9.アイシテル…… その5
「わかった。おまえの言うとおりにするよ。花倉に協力してもらって、彼女を呼び出す。それでちゃんと俺の気持を伝える。それならいいだろ? 」
宏彦の企みなど知る由もない木戸は、告白に向けてのレールを着実に延ばしていく。
「花倉? ああ、あいつのことだな」
「そうだ。花倉は気さくな性格の上に口も堅い。それくらいなら助けてくれると思う。いくらなんでも、いきなり池坂を呼び止めてってのは、俺にはハードルが高すぎるしな」
木戸は照れ笑いを浮かべ、ポリポリと頭をかいた。
「それで。計画実行日はいつだ? 」
「なるべく早くするよ。今週中には必ず……」
「そうか。健闘を……祈る」
木戸がきりっと口元を引き締め、ああ、と言って頷いた。
「加賀屋。ありがとう。やっぱりおまえに相談してよかった」
礼を言われた宏彦は、どこか居心地の悪さを覚えていた。
依頼を断ったにもかかわらず感謝されるのは、あまり気分のいいものではない。
「なあ、加賀屋。この結果がどうでようと、俺はこれから先も何も変わらないから。もしうまくいって、池坂が俺の彼女になったとしても、おまえとの関係ももちろんこのままだし、野球への気持も今まで以上に前向きになって突き進むつもりだ。ダメだった時は……。潔くあきらめるよ。だからと言って、彼女をすぐに忘れるなんてことは、きっとできないと思うけどな。彼女に受け入れられなくても、遠くから見守っていくくらいは、許せるよな? 」
「木戸……」
うまくいかなかった時のことまでシミュレーションする木戸に、彼の澄香に対する本気の姿を見たような気がした。
「なあ加賀屋、そんな顔するなよ。言い方が悪かったかな? 間違ってもストーカーまがいの行動はしないさ。安心しろ」
「あたりまえだ。そんなことしてみろ、野球部にもいられなくなってしまう。でもおまえ、そこまで池坂のことを? 」
宏彦は木戸の思いの深さに驚くと同時に、自分には勝ち目はないかもしれないと感じ始めていた。
「俺も自分自身が信じられないんだ。こんなに人を好きになるなんて、今まで想像すらしたことがなかった。俺、彼女を好きになって、よかったと思ってる。彼女の笑顔を見ただけで、毎日がめちゃめちゃ充実するし、野球も楽しくて仕方ないんだ」
「木戸、おまえ……」
「お、おい、加賀屋。なにマジになってるんだよ。なんか、恥ずかしいじゃないか。こんな野球一色の俺にもそんな気持があったって気付いただけでも進歩ってことで……。この話、もしうまくいったら、次はどうやって付き合っていけばいいのか、いろいろ教えてくれ。おまえは経験豊富だしな」
「何の経験だよ、ったく……。俺は、おまえに自慢するようなことは何もないよ」
宏彦は自分の経験など取るに足らないものだと一笑に付す。
親の転勤でイギリスに滞在中にはブロンドの女の子と付き合ったこともあった。
学校のカフェテリアで一緒に食事をして、ボランティアに参加して。
お互いの家に招待し合ったりメール交換をしたりもした。
休日には公園で散歩をして、手を繋ぎ……。
夢にまでみた初めてのキスの時、ヘタだと言われて傷ついたこともあった。
中学生の恋愛など、どこの国でも同じようなものだ。
日本に帰る日、行かないでとあれほど空港で泣き崩れていた彼女も、ハイスクールに通いだしたとたん大学生の彼氏が出来て、幸せな日々を送っているとメールが来た。
元恋人に対してそんなことまで詳細に知らせてくる彼女に、宏彦は少なからずショックを受けたが、澄香のことしか考えられなくなった今では、彼女の顔すら思い出さなくなっている自分に驚いたりもする。
「じゃあ、片桐先輩はどうなんだよ。休みの日にはデートしてるんだろ? 」
「デート? 彼女と会うことはあるが、デートじゃない。日本に帰って来た時に、同じような境遇の家族がいると言って親父の会社の人に紹介されて。家族ぐるみの付き合いはあるが、俺はひとみを特別な相手だとは思ったことはない。恋愛感情は一切ないよ。他の部員はともかく、おまえにまでそんな風に思われていただなんて、心外だ」
片桐が自分に好意を持っているだろうことはそれとなく気付いてはいる。
けれど、彼女に期待を持たせるような言動を取ったことは皆無だし、付き合う気などさらさらない。
「あははは。おまえも頑固だよな。先輩とはいえ、彼女はあのとおりきれいな人だし、頭脳明晰で、マネージャーとして野球部にはなくてはならない存在だ。そんな人にあれだけ気に入られているのに、残念だな。おまえ、バチが当たるぞ」
「バチか……。罰ならもうとっくに当たってる」
そう言って苦笑いを浮かべ、さっきからすこぶる機嫌のいい木戸を見た。
「はあ? どんな罰だよ。苦しんでるようには見えないけどな。うーん、おまえが被る災難は、多分、後悔だな。将来、先輩が他の男に取られて、その時はじめて逃した魚の大きさに気づくんだよ」
それは片桐ではなく、澄香が木戸という別の男に取られるのだ。
彼女が手の届かないところに行ってしまう。
宏彦にとって最高に重い罰を今まさに受けようとしていることを、目の前の男は知らない。
「さあ、加賀屋も食えよ。今日は、俺のおごりだって言ってるだろ。もう一枚ずつ追加しておくぞ。腹ごしらえして、彼女獲得の決戦に備えるとするか」
くったくのない笑顔で、木戸がパクパクと食べ始めた。
それにつられるようにして宏彦も一切れ、また一切れと、柔らかく焼きあがったお好み焼きを口に運ぶ。
こんなにも自分を信用して、澄香への思いを隠すことなくすべて語ってくれた木戸を、はたして裏切ることが出来るのだろうか。
宏彦は自分自身の腹の奥に潜むどす黒い野心が次第に勢いを失くしていくのを感じていた。
帰宅してからも、宏彦は携帯に登録した澄香の家の電話番号を眺めては机に置きを繰り返し、実際に通話ボタンを押すことはなかった。
木戸が言ったあの言葉が、何度も宏彦の脳裏をかすめるのだ。
彼女を好きになってよかった……。彼女の笑顔を見た日は充実してるし、野球も楽しい……。
木戸の言ったことはすべて、今の宏彦に当てはまるものばかりだった。
そんな木戸を差し置いて、抜け駆けもどきの行動を取ってもいいのだろうか?
それがスポーツマンのやることか?
宏彦は、苦しみながら自問自答を繰り返した。
澄香を好きなのは自分も同じ。宏彦は木戸に負けないくらい澄香のことが好きな自信はあった。
でも、木戸はそれを正々堂々と語り、宏彦の立ち入る隙のないくらい、見事に彼女を好きだと言い切った。
一夜明けて、宏彦が出した答えは……。
木戸を裏切ることは出来ない。それだけだった。