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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 3 六月の嵐
154/210

20.サイカイ その1

宏彦視点になります。

遅れてフレンチレストランにやってきたところから始まります。

 宏彦はしきりに時計を気にしながら、三宮から北野に向かって急いで坂を上がっていた。

 土曜日だというのに、今日も仕事がらみで取引先の人と会っていたのだ。

 社内での休日出勤や残業勤務はこのところチェックが厳しくなり、ワークライフバランスという名目の元、労働時間は遵守しなければならないというごく当たり前のことが、とりわけ声高に叫ばれるようになっている。

 大手商社こそ率先して勤務体系の健全化を図り、世の中に手本を示さなければならないということだろう。

 そして勤務時間の縮小がそのまま二酸化炭素削減にも繋がると言われれば、従わざるを得ない。

 また、決められた時間内に仕事が処理できなければ、能力がなく使えない奴として切り捨てられることもありうる。

 が、しかし。守りたくとも、そうもいかないのが商社マンの辛いところだ。

 取引先が会いたいと言えば、たとえ休暇中であっても即座に駆けつけなければならない。

 チャンスの神様は猛スピードで宏彦の前をすり抜けていく。

 成功をつかむためには常にアンテナを張り巡らせ情報をキャッチし、素早い対応が必要となる。

 彼女とのデートもままならないのが現実だ。

 不況の波が四方八方から押し寄せる昨今の経済事情からしても、悠長に構えていては、瞬時に好機を逃してしまう。

 人員削減のあおりも受け、まだ新人であるはずの宏彦の肩にかかる責任度合いは、思いのほか重く大きい。


 宏彦はネクタイを緩め、大西からのメールを開いて集合場所であるフレンチレストランの場所を確認した。

 今目の前に見える看板がそうに違いない。

 一昔前に建築されたのだろうか。

 ややなつかしいデザインのベランダが山側に並ぶマンションの一階で、その店はひっそりと営業していた。

 店内の各所に設置された白熱灯のオレンジ色の柔らかな光が、秀彦の手元を優しく照らす。

 もしこれが昨今の情報どおり、近い未来に蛍光灯や次世代電球に変わるというのなら、こんなに寂しいことはない。

 宏彦はすぐさま現れた店員に案内され、皆のところに連れて行かれる。

 大西や他の仲間には、今年に入ってからもう何度も会っているが、木戸とは一年以上会っていない。

 野球部のOB会でも、いつもどちらかが都合が付かず、なかなか顔を合わせる機会がなかった。

 そして……。誰よりも頻繁に会っているにもかかわらず、すぐにでも会いたくてたまらない女性がいる。

 毎晩声は聞いているものの、今週は忙しかったため、一週間ぶりに会う婚約者の顔が早く見たくて仕方なかったのだ。

 彼女は決して仕事の愚痴は言わないが、その声を聞くだけで大変そうなのは想像がつく。

 文房具や事務用品を扱う会社に勤める彼女がこの時期多忙なのは、付き合う前からメールで聞かされ、宏彦も把握していた。

 そんな彼女をせっかくの休日に男どもの中に放り込んでしまったことを、激しく後悔していた。

 いくらメンバーが信頼のおける者ばかりであったとしても、彼女の気持を考えれば、無謀だったかもしれないと今さらながら悔やんでもいた。

 少しでも早く彼女のそばに行ってやりたい。そして、彼女のぬくもりを確かめたい。

 宏彦の心の中は、もはや澄香への思慕で溢れんばかりになっていたのだった。


 店の一番奥のスペースから賑やかな声が聞こえる。

 宏彦の視界に真っ先に飛び込んでくる大きな背中は、きっと大西だ。


「遅れてごめんな。よおっ、木戸。久しぶり! 」


 宏彦は大西の背後から声をかけ、向いに座る木戸に近寄り、ポンと肩を叩いた。


「ああ、久しぶり! って、お、おい。加賀屋。こぼれるじゃないか」


 木戸がこぼれそうになるワインを気遣いながら宏彦とチラッと視線を合わせ、あわててワインを飲み干した。


「クッスンと新田も元気だったか? 」


 すでに宏彦の気持は、木戸の彼女の隣に座る澄香へと傾いているのだが、他のメンバーへの挨拶をおろそかにするわけにもいかず、挨拶を続けた。

 大西の隣に並んで座る楠木と新田の近況を訊ねることも忘れてはならない。


「痛ってーー」


 チーム一の強打者だった新田が、宏彦に軽くポンと叩かれただけの肩をさも痛そうに押さえ、大げさに顔をしかめる。


「元気も何も……。いや、今夜は木戸の祝いの席やから、あんまりかがちゃんのことは突かへんつもりやけど。ホンマにおまえ、池坂と結婚するんやな。なんか信じられへんわ」


 思わぬ新田の反撃に、宏彦は思わずその隣の楠木を見た。

 確か楠木も、澄香のことを気にかけていた一人だったと、過去の記憶を蘇らせながら、嫌な予感に襲われていた。


「ホントにまだ信じられないよ。まさかかがちゃんに池坂さんを取られるなんて。あっ、池坂さん。冗談半分で聞いてよね。ぶっちゃけ俺も池坂さんファンの一人だったからさ。さあさあ、そんなところに立ってないで、かがちゃんも座ってよ。仕事、お疲れ!」


 宏彦は少しむっとしながらも席に着き、楠木がねぎらいの言葉と共に注いでくれたワインに口をつける。

 ただこの楠木は博愛主義なところがあり、他にも何人か澄香と同等程度に名を挙げている女子がいたはずだ。

 だから本気で受け止める必用はないのだが、澄香の気を引こうとする男は誰であっても煙たくて鬱陶しいことには違いない。

 宏彦の隣には彼女がいる。ここに来た瞬間から、常に視界の一部に捉え続けながらも、見つめ合うことを遠慮していた彼女が、楠木の迷惑この上ないジョークに笑顔で頷く。

 楠木なんか見るな。新田にも大西にも相槌を打たなくていい。もちろん、木戸とも目を合わせるな。

 宏彦はこの場に彼女を送り込んだ張本人であるにもかかわらず、次々と湧き上がってくる矛盾だらけの嫉妬とおぼしき邪念に、息苦しさを覚える。


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