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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 2
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4.想いは時を越えて その4

「どうしたんだ? 泣いていたのか? 目が赤いぞ」


 瞬く間に澄香のそばにやって来た宏彦が手に持っていたスーツの上着をベッドの上に投げ、腰をかがめ覗き込むようにして訊ねる。


「えっ? あ、うん。ちょっとね」


 澄香は泣いていた自分が恥ずかしくなり、目を合わすことができず俯いてしまった。


「おい、澄香? しっかりしろよ。お袋に何か言われたのか? 」


 また一歩、宏彦が近付く。

 

「違うよ。そんなんじゃないって。お母さんには、よくしてもらってるもの。宏彦に早く会いたいなって、そう思ってたら。ちょっと悲しくなって、それで」


 迫ってくる宏彦を遠避けるように澄香が一歩後退する。

 まさか手紙を読んでしまったからとも言えず、曖昧な理由を繋ぎながら、無意識に腕の中にある缶をより一層強く抱きしめた。

 そして。


「それ……。どうして? なんで澄香がそんな物を持ってるんだ? 」


 宏彦の視線が、洋菓子の缶に注がれる。


「あ……」


 澄香はあわててそれを背中側に回し、宏彦の視界から隠した。


「ち、違うの。クローゼットの中を整理してて。あ、あの、お母さんに許可ももらってるし、宏彦もそうしていいって言ってたし」

「それ、どこにあった? 」

「あの大きなダンボールの中に入ってたもうひとつの小さなダンボールの底の方から出てきて……」


 澄香はクローゼットの前に引っ張り出されたままのダンボールにゆっくりと視線を動かす。


「そうだったんだ。てっきり、会社の寮からマンションに運んだ荷物の中にあると思っていたよ。まさかここにあったとは……」

「あ、あの。あたし、見てないよ。何も見てない。だって宏彦宛の手紙は、やっぱり見るのは失礼だと思ったから……」

「そうか……。その中にはカード類が入っていただろ? でも、手紙は……。多分あれ一通だったはずだ」


 澄香は、はっと息を呑む。そうだった。

 確かに手紙らしい封筒は一通だけだった。


「澄香、もしかして読んだ? 大昔に書いた、あの手紙」


 宏彦が真っ直ぐに澄香を見て訊ねた。

 やはり見てしまったことがもうばれているのだろうか。

 澄香は息をするのもままならないくらい、気持が焦り始める。


「宏彦……。あたし、あたし。ああ、宏彦、ごめんなさい。本当は読むつもりはなかったの。カード類はどれも見てない。ねえ、信じて。でも、あたしの名前が見えて、それで、どうしてあたし宛のものがここにあるんだろうって、不思議に思って。こんなことしちゃいけないのに。宏彦、本当にごめん……」


 その瞬間、宏彦の胸に澄香の顔が押し付けられる。

 後ろ手に持っていた缶が床に落ちて、甲高い音を立てた。


「あの手紙、読んでくれたんだ」


 宏彦の声が頭上に響く。

 突如抱きしめられた澄香は、彼の匂いがするシャツを頬に感じながら、恐る恐る見上げる。

 ネクタイはすでになく、一番ボタンがあいたカッターシャツの襟元には、汗が光っていた。


「やっと、宛先の主の元に届いたんだ。今日まで長かったな」

「宏彦……」


 彼の目は怒ったそれではなかった。

 拍子抜けするほど穏やかな口調で話を続ける。


「俺もあの日は、大学の入学式だったんだ。澄香のメールが嬉しくて、メールの返信だけでは足りなくて。もちろん、夜も眠れるわけがないし。式にだけ顔を出したお袋も、その夜には神戸にとんぼ返りで、部屋には誰もいない。気付けば、あれを書いていたんだ」

「そうだったんだ……」

「初めは本当に出すつもりだったよ。当たり障りのないことを書いて、翌朝ポストに入れようと思っていた。でも上っ面だけの文章なんて、俺に書けるわけがないんだ。そんな偽善的な手紙なら、最初から書かなければいい。そう思ったとたん、それ以上ペンが進まなくなった。よくあるドラマのシーンみたいに丸めてその辺に投げ捨てる寸前までいったけど、手紙の最初に書いた澄香という名前が俺の目に焼きついて離れない。ここで捨ててしまえば、せっかく持てた澄香とのメールの繋がりすらも壊れてしまうような気がして……。いつの日か澄香に出せる時が来るかもしれない。そんな日が来たら、続きを書いて届ければいい。絶対に叶うはずがないと思いながらも、心のどこかで期待していた自分がいたんだろうな。でも今、現にこうやって澄香と一緒にいる。もう手紙も必要ないだろうと思って、仕舞いこんだままになっていたのに。よかった。ちゃんと愛しい人の元に届いて」


 澄香は宏彦のシャツを掴み、彼の胸に顔を埋めたままこくこくと頷く。

 きっと、さっきよりもひどい状態になっている。

 涙と鼻水で、顔中ぐちゃぐちゃになっているに違いない。


「どうする? あの手紙だけ澄香が持っててくれる? それとも缶ごと俺が保管しておく方がいい? 」


 澄香は返事をしようにも声にならず、首を横に振ることしか出来ない。


「どっち? 手紙だけ? 」


 それでもまだ涙が止まらない澄香は、頭をそっと撫でてもらいながら、かろうじてうんと言った。

 嗚咽混じりの声でやっとそれだけ答えた澄香は、突然顎に掛けられた宏彦の指で上を向かされる。

 涙の粒が絡まるまつ毛をパチパチと上下させ、驚いたような丸い目をして彼を見た。


「手紙のまん中の空白は、今から伝えるからよく聞いて」


 そう言って、涙を掬い取るように指先で拭ってくれたあと、宏彦の顔がゆっくりと下りてきた。


「ひ、宏彦。手紙の続きを教えてくれるんじゃなかったの? って、あっ……」


 澄香の声ごと、宏彦に飲み込まれていく。

 初めは控え目に、ふんわりと口びるが重ねられる。

 そしてそれも束の間、次第に深くなり、湿った吐息だけが幾度となく室内に響くのだ。

 オレンジ色の夕日が部屋の中で抱き合う二人を優しく照らす。


 ほんのわずかの間、二人の口づけがやみ、お互いにじっと見つめ合ったその時。


「澄香、愛しているよ」


 宏彦から零れ出たその言葉に応えるように、澄香は彼の頬に手を添え、つっと爪先立ちになって、自ら唇を重ねていった。


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