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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 2
172/210

9.紫陽花のように 後編

 宏彦の思いがけないご指名に、澄香はしばし固まった。


「なんだよ、その顔」


 左にカーブを切りながら、ちらっと澄香を見た宏彦が含み笑いを浮かべながら言った。


「だ、だって……。どうしてあたしなの? そんなの意味不明だし」

「なんで? 俺の望みが澄香って、そんなに変? 」

「変じゃないけど。そうじゃなくて、なんか漠然としててよくわからないって、そう思って」

「じゃあ、はっきり言わせてもらう。俺はね、四六時中、澄香のぬくもりを感じていたいんだよ」

「ぬくもり? 」

「そう。まだ籍を入れたわけじゃないし、西宮のマンションに頻繁に泊めるわけにもいかないだろ? 最近の俺、かなり澄香不足になってる。そのせいで身体中の力が入らない。無気力でおまけに思考も停滞気味。車だって、ガゾリン補給しないと動かないだろ? 」

「うん……」


 うまく丸め込まれた気もしないでもないが、澄香は小首を傾げながらもこくりと頷いた。


「右手、俺の膝の上に載せて」

「えっ? 」

「さあ、早く。もうすぐ山の上に着いてしまうよ」

「こう……かな? 」


 澄香はためらいがちに宏彦の膝に手を置いた。

 夕べ、仕事帰りに寄った三宮のネイルサロン。

 今日のために施したジェルネイルが、薄いピンクのグラデーションを浮かび上がらせていた。


「そう。それでいい。運転中、手は繋げないけど、こうやっていればずっと澄香を感じることが出来るだろ? 今日、澄香とドライブ出来るのをどれだけ心待ちにしていたか。この日を指折り数えて、今週は仕事を頑張ったんだ。いいだろ? これくらい、甘えても……」


 今日のドライブを楽しみにしていたのは、澄香も同じだ。

 白地に薄いピンクの小花模様のチュニックもネイルに合わせてお気に入りのセレクトショップで選んだ。

 グロスも、マスカラも、バッグもサンダルも。

 全て今日のために準備したものばかりだ。

 宏彦も澄香に会うのをこんなにも待ち望んでいてくれたのだ。

 澄香にとってこれ以上の喜びはない。

 手には宏彦のぬくもりがじんわりと伝わってくる。

 これまでに幾度となくお互いの肌に触れ合ったにもかかわらず、ほんの少しの彼との接点がこんなにも愛おしく、ときめきを覚えるものだとは夢にも思わなかったのだ。


「澄香……」


 まるで、心の中をすべて見透かされたような宏彦の声に、澄香ははっと息をのむ。


「指先、きれいだな」


 常にフロントガラスの先を見ているはずなのに、いつ見たのだろう。

 でも嬉しい。女心が充足する瞬間だ。


「あ、ありがとう」

「そうだ! 澄香、予定を変更してもいいかな? 」


 何か急に思いついたかのように、宏彦の声が弾む。

 澄香の指先と宏彦の思い付きに、いったいどんな関係があるというのだろう。


「六甲ガーデンテラスに行くのは、日が沈んでからでもいいよな? 」

「もちろん、いいけど。でも、どうして? 」

「澄香の指先を見て、思い出したことがあって……」

「何? 何を思い出したの? 」

「…………」

「ねえ、宏彦。どうして黙ってるの? なんか今日の宏彦、秘密主義者みたい。前にも大西君が言ってたよね。かがちゃんは秘密主義者だって。もったいぶらないで教えてよ」


 それでも宏彦は何も言わず、T字路を左折した。

 澄香が昨日メールでリクエストした六甲ガーデンテラスは、反対方向になる。

 左側、すなわち山上の西側には六甲山牧場がある。

 一段と涼しくなった山の風を感じながら、宏彦はひたすら西側を目指す。

 昨日までの雨に現れた新緑がきらきらと輝いて眩しい。

 道端には水彩画の中から抜け出たような紫陽花が、そこかしこに顔を出していた。


 そしてしばらく行ったところで車が停まった。

 公営施設の駐車場だ。あまりの車の多さに、澄香は目を丸くした。


「宏彦、ここは……」

「そう。森林植物園。澄香も知ってるだろ? 」

「うん」

「この時期に来たことある? 」

「多分、ない……。秋だったかな、子どもの頃に、ここでどんぐりや落ち葉拾いをしたことはあったけど」

「ならよかった。じゃあ、行くぞ」


 宏彦の差し出した手に指を絡め、植物園内に二人で足を踏み入れた。

 あちこちに紫陽花が咲いている。

 あまりの美しさに思わず立ち止まってしまうが、宏彦がそれを許さなかった。


「さあ、早く。こんなもんじゃないんだよ、ここの紫陽花は」


 ぐいぐいとリードされ、小走りになりながら坂を下っていくと。

 そこには……。


 今まで見たことのないような壮大な景色が、澄香の目の前に広がっていた。

 言葉にならなかった。

 どんな台詞を繋いでも、それを説明することなんて出来ない。

 澄香が見ているこの世界が、生まれ育った街の近くで現実に存在することが信じられなかったのだ。


 澄香は坂の途中で立ち止まり、ゆっくりとあたりを見回した。

 右も左も、前も後も。ずっと向こうも。

 すべて色とりどりの紫陽花に埋め尽くされていた。


「びっくりした? すごいだろ、ここの紫陽花」


 得意げな宏彦の言葉も、今の澄香の耳には届かない。

 出るのは感嘆のため息ばかり。瞬きをするのすらためらわれる。


「俺にいっぱい優しさをくれる澄香は、この先、どんな女性になっていくんだろう。ここの紫陽花のように、いろいろな姿を見せてくれるのかな? 俺と結婚してよかった、幸せだと言ってもらえるように、俺は澄香をずっと……」


 愛し続けるから……。


 澄香は宏彦の手をぎゅっと握り返し、ありがとうと小さくつぶやいた。

 

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