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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
本編
17/210

16.高校二年生 その10

「今日、あいつ、いないんだ」

「あいつ? 」


 宏彦のあまりにも唐突な言葉に、澄香は思わず首をかしげる。


「木戸……だよ」


 宏彦が言いたかった人物を理解した澄香は、急激に冷静な思考を取り戻した。

 なぜここで木戸の話になるのか。澄香は宏彦の真意を量りかねていた。


「あいつ、今度ある地区大会の試合の抽選に、監督と一緒に行ってる……」


 澄香は一学期に木戸と付き合うような形になってから、別段何も進展のないまま秋を迎えていた。

 夏休みに一度だけ、図書館に行ったくらいだ。

 メールでの様々な誘いも、すべて断っていた。


 そして一週間前、澄香から木戸を誘い、どうしても付き合うことはできないと学校近くのバーガーショップではっきりと断ったばかりだ。

 もちろん、メールのやり取りも控えて欲しいと伝えた。

 木戸もそうなることを察知していたのだろう。

 わりとすんなり了解してくれたと思っている。


 宏彦がどこまでその真実を知っているのかは定かでないが、木戸の口ぶりからは、全て彼に話してるようにもみえる。

 だからと言って、宏彦の親友である木戸をふったことを、今ここで話題にするのも場違いのような気がしていた。


 なるべくそのことには触れないように、当り障りのない会話を続けるのが得策のように思えた澄香は、彼の話を聞き流し、違う話題に転換してみる作戦に出た。


「そっか、木戸君はいないんだ。それはそうと、加賀屋君はいつまで部活やるの? 」


 あくまでもさりげなく、話の方向をさらりと変えていく。


「来年の夏、七月までかな。一応、甲子園は、俺たち野球部員全員の夢だから。親の目を盗んで、仲間と自転車で甲子園に行って。ここで試合やりたいって、子どもの頃からずっとそう思ってた」

「甲子園って……。それ、遠いよね」

「いや、結構近かった。帰りの上り坂はきつかったけどな」

「ふふふ。そうなんだ」

「でもそんなことばかりも言ってられないよな。春で部活やめることも考えてる。国立大希望となると、ちょっとは勉強しないと、まずいかな。センター試験、結構キツイし」


 ペンを器用にくるくる回しながら、宏彦がふうっとため息をつく。


「そうだね。あたしは加賀屋君よりもずっと成績ヤバイから。この冬休みから、塾の特訓講座受けるつもりなんだ」

「ふーん。そうか。まあがんばれ。おっと、もうこんな時間だ。さあ、ちょちょっと書いて、早いとこ鬼クロに提出しないと」

「うん。このままだと、本気で怒られちゃう」


 宏彦と目を合わせてくすっと笑い、肩をすぼめる。

 なんだかとても幸せだ。

 調査票を書くのが楽しくなってくる。


「なあ、池坂」

「何? 」


 耳元をくすぐるように届く宏彦の声に、はっとして顔を上げた。


「四月の忘れ物事件、憶えてるか? 」


 四月の忘れ物事件……。

 澄香は思い出した瞬間、恥ずかしさで再び頬が熱くなるのがわかった。


「憶えてるに決まってるじゃない。せっかく忘れかけてたのに、また思い出しちゃった」


 澄香は火照った頬に手のひらを当てながら、肩を揺らし笑う彼をそっと盗み見る。


「あははは。あれはホント、最高だった。さすがにもう俺のことは憶えてくれたよな? 」

「あたりまえじゃない。あれから何ヶ月経ったと思ってるのよ。二度と忘れないし」


 そう。あれは、澄香にとって、忘れようにも忘れられない大事件。

 あの日から、澄香の心の中は宏彦でいっぱいなのだから。


「あの日……。あの時から、俺……」

「え? 何? あの時からどうしたの? 」


 澄香から目を逸らし、窓の外に視線を向けて黙り込んだ宏彦に訊ねる。


「いや、いい。もういい。……いいんだ。何でもないよ」


 宏彦はそのまま言いかけた言葉を呑み込んでしまう。

 これ以上立ち入るなとも言っているようで、澄香はもう何も訊けなくなってしまった。


 すると急にいたずらっぽい目つきになった宏彦が、澄香に向き直る。


「さあ、池坂も早く書けよ。でないと、家に持って帰ったら、また弟のプリントと取り違えるぞ。今度は漢字プリントかもな? さーて、これでよし。出来た! 」


 そんな捨て台詞を残しながらも、瞬く間に調査票を書き終えた宏彦が、お先っ、と言ってあっと言う間に教室を出て行く。

 その姿が眩しくて、わけもなく胸が締め付けられて……。


 でも、何も訊けなかった。言いかけた言葉の先も、そして、先輩の片桐とのその後も。


 澄香は、あれからも何度か二人が一緒に帰るのを目撃していた。

 でも野球部の中では、二人の噂はその時に始まったものではなかったらしい。

 宏彦が一年生の時から公認の仲だったと、マキが情報を仕入れて来た。


 たとえそうであったとしても、澄香はあきらめきれなかった。

 自分を見てくれなくてもいい。宏彦が他の人を好きでもいい……。

 宏彦と同じ教室にいて、同じ空気を吸って、時々視線を投げかけて。

 おはよう、またね、とあいさつを交わすだけでいい。

 それだけで、幸せなのだから。




 窓が小さくカタッと鳴った。

 グラウンドの隅にあるイチョウの木から、黄色く色付いた葉がふわりふわりと風に舞う。


 誰もいなくなったがらんとした教室で、澄香の瞳から涙がひとつぶ、ぽとんと小さな音を立てて、机の上の用紙の上にこぼれ落ちた。

 澄香はあわてて指先でそれをぬぐい、地元神戸の商学部のある大学名を、楷書体でしっかりと書き留めた。


神戸の東部から甲子園までは、直線距離で10キロくらいでしょうか。

自転車でも充分たどり着ける距離ですね。

ただこの区間、交通量が非常に多いので、危険度は高いです。

よい子は絶対にマネをしないでね^^

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