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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 2
166/210

3.想いは時を越えて その3

 中から出てきたのは、一枚の薄い便箋だった。

 震える指先で、ぱりぱりと乾いた音を立てるそれを広げる。

 確かに宏彦の文字だとわかる手紙文が、不自然な空白と共にそこにあった。


 ざあっと音を立てているのは、エアコンの送風音。

 次第にその音も遠のき、澄香は便箋に走る宏彦のボールペンの筆跡だけをひたすら目で追っていた。


 

  ──────────────────────────────────────


                                           

 澄香様                                           


 突然の手紙をお許し下さい。

 メールありがとうございます。元気そうで何よりです。

 君の大学の桜がきれいなのは、以前から知っていました。なぜならそこは、僕の父親の母校でもあるからです。

 子どもの頃、何度か父に連れられて君の大学に遊びに行った記憶があります。

 あの頃のまま、今年もまたきれいな花を咲かせているのですね。

 そういえば、うちの大学から駅までの桜並木も圧巻です。是非君にも見てもらいたいものです。


 実は今、慣れない一人暮らしと始めたばかりのバイトに追われ、まったく身動きが取れない状況に陥っています。

 残念ながらゴールデンウィークは神戸に帰れそうにありません。

 花倉と大西が企画するクラス会が夏休みに開催される予定だと聞きました。

 なので、僕も、遠距離ながらも幹事の一人として、それに合わせて帰省する予定です。


 その時には、是非君に会い


 











 追伸


 君からのメール、初めは冗談だと思った。何かの間違いだと思った。

 でもそうじゃなかった。本当だったんだ。


 今すぐにでも神戸に帰って確かめたい。君がどういうつもりで僕にメールを送ってくれたのか真実を突き止めたい。

 とにかく、君に会いたい。会いたくてたまらない。


 今夜最終の新幹線に本気で飛び乗ろうとさえ思った。でも、現実的にはそれは無意味な行動だと理解している。

 会いたいのは僕だけで、君も同じ気持かどうかは僕は知る由もないからだ。

 そして、親友が君を思い続けている限り、僕は彼を裏切らないし、抜け駆けはしないと決めている。


 だから、この手紙は君のところには届かない。

 この先もずっと、届かない。


 いつか僕の想いが君に伝わることがあるとしたら。そして、その想いに君が応えてくれることがあるのなら。

 君以外、他には何もいらない。

 君のためだけに生きていけるなら、どんなに幸せだろう。

 君だけを想っていられるなら、どれだけ嬉しいだろう。

 でもそれは、叶わない夢だとわかっている。

 僕には、澄香しかいないというのに。




 宏彦


  ────────────────────────────────────── 



 澄香は胸の奥からぐっと込み上げてくるものを堪えて、折りたたんだ便箋を慎重に封筒に戻した。

 元にあった位置に封筒を紛れ込ませ、ぴたりと缶の蓋を閉じる。

 高校時代からすでに宏彦が自分を思ってくれていたという話しは、バレンタインデーの翌日、初めてのデートで告げられていた。

 まさかそのことを証明するような手紙がこの缶の中に潜んでいただなんて、誰が予想出来ただろうか。

 一生分の勇気を振り絞って初めて宏彦にメールを送ったあの日の夜。

 彼はこの手紙を書いてくれたのだ。永遠に宛先の主に届くことのないこの手紙を。


 澄香の目からはらはらと涙が零れ落ち、缶の蓋をも濡らしていく。

 あわてて手のひらで拭い、宏彦の想いの詰まったその缶をぎゅっと抱きしめる。

 もう宏彦以外、何もいらないと思った。

 これ以上の幸せは世界中のどこにもないと思った。

 留まるところを知らずに流れ続ける涙を何度も指先で拭い、半ば泣きじゃくりながら窓の所まで近寄る。

 西の空に日が傾き、夕ぐれがすぐそこまで近付いていることを知った。


 宏彦はまだだろうか。早く会いたい。

 会社の人が一緒だから空港まで出迎える必要はないと言われたが、家に車を取りに帰って、今すぐにでも空港に向かいたい。

 ポケットの中の携帯は無言で、相変らず何も受信した形跡はない。

 また鼻の奥がツンとして、せっかく止まりかけていた涙が再び溢れ出す。

 一週間の出張くらいでこんなにも寂しがっていては、先が思いやられるのではないか。

 こんな弱い自分が、果たして今後も商社に勤める夫を支えていけるのだろうかと不安になる。

 けれどそれは、この腕の中に抱きしめている手紙のせいなのだ。

 宏彦があんなことを書いて残しておくから。

 こんなにも彼への想いが溢れ、恋しくなってしまったではないか。


 その時、部屋のドアノブが、かちゃりと音を立てて回った。

 澄香ははっとして、身構える。

 窓もドアも締め切ってエアコンを作動させているので、外部の音が遮断されていたことに気付いたのだ。


「だ、誰? 」

「澄香、ただいま」

「あ……」


 澄香は突然のことにびっくりして、忙しそうに瞬きを繰り返し、その人をじっと見た。


「車もないし、みんな出かけてるのかと思った。でも二階の室外機が回ってるし、ここに来てみれば、案の定……。澄香、相当無用心だな。鍵をかけていても安心するなよ。今の俺みたいに、こっそり泥棒に入ってこられたら、澄香に逃げ道はないぞ」

「う、うん」


 突然姿を現したその人に、澄香はぎこちなく頷く。

 ほんの少し見ない間に、その人は日に焼けて精悍さを増していた。

 澄香はどきどきと胸をときめかせながら、ついうっかりその勇姿に見とれてしまうのだ。


「宏彦……。お帰りなさい」


 やっとの思いで返した言葉がこれだ。

 ありきたりなフレーズしか思い浮かばず、彼が帰って来た喜びを充分に表現できない自分にいい加減うんざりしてしまう。




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