのん気に観察している場合ではないのだが。
「あの、あたし……」
信雅の彼女です、ときっぱり言えばいいのだろうけど、とても言い出せる雰囲気ではない。
またもや現れた信雅のファン、もしくは、あまり考えたくはないけれど、浮気相手だったとしたら。
……いろいろ考えると、うっかりしたことは言えない。
「もしかして! 」
彼女は、何かがひらめいたかのように両手をパンと叩いた。
「は、はい。なんでしょう」
ああ、びっくりした。
目のまん前でパンと手を叩く物だから、危うく心臓が止まりそうになる。
「や、やだーー。私ったらそそっかしいから。ホント、ごめんなさい。あなた、お姉さん? ですよね。池坂君の自慢の神戸のお姉さん! 」
「えっ? お姉さん、ですか? 」
神戸のお姉さん?
それって、澄香お姉ちゃんのことだろうか。
「お姉さんったら、もう、やだーーー! 」
ふわふわの髪を左右に揺らして身体をくねらせる。
何と柔軟な身体だろう。
「ええ、いや、あの」
完全に向こうのペースだ。
もはや早菜は、何も口を挟める状態ではない。
「お姉さん、はじめまして。こんにちは。いや、こんばんは、ですよね? 」
「あ、あの、そうですね、こんばんは、ですね……」
外はすでに薄暗い。
なので、こんばんは、が適当だろう。
……って、そんなことはどうでもいい。
「まさか、お姉さんに会えるなんて。嬉しいーーー。私、密かにお姉さんのファンだったんです」
「ファン、ですか? 」
ファンって、あなた。
会ったこともないのに?
ますます変な人だ。理解に苦しむ。
「そうですよ。だって、池坂君ったら、お姉さんの自慢話ばかりするんだもの。でもね、不思議と素直に聞けたの。フツー、嫉妬するでしょ? いくら相手がお姉さんでも、他の女性の自慢話なんて聞きたくないじゃないですか」
「まあ、そうですね」
やっぱりそうだ。もう間違いはない。
彼女は早菜のことを完全に本当の姉と勘違いしている。
「池坂君の、お姉さんの説明がうまかったってのもあるけど、彼の高校時代の友達が神戸から遊びに来た時に言ってたの。とっても素敵なお姉さんだって。ホントにお姉さん、かわいいです。素敵です」
なぜか両手を握られ、うるうるした瞳で見つめられた。
が、ところでこの人、誰なんだろ。
早菜は意味不明なこの彼女の正体が知りたくてたまらない。
そのためにも、今夜は澄香お姉ちゃんになりきるのが得策のようだ。
早菜はお姉ちゃんの名誉のためにも、精一杯澄香になりきろうと腹をくくった。
「あの、今日はどんなご用でこちらに……」
「あ、そうそう。この鍵、池坂君に返しに来たんです」
早菜の顔の前で、鍵に付けられた赤いポートタワーのキーホルダーが揺れた。
「別れた時にすぐに返すはずだったんですけど、どこに置いたか忘れちゃって。やっと見つかったんですよ。で、彼。元気にしてますか? 」
別れた時……ということは、この彼女は、信雅の昔の恋人の一人なのだろうか。
少々複雑な気もしないでもないが、浮気相手とかではなくて取りあえずホッとする。
「ええ、まあ、元気です。あの、よかったら、座りませんか? 」
早菜は、ベッドの横に置いてあるミニテーブルのそばに座るよう促した。
「はい、ありがとうございます」
彼女は砂糖菓子のような甘い香りを漂わせながら、テーブルのそばの座布団にちょこんと座った。
「あっ、いけない。私、お姉さんにはじめて会ったのに、自己紹介するの忘れてた。私、ここからひとつ東の駅にある女子大に通う園谷唯子です。あの、私のこと、彼から聞いてません? 」
そのやゆいこ、ソノヤユイコ……。ユコ?
そうだ。ユコだ。
居酒屋で修羅場を演じたあのユコに違いない。
「あのう。ユコ……さん、ですよね? 」
「そうです。ユコです。嬉しい! 私のこと、ちゃんと、お姉さんに紹介してくれてたんだ。池坂君って、案外、律儀なのよね」
律儀って……。
あの修羅場のあと、押しかけてきたもう一方の女子大生がストーカー化して大変な目に遭ったのだ。
その人がユコのことをさんざんこき下ろし、知らなくてもいいことまで知らされたのだから、忘れようがないっていうのに。
「お姉さん、お姉さん」
あの、そのお姉さんっていうの、段々腹立たしくなってくるんですけど。
あたしはお姉さんなんかじゃない、信雅の彼女なの!
と声を大にして言いたいけど、小心者の早菜は、やっぱり言い返せない。
引き攣りながらも笑顔で、何ですか? と答えてしまう。
そうだ。今日は澄香お姉ちゃんになりきると決めたのだから、心を乱してはいけないのだ。
「池坂君、今度の新しいカノジョとうまくいってるって聞いたんだけど。お姉さんは、そのカノジョと会ったことあるんですか? 」
「えっ? 彼女と会ったかどうか、ですか? えっと……」
はい、それはあたしです、と言いたいのをぐっとこらえて、この場にふさわしい返事を探すが、見つからない。
「やだ、やっぱ、お姉さん、新しいカノジョに会ったんだ」
「いや、あの……」
うわ、どうすればいい?
会ったと言うべきか、言わないべきか。
でもユコは、会ったと勝手に思い込んでいる。
「きれいな人でしたか? なんか気になる。うわさでは……」
「う、うわさでは? 」
どきっ! もうそんなうわさが流れてるんだ。
でも、付き合い始めてもうすぐ三ヶ月になるのだから、信雅のファンクラブが何も嗅ぎ付けないわけがない。
一時に比べると、騒がれることも少なくなったが、まだ予断を許さない。
早菜の脳裏にピーンと、緊張が走る。
「かわいいひと、って言ってました。でも今までの池坂君のタイプじゃないカノジョ、とも言ってたかな。なんか、こう、真面目そうで、無表情で、さえなくて……」
ブスで、ちびで、存在感がなくて……。
きっとそう言いたいんだ。
中学高校時代に早菜がいつも言われていたまんまだった。
「あ、ご、ごめんなさい。私、悪口なんか言うつもりじゃなかったし」
ユコが気まずそうに謝る。
「い、いえ、別に。いいんです。正直に言ってもらえて、よかった……です」
辛い。苦しい。
うわさは何も間違ってはいないけど、華やかな信雅に不釣合いな自分がいたたまれなくなる。
早菜はすっかりしょげ返ってしまい、力なくうな垂れた。
「お姉さん、本当にごめんなさい。私、言い過ぎました。お願いです。元気出してください。お姉さんは弟思いなんですね。弟のカノジョのことを悪く言われたら辛いですよね。そんなところも、やっぱり素敵です」
「あ、別に大丈夫です。確かにノブ君には、その、ちょっと似合わない彼女かもしれません」
「お、お姉さん! お姉さんもやっぱ、そう思うんですか? よかった。なら話が早いです。あの、実は、私の大学の後輩の女の子なんですけど……。池坂君のこと、一目ぼれしちゃって、是非紹介して欲しいって、頼まれてるんです」
「紹介? ちょ、ちょっと待ってください。そんなこと、あたしに言われてもわからへんし……」
「きゃーーー! 関西弁! お姉さんも、関西弁なんですね。池坂君と一緒だ。後輩も関西弁大好き人間なんです。カレシは関西人限定で探してるんですよ、ふふふ」
早菜は、あまりにも想定外なユコの依頼になすすべもなく、神戸のお姉ちゃんに向かって、助けて! と心の中で力いっぱい叫んでいた。




