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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 2
169/210

6.想いは時を越えて その後の物語 その2

「お母さん、あの……」

「澄香ちゃん、何かしら? 」

「夕食の用意をするなんて言っておきながら、何も出来てなくて、その、ごめんな……さい」


 ついさっきまで宏彦と抱き合っていただけにバツが悪い。

 澄香は母親から目を逸らし、うな垂れた。


「まあ、澄香ちゃん。そんなこと別にいいのよ。私が予定より早く帰って来てしまったんだもの、仕方ないわ。でもね、それ以上に早い人が、二階にいたけどね。うふふふ」


 澄香ちゃんはどのケーキがいいかしら、などと言いながら、どこまでも陽気な母親は、鼻歌交じりに手際よくお茶の準備を整える。

 ティーポットにアールグレイの茶葉を入れて沸かしたてのお湯を注ぎ、ポットマットの上に載せる。

 保温のため、キルティング地で出来た手作りのティーコゼーを、ポットにすっぽりと被せた。

 澄香もすでに同じものをもらい、新居の食器棚で今か今かと出番を待っているのだ。



「あの子ね、あれでも随分穏やかになったのよ」


 紅茶を入れるための流れるような一連の動きを終えた母親がダイニングテーブルの椅子に座り、物憂げにぼそっとつぶやいた。

 澄香は彼女の真意を窺うべく向かいの椅子に腰を下ろし、話を聞く態勢を整えた。

 実家で宏彦が、かなり横柄な態度を取っているのは以前から気付いていたが、多分そのことを言ってるのだろう。


「主人の仕事の都合でイギリスに渡ることになった時、あの子泣いていたの。きっと神戸から離れたくなかったのよ……」

「そんなことが……。その頃、宏彦さんは、まだ小学生でしたよね? 」


 澄香は遠い昔の記憶から呼び起した当時の宏彦の姿をぼんやりと思い浮かべ、訊ねる。


「ええ、そうね。せめて小学校の卒業を待ってから渡英しようかとも思ったのだけど。そうもいかなくて。向こうでは夫婦で行動することも多いと聞いてて単身赴任は選択肢にはなかったの。あの子だけ私の実家に預けるってことも考えたけど、そうなると、結局別の学校に転校しなきゃならないのよね……」


 澄香は母親の話しに耳を傾け、黙って頷いた。


「宏彦が少年野球チームに入ったのは小学校三年生の時だったわ。この家に引っ越す前だったから、隣の小学校にいた頃だったけど。そうそう、信雅君も同じチームの出身だって言ってたわね」

「はい」


 澄香は弟がチームに入った日のことをはっきりと覚えている。

 大きなスポーツバッグを持ってはりきって出かけて行ったあの日のことを。

 そしてひと月ほど経った頃、ようやく手元に届いたまっ白なユニホームを身につけて、家の門をバックに記念撮影をした日のことも……。

 父親が満面の笑みを浮かべてシャッターを押し続けていたのがつい昨日のことのように思い出される。

 宏彦にもそんな日があったのだ。

 彼のことを何も知らなかった自分が今となってはもどかしく、そして悔しい。


「あの子ったら、どういうわけか、野球を始めてから一度も人前で泣かなくなってね。コーチの指導のおかげだわって、主人と一緒に喜んでいたのだけど……。その子が、イギリスに行く前日だったかしら、声を押し殺して二階のあの部屋で泣いているの。家族にはばれてないと思ってたみたいだけど。親って、見えてなくても、どうしてだか、息子の様子が手に取るようにわかっちゃうのよね。あの時ばかりはドアを開けることができなかった。きっとあの子なりに自分で踏ん切りをつけようとしていたのでしょうね。神戸を離れるのが相当辛かったんだと思う……。あら、澄香ちゃん。あなたまで泣かなくてもいいのよ。ど、どうしましょう。澄香ちゃん、澄香ちゃんってば」


 澄香は自分でも気付かないうちに涙を流していた。

 頬を伝う涙をあわてて拭い、無理やり作った笑顔をあわてふためく母親に向ける。


「やだ、あたし、いったいどうしちゃったのかしら。お母さん、ごめんなさい。泣くつもりなんてなかったのに。小さい頃の宏彦さんの姿を想像したら、つい……」

「澄香ちゃんは、本当に優しいのね」

「そ、そんなことないです。あたし、いつも甘えてばかりで。あたしの方がひとつ年上なのに、彼の方がずっと頼りがいがあります。きっと、あたしなんかの何十倍も、彼の方が優しいです」

「あららら。そうなの? まあ、あの子が優しいのは、澄香ちゃん限定なんでしょうけどね。そうやって宏彦が自分を素直に出せるようになったのも全て澄香ちゃんのおかげだと思ってるのよ。あの子の気持に応えてくれて、本当にありがとう。宏彦のお嫁さんが澄香ちゃんで本当によかった……」

「お母さん……」


 目を潤ませた母親が、テーブルの上にある澄香の手を握る。


「出張の多い仕事だから、澄香ちゃんには寂しい思いばかりさせてしまうかもしれないけど。あの子がいない時は池坂さんのお宅に帰っていればいいし、会社のお休みを取って、お友達と旅行に行ったりすればいいから。私もね、夫にそんな風に自由にさせてもらったのよ」

「そう言っていただけて、とても嬉しいです。でも、宏彦さんも遊びで行ってるわけじゃないし、あたしもなるべく、実家の両親やこちらのお父さんお母さんにご迷惑をかけないように、宏彦さんとの家庭を守っていきたいと……思っています」


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