番外編4 2.卵焼きは関西風で その2
信雅の彼女、早菜視点になります。
振り返ってみれば、その時すでに、彼のことを愛し始めていたのかもしれない。
信雅と始めてキスをしたあの日。
なんで? どうして? って、驚いたけれど、そうなるかもしれないと心のどこかで予感していた自分がいたことにも、薄々気付いていたのだ。
信雅が早菜を見る目が徐々に変化していたことを、本能的にキャッチしていたのかもしれない。
東京に戻ってからは、彼と同棲こそしていないが、頻繁にお互いの部屋を行き来するようにはなった。
家庭教師の仕事を終えた後、ここに泊まることも多い。
彼がこんなに寂しがりやだとは思わなかった。
自分のアパートに帰ろうとすると、一人にせんといてと言ってすがってくる。
それは普通、女性の方が言うセリフやんか、とつっこみたくなるが、それはそれで嬉しかった。
こんな関係になっても信雅の弟体質は改善される見込みはなかった。
ところがベッドの上だけは、しっかり早菜をリードして惚れ惚れするような大人の男になる。
過去の男性とは、半ば義務のような営みでしかなかった触れ合いも、彼とならずっと抱かれていたいと思う。
これを身体の相性がいいというのならば、もう彼とは離れることは出来ないとまで思ってしまう。
それ以外の日常は、甘えん坊のどうしようもない近所の小さいノブ君になってしまう。
それでもよかった。甘えん坊のノブ君でいい。
今まで、年齢の離れた頼りがいのある男性としか付き合ったことがなかった早菜にとって、彼はとても新鮮だったし、母性本能をくすぐられるとでも表現すればいいのだろうか。
彼のすべてがかわいくて、愛しくて仕方ないのだ。
早菜はクローゼットの中からエプロンを取り出した。
胸のところがハートの形をした、ピンクのフリフリレース付きエプロンだ。
どこで買ったのかは知らないが、信雅がせっかくプレゼントしてくれた物だからと、しぶしぶ着用している。
初めてこれを着けた時の彼の喜びようったらなかった。
早菜、めっちゃかわいいで。
やっぱりエプロンゆーたら、これやで、と大騒ぎだった。
エプロンといえば、小学校の給食当番で着用した白い割烹着風の物しかイメージできなかった早菜は、はたしてこんなにフリフリした物を身につけて実際に料理ができるのだろうかと不安になった。
ところが案外着心地がよかったので、まあいいかと目をつぶり、彼のマンション内限定で使うことにしている。
それにしても……。
あまりにも恥ずかしすぎて、いまだに玄関脇の鏡に映った自分の姿を凝視することができない。
こんなフリフリなとんでもない格好なのに、彼が帰って来た時、ノブ君、お帰りなどと言って出迎えてあげれば、間違いなく彼は小躍りするだろう。
そして頬に軽く口付けて優しく微笑めば、飛び上がって大喜びすること間違いなし。
彼をとりこにさせるのは意外に簡単なのだ。
これも、いろいろと手当たり次第読みあさった、恋愛心理学の本のおかげなのだが。
早菜は、ホンマにしょうがないな、とつぶやき、エプロン姿のままにんまりしながら米を研ぎ始めた。
とてもおいしそうに卵焼きが完成した。
関西風のだし巻き卵は、中からだし汁がじゅわっと流れ出るくらいジューシーで柔らかい。
なかなか上出来だ。
次はウインナーを焼こうと冷蔵庫を開けたその時、インターホンのチャイムがピンポーンと鳴った。
出るべきか、出ないべきか。
早菜は賢そうな口元をぎゅっと引き結び、あれこれ思案する。
そうだ、私は来客であって、信雅の同居人ではない。
部外者がかかわるべきではないと早急に結論付けた。
訪問者には申し訳ないが、今回は居留守を使うことにした。
心の中で、ここには誰もおらへんよーーー、ごめんなさーーい、と唱える。
もう一度ピンポーンと鳴った。
おまけに、ドアまでコンコンと叩いているではないか。
ということは、オートロックのエントランスは通り抜けて、すでに玄関ドアのところまで誰かが来ているということになる。
早菜は焦った。
インターホンのモニターを覗き、誰がいるのか確かめる。
えっ?
女の人、だ。
ど、どうしよう。
知らない女の人が立っている。
おまけに何度も何度もドアを叩く音がする。
「池坂くーーん! いないの? ここ、開けて! お願い」
女の人が信雅を呼んでいる。
大変だ。そんなに大きな声を出したら、近所にも聞こえるし迷惑じゃないか。
いったい、どうしたらいい?
ところが、それで終わらなかった。
あろうことか、鍵を開ける音がするではないか。
「池坂くーーん。いるんでしょ? 換気扇の回る音がしてるよ。なんか卵焼きの匂いもする。ごめん、鍵、開けちゃうよ」
ガチャガチャ、という音のあとに、ガシャっとドアが開いた。
「突然ごめんなさい。お邪魔しまーーす。鍵、見つかったから、返しに……って、あれ? あなた、誰? 」
淡いピンクの口紅をつけた、ふわふわロングヘアーのかわいい女の人が、目をくりくりさせて、早菜の前にどこかコミカルさをにじませながら立ち止まった。