7.アイシテル…… その3
昨日の夕方、部活の帰りに、珍しく木戸が夕食をおごると言って宏彦を誘ってきたのだ。
大方、澄香のことで何か相談があるのだろうと予想はついていたが、木戸の澄香への狂おしいほどの思いを考えるだけで、宏彦はひどく気が重かった。
立ち寄った店は、中央高校の生徒なら誰でも一度は行くというお好み焼きの店だった。
大きなメインの鉄板を囲むように十人くらいが座れるようになっていて、壁際には小さな鉄板つきのテーブルと椅子がいくつか並んでいる。宏彦はそこに木戸と向かい合って座った。大きな男二人がそこに座ると、鉄板が小さく見える。
水滴で曇ったグラスの水を一気に飲み干した木戸が、意を決したように口を開いた。
頬は幾分紅潮し、視線は定まることなくあちこちに動き回る。宏彦は、いまだかつてそこまで落ち着きのない木戸の姿を見たことがなかった。
「なあ、加賀屋」
木戸の上ずった声が、宏彦にまで緊張をもたらす。
「なんだ」
宏彦は大きく息を吸い込み呼吸を整え、何食わぬ顔を装って木戸の言葉を待った。
「俺、夕べもずっと考えていたんだ。やっぱり、おまえのクラスの池坂と、付き合いたい」
「そうか……」
宏彦は予想通りの流れに言いようのないほどの空しさを覚えながらも、木戸に悟られないよう薄く微笑んでみせた。
「で、どうするつもりだ」
宏彦は腕を組み、木戸に訊ねた。
「もちろん、彼女に俺の気持を伝えようと……思っている」
木戸がまだ何も乗っていない目の前の鉄板を見ながら、そう言った。
「一年の時はクラスも一緒だったし、いつでも彼女の姿を見ることが出来た。席が隣になった時は、毎日が天国のように思えたよ。今は教室も離れてしまったし、全く会わない日もある」
「ああ。俺の教室は三階、おまえは二階だもんな。俺だって二階の奴には、部活以外、めったに会わないな」
木戸がここまで重い恋愛病に罹っているとは思わなかった。
彼女に恋をした男は皆こうなってしまうのだろうか。宏彦は自分と重ね合わせ、苦笑する。
「なあ加賀屋。彼女、誰か付き合ってる奴でもいるのかな? 学校ではそんなそぶりを見せないけど、実はこっそり誰かと付き合ってるってこともあるだろ? おまえ、池坂を見てて、どう思う? 」
宏彦はいつもと違う自信なさげな木戸の様子に面食らう。
野球部のメンバーたちが、好きな女子やグラビアアイドルの話で盛り上がっている時も、木戸は常に冷静で客観的な立場を貫いていたはずだ。
次第にエスカレートする部員たちの騒ぎを抑える役割に徹していた木戸が、今回ばかりは違った。
その辺の男どもと同じような腑抜けな顔をして宏彦にすがりついてくる。
「どうだろう。特定の相手はいないように思うけどな……」
確かに校内の決まった男子と親しそうにしている様子はない。
たぶんフリーだ。が、しかし……。それも時間の問題であるだろうことは容易にわかる。
すでにクラスの数人の男子の視線が彼女を追っているのは周知の事実でもあるし、クラス一の美人は池坂だという噂も宏彦の耳に届き始めていた。
「おい、加賀屋……。おまえ、何か隠してるんじゃないのか? 遠慮せずに言ってくれ。もし彼女に決まった誰かがいるのなら、俺、あきらめるし」
一瞬にして木戸が弱気になっていく。
宏彦も澄香のことはいろいろ気になっているが、かといって、彼女に直接プライベートなことを訊くほど親しいわけでもない。
隠すも何も、彼女のことは何もわからないというのが、真実だ。
「俺は何も隠してないよ。というか、俺、池坂のこと、そんなによく知ってるわけじゃないしな」
「おい、ちょっと待て! なんだよ。今ごろになってそれはないだろ? おまえたち、小学校からずっと一緒だと言ってなかったか? 家も近いし、幼なじみみたいなものだと思っていたけど。違うのか? それとも俺に遠慮して、おまえが実は池坂と親しいってこと、隠してるんだろ? 」
木戸が、まるで宏彦を疑うような目つきでこっちを見る。
以前にも、澄香のことをどう思っているのかと、探りを入れて来たことがあった。
宏彦が実は澄香とこっそり通じているのではないかと、木戸が疑っているふしがあるのだ。
「だから、それは絶対にない。母親同士は仲がいいみたいだが、俺はあいつとは、今までまともに話すらしたことがないんだ。始業式の日、あいつときたら……。俺が加賀屋だってこと、知らなかったみたいでさ。あんた誰? みたいな目で見られた。昔なじみとしては、あれはきつかった。結構ショックだったぞ」
宏彦は椅子の背にだらしなくもたれかかり、自虐的な笑みを浮かべる。
「そ、そうなのか? 本当に? 」
「本当だ。だから、池坂が誰とどんな付き合いがあるのかまで、俺にはさっぱりわからない」
その一言で疑惑が晴れたのか、木戸の頬が再び紅潮して、満足そうに目を細めた。
「今は、クラスの女子数人といつも一緒にいる。皆からマキと呼ばれているしっかりした奴と一番仲がいいんじゃないかな」
「ああ、あいつか。知ってるよ。おまえのクラスの副委員長だろ? 」
「そうだ」
「ということは、まだ誰とも付き合ってないのかな……」
木戸が何かを考え込むようにして黙り込み、たった今店員が運んできたばかりの出来立てのお好み焼きに視線を移す。
自分で焼くことも出来るが、今回は店主が焼いたものを頼んだ。
すでにソースと青海苔がトッピングされていて、すきっ腹には酷な、美味そうな香りをあたりに振りまいていた。
「なあ、加賀屋。おまえに頼みたいことが……あるんだ」
俯いたままの木戸が、尻込みしたように小さな声でぼそぼそと話す。
遠慮がちに。そして控えめに、そんなことを切り出す。