8.アイシテル…… その4
「頼みたいこと? 」
「ああ」
「言ってみろよ」
宏彦は、煮え切らない態度の木戸に、半ばあきれたように訊き返す。
「おまえから彼女に。その……。俺の気持を伝えて欲しいんだ。俺、自信ないし……」
「はあ? 俺が池坂に、お前の変わりに告白しろとでも言うのか? 木戸が池坂のことを好きだと言ってました、だから付き合ってやって下さいって? 」
「いや、そこまであからさまに言わなくても。俺が池坂のことを、その、一年の時からずっと気になっているんだと知らせてくれればいい。それと、池坂が俺のことをどう思っているのか。それだけ訊いてくれたらいいんだ。加賀屋、頼む。このとおりだ」
木戸がごつごつした大きな手を合わせ、坊主頭を深く下げる。
宏彦より一回り大きい身体が、椅子の上できゅっと縮こまった。
どれくらいの時間、そんな木戸の情けない姿を見ていたのだろう。
宏彦は迷うことなくすでにひとつの答えを導き出していたが、それを口にすべきかどうか迷っていた。
他でもない木戸の頼みなのだ。本当ならば、何をおいても叶えてやりたいのだが、こればかりは宏彦には無理な相談だった。
「加賀屋、頼むよ」
木戸がすがるような目をして宏彦を見た。そして……。
「断る」
親友でありながら、なんと冷酷非道な返事をするのだろうと、客観的に自分を判断しながらも、宏彦はきっぱりとそう言った。
落ち着いた声だったと思う。呆然としている木戸の頭上を、何ものにも邪魔されずに真っ直ぐに突き抜けていくような、ストレートな返事だった。
「え……。なんで、ダメなんだ。こんなこと、おまえにしか頼めないのに……」
手を胸の前で合わせたままの木戸が心もとない視線を宏彦に向ける。
頼みの綱が切れたことが、相当なショックだったようだ。
「いくらおまえの頼みでも、それだけは出来ない」
宏彦はもう一度はっきりと、自分の下した判断を木戸に伝える。
たとえそれが一番の親友の頼みであっても、宏彦は首を縦に振ることは出来ない。
宏彦の口から澄香にそんなことが言えるわけがない。
もし木戸が、どうしても自分では言えない、何が何でもおまえが言ってくれと我を通すのなら……。
宏彦はきっと言ってしまうだろう。池坂、おまえが好きだ、木戸ではなく、俺がおまえを好きなんだ……と。
「そうか……。やっぱり、ダメか。そうだよな。おまえならそう言うだろうな」
「……ごめん」
宏彦は今まで木戸に示された数々の友情の証を思い出し、胸が痛んだ。
こんな時に力になれない自分が、人でなしのようにすら思える。
「いや、いい。俺の方が悪かった。こんな勝手なことをおまえに頼むなんて、俺、どうかしてるよな」
男も惚れるほどの精悍な顔立ちを臆することなく崩して、木戸がくしゃっとはにかむ。
「なあ、木戸。そんなにあいつのことが好きなら……」
そこまで言って、宏彦は口を閉ざしてしまった。
脳裏には廊下で彼女とぶつかった時の光景が、次々とフラッシュバックしていく。
このままだと、木戸の気持に彼女が応えてしまうかもしれないのだ。
これでいいのか? 本当に? 宏彦は自分自身に問いかけてみた。
木戸は確かにいいやつだ。部員の信頼も厚く、野球に取り組む姿勢は見習うべきところが多い。
宏彦が怪我をした時も、親身になって練習に付き合ってくれた。そういうやつだ。
そんな思いやりあふれる木戸を嫌う理由はどこにも見つからない。
もし彼女に好きな人がいなければ……。木戸が思いを遂げるだろうことは、火を見るより明らかだ。
いや、彼女自身もすでに木戸に心を寄せているのかもしれない。
校舎とテニスコートを行き来する時、彼女たちテニス部員は必ずグラウンドの一角を横切る。
そしてこっちを見ている澄香の視線を、始業式以降、なんとなく感じることがあるのだ。
宏彦は自分を見てくれているのかと自惚れたりもしたが、つい最近まで名前すら憶えていなかった彼女のことだ。
そんな都合のいいことが起こり得るとも思えない。
彼女の視線が、いつも宏彦と一緒にいる木戸を追っているのだとすれば、その謎も解ける……。
宏彦はテーブルの下で拳を作り、きつく握り締めた。
そして大きく息をして、木戸を見る。
「自分で言えよ。自分の口ではっきりと言え。その方が、彼女も混乱しなくていい。おまえの想いが真っ直ぐに伝わるはずだ……」
木戸が彼女に告白するとすれば、今夜すぐにというのは木戸の生真面目な性格上ありえない。
明日かそれ以降になるだろう。ということは……。
このあとすぐにでも彼女の家に電話をかけて、近所の公園かコンビニに話があると言って呼び出せばいい。
携帯のアドレスは知らないが、家の電話番号なら調べればわかるはずだ。
そして、自分が木戸より先に告白するのだ。そうだ。そうしよう。
そうすれば、彼女の気持を先に捕まえられるかもしれないじゃないか。
それがだめでも、二人からほぼ同時期に告白されたりすれば、澄香もどちらか一方に決めることが出来ずに、この話は結論を見ずに終わることもあり得る。
そうなれば。少なくとも、彼女が木戸のものにならなくてすむのだ。
宏彦は隠された自分の卑劣な二面性の存在に愕然としながらも、木戸への裏切り行為の策略を、密かに練り始めていた。