17.花嫁の涙 その2
「じゃあ、俺と木戸で探してくるから、おまえは皆と一緒に店で待ってろ。で、場所はどこなんだ? 」
「えっ? ああ。そうね。場所ね。でも……。あたしが行くから、宏彦は皆のところに行ってて。そして木戸君も、別のところを探してくれたらいいし。あたし一人で大丈夫だから」
その方が効率がいい。いちいち説明するより自分が行った方が早いし、チサにも連絡が取りやすい。
「だから、澄香。おまえはもういい。十分にやってくれた。なあ、どこなんだ。早くその場所を教えてくれ」
「池坂。加賀屋の言うとおりだ。もう君は十分だよ。雨もひどくなってきたし、休んだ方がいい」
二人の男性に挟まれるようにして見下ろされ、澄香はいたたまれなくなる。
すれ違う人と傘がぶつかり、あからさまに嫌な顔をされた。
でも、店には行けない。絶対に行けない。
だってそこには、片桐が……いる。
「あたし、やっぱり店には行かない。行けないよ。だって、あの人がいるんだよ? 宏彦に会えて、とても嬉しそうにしてる、片桐さんが」
「まだそんなことを言ってるのか? そりゃあ、澄香の気持もわかるよ。あいつの顔を見たくないっていうのも理解できる。でも、今日はそんな私事でぐだぐだ言ってる場合じゃないだろ? あいつは木戸の結婚を祝いたくて来ただけで……」
「いやよ、いや。絶対にいや。宏彦の口から、あの人のことなんて、何も聞きたくない。なんで前もって言ってくれなかったの? あの人が来るってわかってたら、あたし、絶対に今日、この集まりに来なかった。それなのに、何も教えてくれないで。宏彦にあんなに親しげにまとわりついて……。やっぱり、何も変わってない。宏彦ったら、あの人と別れられないんだ」
ついに言ってしまった。
木戸は余程びっくりしたのかありえないくらい目を見開いて、澄香を傍観していた。
「黙って聞いていれば、何だって? 俺があいつと別れられないってどういうことだ。前にも言っただろ? 俺はあいつとは付き合ってなかったって。だから別れるも何も、最初から関係ない」
「ならどうして、あの人が来たの? 宏彦が呼んだんでしょ? 」
「なんで俺が? なあ、澄香。落ち着けよ。あいつも同じ野球部の仲間だったんだ。後輩の結婚を喜んで何が悪い。俺たちの後輩にも先輩にも、木戸の結婚のことはすべて連絡が回ってるんだぞ。明日は総勢三十人ほどが集結する。ひとつ上の先輩のまとめ役を買って出たのがひとみなんだ。それなのに、何を誤解してるんだ? 澄香は俺を信じられないのか? ひとみは……」
澄香には、もう何も聞こえなかった。
激しい雨音も、行き交う車のタイヤが水しぶきを跳ねる音も。
何一つ、澄香の耳に届かなかった。
ひとみ、ひとみ、ひとみ。
宏彦の口から繰り返される片桐の名前だけが、不快なリズムを刻み続ける。
「宏彦。あたし、さくらさんを探しに行く。そして、しばらく探して見つからなかったら……。木戸君には悪いけど、もう帰らせてもらう」
「澄香。俺が信じられないのか? 」
透明のビニール傘に入りきらない左側の上半身を雨に濡らしながら、宏彦が眉を顰める。
「今夜は無理。宏彦、あなたには何を言っても無理よ。あたしの気持なんか、何もわかってくれない。ねえ宏彦、早く皆のところにもどって。大西君に悪いでしょ? 片桐さんにも……」
「わかった。そこまで言うなら仕方ない。澄香の気の済むようにしたらいい。ただし、明日の式ではわがままは許さない。わかってるだろうな? 」
宏彦の冷ややかな視線が突き刺さる。
明日、皆の前では、結婚を控えた幸せなカップルを装って、木戸とさくらの式に参加しろと言っているのだろう。
「そんなの、言われなくてもわかってる。木戸君。こんな醜いところ見せちゃってごめんね。明日の式は予定どおり出席させてもらうから心配しないで。ふふふ。あたしたち、こういうことだから。木戸君の不安が的中しちゃったかもしれないわね……。さくらさんのこと、何かわかったら連絡する。じゃあ……」
「い、池坂……」
「木戸、放っておけ! 」
澄香を引き止めようと手を伸ばしかけた木戸に宏彦が声を荒げる。
苛立ちを隠せない宏彦と、小走りで駆けて行く澄香の距離がどんどん開いていく。
でも澄香は、そんな不機嫌な宏彦であっても、追いかけて来てくれるのではと微かな期待を抱く。
が、幹線道路を渡りきったところで、その期待はもろくも崩れ去ったことに気付くのだ。
信号が赤に変わっても、向こう側に澄香を追う宏彦の姿はなかった。
背中に当たる大粒の雨が服に滲みこんで来る。
六月の雨は濡れても平気なはずなのに、とても冷たい。
悲しいほど冷たい雨だ。まるで世界中にいる六月の花嫁の涙が、空から落ちてくるようだった。
それでも澄香は走り続けた。
ここまで来れば、チサのマンションまであと少しだ。これくらいの雨なんか、平気。
澄香は自分自身を奮い立たせながら、通い慣れた道を進んでいく。
コンビニが見えて来た。その角を曲がれば、マンションのエントランスにたどり着く。
きっとそこにさくらがいる。
澄香は予感めいたものを感じながら、握り締める傘を持つ手に、ぎゅっと力を込めた。