表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 3 六月の嵐
153/210

19.誘惑 その2

「さくらが言ってたんだよ。前に君の職場の人に世話になっただろ? その人のこと」

「あ……」

「君とその世話になった人のことを、さくらはとても誇らしげにいつも俺に話してくれていたんだ。とても優しくしてもらったって、喜んでいて。だからきっと、その人のところに行ったんじゃないかって、そう思ったんだ。加賀屋に聞けば、このコンビニの近くだと教えてくれて。俺も元は神戸にいた人間だ。だいたいの検討はつくから、とにかくここまで走って来たんだ」

「そ、そうだったんだ」

「池坂が走って行った方角とも重なるし、きっとこの辺りに違いないと思って来てみれば、見覚えのある人がこっちに向かって来るのが見えて……。やっぱり君だったよ。で、さくらは? いたのか? 」


 澄香は木戸の目を見て、いないと首を横に振った。

 澄香が悪いわけでもないのに、木戸にいい返事を届けられなかったことが残念で申し訳なく思う。


「あたしも絶対にここだと思ったんだけど、いなかった。でも、この後さくらさんが来るかもしれないから。あたし、もう少しだけここで待ってようかなって思ってる。コンビニの前だと、屋根もあるし……」


 澄香は上を見て、ここだと濡れないとアピールしてみせる。


「池坂。もういいって。それに君、びしょ濡れじゃないか。いくら六月だと言っても、今日の雨は、春の雨と変わらないくらい冷たい。このままだと風邪をひくぞ」

「んもう、木戸君ったら。子どもじゃあるまいし。雨に濡れたくらい、平気だってば。あのね、木戸君。さくらさん、きっとここに来るような気がするの。だから、もうちょっとだけ、ね? 」

「君の気持は嬉しいよ。でもここに来る確証はどこにもないし、それに、この雨だ。案外、ネットカフェか漫画喫茶にでも行って、時間をつぶしているのかもしれない。あいつ、無類の漫画好きでね」

「漫画好き? 」

「ああ。それも野球を題材にした少年漫画のファンなんだ。きっと独身最後の夜を、大好きなキャラクター達に囲まれて、思いのままに過ごしているんじゃないかと思う。俺にめいっぱい心配させて、後でひょっこりホテルの方にもどってくるってことも考えられる。そうだよ。そんな気がする。おっと、こんなことしてられない。あいつに知らせないと……」


 木戸がポケットから携帯を取り出す。あいつ……。それは宏彦のことだろうか。

 澄香は反射的に木戸の携帯を掴んでいた。


「お、おい。どうしたんだ? 」

「ちょっと待って」

「え? 」


 木戸がきょとんとした顔で澄香を見た。


「宏彦を呼ぶの? 」

「ああ、そうだ。君を一人で家に帰すわけにいかないだろ? 俺が送って行くことができればそれが一番いいけど、そうもいかない。だから……」

「お願い。それだけはやめて。嫌なの。今夜はもう、宏彦に会いたくない」


 それは本当だった。今再び彼に会ってしまえば、また口論を繰り返してしまいそうだったから。

 今夜は会うべきではないと、本能的にそう思ったのだ。


「池坂……」

「こんなこと言って、木戸君を困らせてしまって、本当にごめんね。でも、あたし、今夜は……」


 澄香は木戸の携帯から手を離し、俯いたまま唇をかんだ。


「わかったよ。君の意見を尊重する」

「ありがとう、木戸君」

「でも、加賀屋も相当頑固だからな。本当は君のこと、気になって仕方ないんだよ。さっきも君が行ってしまった後、何度も振り返っていた。そんなに心配なら追いかけろよと言っても、俺は行かないの一点張りで。それで俺だけがここに来たってわけだ。あいつ、俺が連絡したらすっ飛んで来ると思うけど。それでもダメなのか? 」

「う、うん。今夜はどうしても会いたくないの。だから……。ごめんね、木戸君。なんだかあたし、このままここにいたら、木戸君にも迷惑かけちゃうみたいだね。さくらさんも、結局見つけてあげることができなかったし。あたしのことは心配いらないから、木戸君はさくらさんのことだけ、考えてあげてね。あたしは、この後……大通りに出て、タクシーに……乗って……帰る……から」

「池坂? 」

「じゃ、じゃあね。あたし、行かなくちゃ。傘、ありが……とう。車に乗れば、雨に濡れないし、返して……おく……ね」


 木戸に返そうと傘を差し出すが、その手が震えて地面に落としそうになる。


「おい、池坂。どうしたんだ? 大丈夫か? 顔色も悪いし。……寒いのか? 」

「そ、そんなこと、ないって……。ちょっと、濡れた服が……冷たく……て……。大丈夫……。大丈夫だって……き、木戸君? 」


 木戸の腕が澄香の背中に回り、次の瞬間、ぐいっと抱き寄せられる。


「ごめん、池坂。嫌かもしれないけど、俺に身体を預けて」

「木戸君、あたし……」


 一人で歩けるから大丈夫、と思っていても寒さと緊張のあまり声にならない。


「こんなに冷たくなって……。今からタクシーに乗って。君を家まで送るよ」


 澄香は震えながらも、意識だけは妙にクリアになっていく。

 木戸に身体を支えるように片手で抱き寄せられ、もう片方の手で差した傘に守られながら、ゆっくりと歩いていく。

 暖かかった。木戸と重なった部分から、じんわりとぬくもりが伝わってくる。

 思いがけない木戸の優しさに、澄香は次第に身体の力が抜けていくのを感じていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ