2.六月の花嫁 その2
「おお、来た来た! 池坂。ほら、あそこ。見てみ」
待合室から出た大西が、地下鉄に繋がっているエスカレーターを指差す。
昇りのエスカレーターを駆け上がってこっちに向かって来るのは、眼鏡の楠木と、背の高い新田だった。
高校時代とあまり変わっていない二人に、澄香はほんの少し安堵した。
「遅くなって、ごめん。って、おいおいおい。池坂さん? 池坂さんだよな。久しぶり。俺のこと覚えてる? 」
眼鏡の楠木が自分の鼻を指で指しながら、澄香ににじり寄る。
「こらクッスン。どけや。ねえ、池坂。俺のことはどう? 覚えてる? 」
「に、新田君、だよね? そして、あなたは楠木……君」
澄香はあまりにも距離を縮めてくる二人に、一歩二歩と後ずさる。
「おおっ! 覚えててくれたんや。俺ら、一年の時、同じクラスやったよな。へへへへっ……。クッスンなあ、実はあの時、池坂のこと、好きやった……うが、うが、うが……」
こら、余計なこと言うなと、眼鏡の楠木が新田の口元を乱暴に押さえる。
「やめろや! おまえら来るなり、何やっとーねん。昔のことはもうええから。おまえらが絶対にかがちゃんか池坂を連れて来てくれ言うから、今日は無理言って池坂に来てもろてるのに。ホンマ、ええ加減にせえや! 」
大西が調子に乗る二人をたしなめる。
こういう時、恰幅のいい容姿が、最大限に効果を発揮する。
彼らの前に立ち塞がった大西が頼もしく思えた。
「わ、悪かった。ごめんな、池坂。そうか、やっぱり大西の言うとったこと、ホンマやってんな。まさか、かがちゃんが池坂狙いやったとは、高校時代は愚か、その後も全然気付かへんかったわ。おい、クッスン。これできっぱりあきらめられるよな。わかったか? 」
「だから、新田。それは昔のことだって言ってるだろ? 俺は、俺は……。もう、何とも思ってない……から……」
そう言って、鼻をグスグスさせながら、眼鏡の楠木がピンクの薔薇の花束を澄香に差し出した。
「えっ? こ、これは……」
目の前に突き出された花束に澄香はぎょっと目を見開いた。
久しぶりに会った楠木に、こんなものをもらう理由なんてない。
「クッスンのアホっ! ごめんな、池坂」
新田が楠木の頭をパコッと叩き、薔薇の花束を奪い取って、大西に渡した。
「これは池坂にあげるために買うたんと違うんや。ホンマ、ごめん。初めて会う木戸のカノジョに、歓迎のしるしに渡そうと思って、大西の依頼に従っただけなんや。カノジョ、まだ学生なんやろ? 若いって聞いとったから、ピンクの薔薇と、白いカスミソウの取り合わせで花束作ってもろてんけど、こんなんでええかな? 」
新田が申し訳なさそうに澄香に弁明した後、大西に自信なさげに訊ねた。
「おお、サンキュー。俺は花のことなんかわからへんから、おまえらに頼んだんや。どうや、池坂。これやったらええやろ? 木戸のカノジョ、喜んでくれるやろか」
大西が手にした花束を興味深げに覗き込みながら、澄香に同意を求める。
「う、うん。きっと喜ぶよ。とてもいいと思う」
澄香はホッと胸を撫で下ろす。
楠木のどっきりパフォーマンスには驚かされたけど、さくらにプレゼントするなら、ぴったりだと思った。
「あのね、木戸君の彼女、さくらさんって言うんだけど。この花束のイメージどおりの清楚な感じの女の子なの」
「へえーー。池坂、木戸のカノジョのこと、知ってるんや」
三人の男性が一斉に澄香に視線を向けた。
「ええ、まあね」
さくらを知った経緯はあまり詳しく話したくはないが、この後彼女に会えば、知り合いであることがばれてしまうのも時間の問題だ。
先に知られたことで、少しだけ肩の荷が下りたような気がする。
「でも……。木戸も、よく踏ん切りをつけたよな。木戸が池坂と付き合ってなかったって言うのは、大西に教えてもらったけど。木戸は池坂のこと、本気で好きだったはずだ。でも、その池坂と結婚するかがちゃんとも親友のままなんだよな……。いろいろと複雑だな」
楠木がぼそっとつぶやいた言葉が、澄香の胸にチクリと突き刺さった。
もちろん、けんかをしたわけでもなく、今までどおり二人が親友でいるのはほぼ間違いない。
でも、今回の結婚のことで木戸とコンタクトを取っている宏彦の姿を何度か見たが、必用最小限の会話しかしないし、いつも木戸から連絡が来るのみで、宏彦がアクションを起こすところは一度も見たことがない。
もともと二人の関係はそういうバランスだったのかもしれない。
しかし澄香は、自分の存在が二人を隔てる引き金になった可能性は否定できないと思っていた。
「クッスン。もうそれくらいにしとけ。そんな昔のこと掘り返されたら、池坂かて、困るやろ? さあ、そろそろ新大阪行きがホームに着く頃や。改札に行くで」
大西が花束を肩にかついで先頭を歩き始めた。
澄香はさくらに会えるのを心待ちにしながらも、木戸との再会がやはりどこか気まずいものであることには変わりなかった。
出来ることならば、今すぐにでもここから消え去りたい。
それが無理ならば、せめて。
せめて、宏彦にそばにいてもらいたかった。
澄香は、すーっと息を吸い込み、閉じた口の小さなすき間からゆっくりと吐き出す。
どうにか気持が落ち着いたのを確認すると、背の高い新田に隠れるように身を潜め、最後部をとぼとぼと歩いて行った。