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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 2
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13.何かが動き出す時 その2

 電話をかけた日から二日後の朝、宏彦の母親はキッチンに立ち、いつものように朝食準備に取り掛かっていた。

 早くから起きているにもかかわらず、今朝はあまり空腹を感じていなかった。

 それもそのはずだ。昨日は久しぶりに昔のPTA仲間との昼食会でおいしいものをいっぱい食べ、おしゃべりに花を咲かせた。

 おまけに夜は夜で、深夜に突然帰宅した息子の北海道みやげのチョコレート菓子を夫と一緒につまんだものだから、食欲がないのも仕方ない。

 ガスコンロの前で肩に手をあて、ぐるりと首を回し、火を止めた鍋の中に味噌を溶いて入れた。これで朝食は完成だ。


 昨夜の宏彦は少しいつもと違った様子だったが仕事で何かいいことでもあったのだろうか。

 お酒は飲んでいないと言う。酔ってもいないのに頬は紅潮し、どこか楽しげに見えた。

 ところが、帰宅するや否やもう寝ると言って早々に部屋に引き上げていった。

 その笑顔とは裏腹に、実際は疲れているのだろうとも思う。

 神戸の冬など比べ物にならないほどの本物の寒さを札幌で体感したであろう宏彦のことを思えば、朝ごはんだと言って起すのもためらわれる。

 このまま昼まで寝かせておこう。

 宏彦に声をかけることなく、夫と二人分の朝食の準備を整え、席に着いた……その時だった。


「宏彦! 」


 父親が手にしたばかりの箸をテーブルに戻し、斜め向いの席に突然現れた息子に驚きの声をあげた。


「ひ、宏彦! 」


 母親も一緒だった。まだ寝ているとばかり思っていた息子が急に姿を見せる物だから、父親と同様、叫んでも無理はない。


「なんだよ。二人そろって、何驚いてるんだ? 俺って、そんなにこのうちで歓迎されてないの? 」


 テーブルの上をざっと見回し、自分の朝食が用意されてないのを悟った宏彦は、別に嫌な顔をするわけでもなくすっと台所に向かい、食器棚から汁椀を取り出した。


「いや、だって……。たまに帰って来た時、宏彦はいつも昼まで寝てるじゃない。夕べはなんだか楽しそうだったけど、すぐに二階にあがったでしょ? 疲れてるのかなって、そう思って……」

「そうや。お母さんは、たまの休みくらい、おまえをゆっくりさせてやろうと考えてくれてるんや。歓迎されてないなんて、そんなわけないやろ? ここはおまえの家なんやし」


 いつも冷静沈着な父親だが、こんな時でもやっぱり穏やかな口調は変わらず、静かにさりげなく、母親に加担した。


「そうよ。いつもと違って、早起きなんだもの。誰だってびっくりするに決まってるじゃない」

「はいはい、わかりました。で、この味噌汁、全部食ってもいい? 」


 親の話など何も聞いていないかのように適当にあしらい、宏彦が鍋を覗き込む。


「ええ、いいわよ。宏彦にとっては、久しぶりの家庭の味だものね。夕べの煮物もあるわよ。ハンバーグも。温めてあげよっか? いかなごの釘煮は残念ながらまだなのよね。来月になれば店頭に新子が並ぶから、出来次第、真っ先に寮に送るわね。そうそう、牛肉のしぐれ煮があったはず……」


 おもむろに席を立った母親は、宏彦と背中合わせになりながら冷蔵庫の扉を開け、まん中の棚の奥を覗き込んだ。


「そんなに食えねーよ。今朝は味噌汁だけでいいよ」


 一人暮らしの息子を思えば、たまの帰省時くらいは何でも食べさせてあげたいものだ。

 なのに、そんな親心などこれっぽっちも思いやるそぶりも見せない息子に、あっけなく断られてしまう。

 台所から戻ってきた宏彦が汁椀をテーブルに置き、椅子に腰掛けた。

 確かに前日に飲みすぎた時は、朝食が控え目になることはある。

 けれど、昨夜の宏彦は飲んでいないのに食が進まない、などとのたまう。


 何かが違う。


 毎日一緒に暮らしていなくても息子の様子がいつもと違うことに気付いてしまうのだ。

 これが母親ならではの勘というものなのだろうか。


「ねえ、宏彦。今日、何かあるの? 」


 これくらいは聞いてもかまわないだろう。


「えっ? 」


 箸の動きを止めた秀彦が憮然とした面持ちでこちらを見る。

 やはりこれ以上詮索してはいけないのだろうか。

 でもこのまま見過ごすわけにはいかない。気を取り直して、再び息子に対峙した。


「だって、いつもの宏彦と違うんだもの。なんか、こう……。そうね、元気そうに見えるけど、どういうわけか、あまり食事が進まないみたいだし。札幌の業務が大変だったのかなって、気になって。どこか身体の具合でも悪いのかしら……」


 宏彦は母親の言葉には何の反応も示さずひたすら味噌汁を口にし、空になった汁椀と箸を置いた。

 そして母親と父親を交互に見てあきれたようにふっとため息をつき、こともあろうか、にっと口の端を上げる。


「昨日はバレンタインデーだったよな? 」


 突然何を言い出すのだろう。もちろん昨日はそういう日だった。


「ええ、そうだわね。で、それが何か? あっ、もしかして。会社の人にチョコをもらったの? それで、今日は朝から機嫌がいいのね」


 それなら納得がいく。職場で新しい出会いがあり、彼女から心のこもったチョコレートをもらった。

 そして昨夜自分の部屋でそれを食べたため朝食がすすまないのだ。

 幸せのスタートラインに立ったばかりの宏彦が今目の前にいる。

 仕事の疲れすらも吹き飛ぶほどの嬉しい出来事だったのだろう。

 そう考えれば辻褄が合わないことも……ない。


「機嫌がいい? 俺が? 確かにそうかもしれないな……。義理がたいチョコは、札幌の取引先でそれなりにもらった。それ、夕べ渡しただろ? 」


 確かに昨夜受け取った。よくある北海道の名産品のチョコだったのは記憶に新しい。


「あらまあ。そうだったの? 義理チョコだなんて。で、本命さんからは、いただかなかったの? ほら、よくメールしてる人」


 宏彦の顔が一瞬強張る。


「あ……。ごめんなさいね。その人は彼女じゃないって言ってたわね。でもいいじゃない。まだまだ若いんだし。これからよね」

「確かに、あの時は彼女じゃなかった。でも……」


 宏彦が空中の一点を見つめてつぶやく。


「……彼女からのチョコはないけど。でも、俺が機嫌がいいのは、多分……」

「多分? 」

「……メールの彼女のせいかもしれない」

「そうなの……って、えっ? ど、どういうこと? 」


 母親は息子の顔を改めてじっと食い入るように見つめた。


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