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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 3 六月の嵐
159/210

25.交差点 その2

「どうして? そっちに行けば、また三宮に戻ってしまうぞ。運転手さん、すみません。左です」

「いいの。右に行って下さい」


 それでも澄香は、自分の理不尽な意見を貫き通した。

 すると、急にスピードを落とした車が、歩道脇に停車する。

 顔を見なくても、乗務員が不機嫌になっているだろうことは予想がついた。


「お客さん、まことに申し訳ありませんが。行き先をはっきりと決めていただかないと、こっちも困るんですけど」


 乗務員のやけに礼儀正しい言葉の隅々に、憤りがにじみ出ているのがありありとわかる。

 車は一台なのだ。全く違う方向を唱える客の言い分を、同時に叶えられるわけがない。


「ご、ごめんなさい。あたし、つい、むきになっちゃって。あの……」


 澄香は取り乱してしまった自分が無性に恥ずかしくなる。

 いくら片桐のことで感情的になってしまったとはいえ、とても二十五歳の大人が取る行動とは思えなかった。


「すみません、あの……。交差点を左で、お願いしま……」

「いや、右に。右にお願いします」


 木戸が……。急に右と言ったのだ。

 右とは、つまり。三宮方面に戻るということを意味する。


「木戸君? あの、あたし……」


 最初は自分が言い出したこととはいえ、木戸が突如態度を変えたことに澄香は驚き、身を堅くした。


「池坂、君はあいつと幸せになるんじゃないのか? 加賀屋はいったい何をしてるんだ。池坂をなんだと思ってる! 君をこのまま放っておけるわけないだろ? 」

「木戸君。で、でも、明日はあなたの結婚式だし。あたしはもう帰った方が……」

「俺の結婚式? そんなもの、もうどうでもいいよ。嫁に逃げられたんだぞ? ははは。聞いて呆れるよな。運転手さん……」


 木戸が、今夜さくらと宿泊する予定になっているホテルの名を告げる。


「池坂。あとで、もう少し詳しく話を聞かせてくれないか」


 そう言ったきり、木戸が口を閉ざした。

 交差点を右折して緩やかなカーブを西に向かう。

 澄香と木戸を乗せた車は、再び三宮に舞い戻って行った。




「さあ、入って」


 カードキーを差し込み、部屋のドアを開けた木戸が澄香の背中をそっと押した。


「で、でも……」


 ホテルのロビーで十分に引き返す時間はあったはずなのに、ここに来て躊躇してしまう自分に、澄香は半ばあきれながら、ドアの前で踏みとどまっていた。


「心配するなよ。池坂をどうこうするつもりはないから。話を聞かせてくれるだけでいい。でないと、あまりにも君がかわいそうで」


 木戸の目は決して獰猛(どうもう)な男のそれではなかった。

 発した言葉以上でも以下でもない。澄香に心から同情し慈しむ目だった。


「木戸君、ありがとう。木戸君だって、いろいろあって辛い立場なのに。あたしのことまで心配かけてしまって、本当に申し訳なくて」

「何言ってるんだよ。俺が過去に……。君に対して思い上がった態度を取っていたにもかかわらず、こうやってさくらのことを親身になって探してくれて……。本当に感謝してるんだ。もしこのまま俺が結婚してしまったら、池坂と二人でゆっくり話すことは出来なくなる。逆に、君が加賀屋と結婚しても、やっぱり二人で会うことは叶わない。今夜が最後だと思う。君の心の中の不安をすべてさらけ出してくれたらいい。俺で力になれることがあれば、なんでもする。加賀屋にガツンと言ってやれるのは俺しかいないと思うんだ。だから……」


 澄香は黙って頷き、部屋に足を踏み入れた。



「さあ、バスタオルで髪を拭いて。ドライヤーも使ったらいい」


 木戸に無理やりサニタリールームに押し込まれた澄香は、鏡に映った姿を見て、愕然とする。

 これが本当に自分なのだろうか。

 この姿を木戸にずっと見られていたとしたら、最悪だとしか言いようがない。

 ありえない。髪はところどころに雨水を含み、束になってくっついている。

 ヘアアイロンで形作ったゆるく波打つようなウェーブは跡形もなく消えていた。

 メイクもほとんど取れてしまい、色をなくした口びるが、ぼんやりと空間に浮かび上がる。

 その顔は、まるで高校生の時の自分のようだと思った。


 ドライヤーで乾かしながら、洗面台の横のカゴにセッティングしてあるタオルに手をかける。

 が、ふとその手を止めた。

 バッグから取り出した携帯用の小さなブラシで髪を梳かし、リップを薄くのばして。周りに髪の毛が落ちていないか何度も確認して、サニタリールームから出る。

 すると、いすに腰をかけた木戸がはっとしたようにゆるく微笑み、澄香を見た。


「木戸君、待たせてごめんなさい」


 澄香は目のやり場に困りながらも、話を続ける。


「おかげで髪も乾いたし、寒気も収まったみたい。でも、その。タオルや他の備品には手をつけてないから」

「どうして? ちゃんと拭かないと。いくらもうすぐ夏だと言っても、濡れたままじゃ、風邪引くぞ? 」

「う、うん。それはそうなんだけど。ただ、さくらさんがここに戻ってきたら、やっぱりそれは、よくないんじゃないかと思って……」

「なんだ、そんなこと気にしてたのか? ここは予約していた部屋じゃない。君のために、新しく取った部屋だから。心配いらないよ」


 澄香は木戸のその言葉に、少し気持が楽になった。

 ロビーでちょっと待っててと、澄香を残して一人でクロークに向かった木戸が、そのような手配をしてくれていたなんて、澄香は何も知らなかったのだ。


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