12.何かが動き出す時 その1
こちらは、本編、番外編を読了後にお読み下さい。
本編33.もういいかい 以降のサイドストーリー(宏彦母親視点)になります。
「もしもし、池坂さんのお宅ですか? 」
『あら、加賀屋さん。こんにちは。池坂です』
「こんにちは、池坂さん。お久しぶりです。明日の昼食会のことで連絡がありまして。あの、今、よろしいですか? 」
『ええ、大丈夫ですよ』
「あの、もしよろしかったら、一緒に車で行きませんか? 明日十一時半ごろそちらに迎えに行きますので」
『まあ、嬉しい。でも、いいのかしら……』
「どうぞお気遣いなく。明日のお店は車の方が便利だし。それに、あとのメンバーも、三組の山木さんが車を出すと言って下さってるので、そちらに分乗して来る予定なの。だから気にしないで」
『ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて』
「では、そういうことで……。それにしても、明日、楽しみだわ。池坂さんとご一緒できるのって、本当に久しぶりですよね」
『そうですね。前回の集まりの時は、確かパートの都合がつかなくて、欠席させていただいたような……』
「ええ、そうだったわね。あの頃はまだうちの子も学生で、他の皆さんも子どもの就職がどうの……って話が出たりしたのよね」
『そんな時期だったわね。なんだか、随分昔のような気がするわ。今ではもうみんな就職が決まって、神戸を出ている人もいるって聞いたわ。うちの子はまだ実家で学生時代と変わらない毎日を過ごしているけど』
「そうよね、池坂さんちのお嬢さん……えっと、澄香ちゃんは、地元神戸で就職されたものね。娘さんってだけでもうらやましいのに、一緒に暮らしているだなんて、本当にいいわね」
『娘って、なんか心配で。親の方が子離れできてないのかもしれないわ』
「うふふ。そんなのあたりまえよ。私も娘を持ってみたかった。ホント、男の子ってつまんないわ……。うちは京都にいるけど、ちっとも帰ってこなくて。電車に乗れば神戸なんてすぐなのに」
『あらまあ! そうなの? 』
「そうなのよ。仕事が忙しいだの、やれ出張だ、研修だと言って、滅多に顔を見せないの。主人も同業だから仕事のことは理解してるつもりだったけど。それにしても、ねえ? 」
宏彦の母親は電話の子機を耳にあてたまま、ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。
そして子どもの中学時代のPTA役員仲間である池坂美津子に電話で話を続ける。
「東京で暮らしていた四年間も含めると、この六年で家に戻ってきたのは数えるほど。でもね、就職したばかりの頃は、家から通勤してたんだけど、朝は早い、夜は遅いって日が続いて。結局寮暮らしになったの」
『大変ね』
「あの子は嫌がったけど、東京には何度も押しかけたわ。でも京都の寮には一度行ったきり。会社の人の目があるし、親の過干渉があの子の足を引っ張ってもいけないと思うから……」
『行きたくても行けないのよね』
「そうなの」
『なんだか寂しいわね。子どもって一人で育ってきたような顔をしてるんだもの。ご飯を食べない、熱が出た、怪我をした……。小さい頃は、何があっても心配だった。特に初めての子どもは、それはそれは大変な思いをして育ててきたのよね』
「そうそう。親の心、子知らずって言うじゃない? まあ、私たちだって、そうやって大人になって、今親として子どもと向き合っているわけだけど」
『ふふふ。加賀屋さんのおっしゃるとおりだわ。自分が親になってみて初めて親の気持ちがわかるのよね』
「ホント、そうよね。みんな同じ道を辿るのよね。それはそうと。この間、宏彦の高校時代のお友達のお母さんに、三宮でばったり会ったの。そしたら。息子さんの結婚が決まったっておっしゃるのよ」
『結婚? 宏彦君のお友だちってことは、うちの澄香も同い年かしら? 』
「もちろん。うちにもちょくちょく遊びに来ていた子どもさんなんだけど。もうそんな年頃になったのかなって、ちょっと感慨深くなっちゃって」
『そういえば、澄香が仲良くしてもらってた三組の山木さん。同じ会社の方と婚約されたそうよ』
「ええっ、そうなの? 知らなかったわ。素敵なお話ね。これからどんどん、そんな話が増えてくるのかもしれないわね」
『でも。肝心のわが子は、まだまだだわ』
「それなら、うちの子だって同じ。彼女がいるのかいないのか。それすら教えてくれないから、何もわからないのよ」
『加賀屋さん、宏彦君はしっかりしてるから、心配ないって。大丈夫。うちの澄香なんて、まだ誰ともお付き合いしてないし、それこそ結婚なんていつのことやら……』
「あら……。でもわからないわよ。今の子は携帯っていう便利な物があるから。親の知らないところで親交を深めてるってこともあるみたいだし。昔なら一家に一台の電話があたりまえだったから、すぐに交友関係が家族に知れわたったものだけど」
『そうだったわね。なんだかなつかしいわ。今は誰とつながっているのかわかりにくいのよね。でも、結婚前提じゃなくても、仕事で辛いことがあったら相談できるような、そんなお相手がいれば、それはそれでいいかなって、思うの』
「そうよね。お互いに支えあって、心を許しあえるお相手がいれば、仕事も頑張れるかもしれないわね……って、こんなに長くなってしまって。池坂さん、ごめんなさい。明日の連絡だけするつもりだったのに」
『こちらこそ、ついついおしゃべりが長くなってしまって。そうだわ、加賀屋さんの携帯番号、教えてもらってもいいかしら』
「そうよね。その方が連絡しやすいものね。では言いますね。090………」
携帯番号を相手に伝えたあと、それじゃあまた明日と言って電話を切り、子機を充電器の上にもどした。