16.花嫁の涙 その1
「加賀屋……」
木戸が呆然として言った。
「やっぱり……そうだったのか。おい。なんで嘘をつく! 」
宏彦が木戸に意味ありげな視線を送った後、澄香に冷たく言い放つ。
澄香は宏彦の声にビクッと体を震わせ、おどおどしながら彼と目を合わせる。
風向きが変わったのだろうか。
ついさっきまで、傘をさしていれば濡れることなどなかったのに、横から吹き込んで来る雨に頬を打たれ、素足に雨水が跳ね返る。
宏彦は誤解しているのだ。
もちろん木戸に会ったのは、宏彦からの電話を切った後だ。
いや、急に目の前に現れた木戸に気を取られているうちに電話を切ってしまったのかもしれないが、どっちにしろ、宏彦の誤解には違いない。
「宏彦……。あの、あたし。嘘なんかついてない。木戸君は電話の時……」
「澄香。別におまえが木戸と一緒にいようがいまいが、俺はそのことを責めているわけじゃない。二人ともさくらさんを探しているんだ。同じ目的で行動していれば、一緒にいても不思議じゃないからな。俺が言いたいのは、なんであんな見え透いた嘘をつく必要があったのか、ということだ」
淡々と話す宏彦の言葉のひとつひとつが刺々しい。
「あたし、本当に嘘なんてついてないし。木戸君とはあなたからの電話の途中、偶然会って」
「電話の途中? さっきの? 」
「うん。そうだよ」
「なら、どうして電話を切ったんだ」
「それは……」
宏彦が片桐先輩のことを、いろいろと言い訳するから……と言いたかったのだが、喉の奥に留まったまま、言葉に出来なかった。
もしここで片桐の名前を口にしたなら、間違いなく取り乱してしまうだろう。
どうして先輩を呼ぶ必要があったの?
どうして宏彦が先輩に連絡をしなければいけないの?
仲良く腕を組んでいるように見えたのはなぜ?
なぜ、なぜ、どうして、どうして、と宏彦を質問攻めにしてしまうに違いない。
木戸の見ている前で、それも結婚を明日に控えた人物の前で醜聞をさらすわけにはいかない。
澄香は結局何も言えずに黙り込んでしまった。
「あの時、まだ話は終わってなかった。切った後、なんでかけ直して来なかったんだ? その時、たまたま木戸に会って、俺のことなんかもうどうでもよくなった。そうなのか? 」
「そんなんじゃない。あたしだって、宏彦の電話を待ってたんだから。木戸君が実家に帰ってる間、そっちからかけ直してくれるかなって、待ってた 」
「はあ? そっちの都合で切ったんだろ? なんで俺がかけ直す必要がある? それに今、木戸の実家って言ったよな? ほらみろ。やっぱり六アイ(六甲アイランド)にいたんじゃないか。なんではっきりとそう言わない。澄香、なんでだ。俺を困らせて、そんなに楽しいのか? 」
「おい、加賀屋……」
木戸が二人の間に割って入り、宏彦の肩を押さえた。
「なんだよ」
宏彦が木戸を睨みつけ凄む。
「加賀屋。おまえ、いい加減にしろよ。理由はともあれ、そんなことで彼女を責めるな。確かに俺が池坂を見つけたとき、携帯で話している途中だったぞ。だから彼女の言うとおりで、俺はそれまで池坂とは別行動だった。それにしても、いったいどうしたんだ? おまえたち、いつもそんな風にやり合っているのか? 俺も人のことをとやかく言える立場じゃないが、さっきから池坂の様子も変だし……。加賀屋、池坂と何かあったのか? 」
「おまえには関係ない。これは俺と澄香の問題だ」
宏彦が肩にある木戸の手を払いのける。
その瞬間、宏彦の傘から雨の雫がザッと流れ落ち、木戸の手を濡らした。
「ったく、加賀屋。おまえらしくないな」
苦笑いを浮かべながら、木戸が濡れた手を振るう。
「なら訊くが、俺らしさって何だよ。いつも従順で、控え目で、協調性があって? 女にも優しく親切で、紳士的ってか? 笑わせるな。まだ俺に聖人君子を求めるのか? 去年までは、おまえとの関係を壊したくなくて、ずっと自分を抑えてきたけれど、もうそうする必要もない。それなのにどうだよ。こいつがおまえと一緒にいるってだけで、このありさまだ。とても冷静でなんかいられない」
「加賀屋、俺はおまえを困らせるつもりは、ない……」
「もういい。俺だっておまえに頼まれて我慢してきたわけじゃない。すべて俺が勝手にやったことだ。おまえは教え子を選んだ。そして、俺は澄香を……」
「ああ、そうだ」
木戸がどこか遠くの方を見つめ、頷く。
「それより、木戸。早くおまえの彼女を探して来いよ。それとも何か手がかりでも見つかったのか? 」
「いいや、まだ何も。ただ池坂が、何か思い当たる場所があるらしくて。今それを訊いていたところなんだ。場所だけ訊いて、池坂にはおまえたちのところに戻ってもらおうと思ったんだが……。自分でさくらを探すと言ってきかない。そしたら、おまえがここにやって来て……」
「そうなのか? 」
宏彦が怪訝そうに澄香に訊ねる。
「うん。そう……」