7.杏露酒のソーダ割り その2
「澄香ーー。元気やった? こっちこっち」
そう言って、座布団を叩いて澄香を呼ぶのは南加津紗だ。
「遅かったね。どうしたの? 何かあった? 」
今度は色白の島野由布子が、加津紗の横から首をのばして心配そうに訊ねる。
澄香は、他のクラスメイトがそんなにも自分に注目していないことに安堵を覚えながら、加津紗の横にスカートの裾を整えながら腰を下ろした。
そして、反対側の大西の隣にいる人物に再び笑みを向けられる。
さっきの野辺沢だ。
「やあ、池坂。なかなか入ってこないから心配してたんだよ。そうだ、大西。場所変わってよ」
澄香の右隣で胡坐をかいて腰を落ち着けたばかりの大西が、にっと笑う。
「別にええけど? まあ、なんと言っても、かがちゃんのおらへん我がクラスでは、文句なしにのべ太が注目度ナンバーワンやからな。池坂狙いは他にもようけおるけど、今日は初参加ののべ太に譲るわ」
必要以上に大きな声を出す大西の問題発言に、周囲の女子たちがざわつく。
いくら冗談とはいえ、澄香はいたたまれなくなる。
もちろん、女子のクラスメイトも悪気はなく、遊び半分に澄香を冷やかしているだけなのだが。
「澄香。あんたほんまにきれなったね。カレシ、おるんでしょ? だったら、うちらにのべ太君、譲ってよ」
のべ太の腕をがっしりと握り、彼女たちが席の移動を阻止しようとする。
「ホンマやわ。かがちゃんも噂のカノジョ連れて来るって言うし、のべ太まで独り占めされたら、あたしら、いっこもおもしろくないもんね」
澄香が来る前に乾杯が終わっていたのだろう。
みんなが思い思いの飲み物を手にしながら、野辺沢をめぐって、争奪戦が繰り広げられている。
ついに座席交換も実現しないまま、野辺沢は女子たちに取り囲まれてしまった。
「ねえねえ、澄香。何飲む? このページのドリンクやったらどれでもええんやて」
来るなりのべ太騒動に巻き込まれてしまった澄香を気遣って、メニューを広げた加津紗が横から声をかけてきた。
「あ、そうだね。ありがと。えっと、じゃあ、杏露酒のソーダ割りで」
「あたしも同じの飲んでるよ。最近、これにはまってて。もう一杯たのもかな? すみません、杏露酒のソーダ割り二つ」
すかさず店員を呼びとめ、加津紗が注文してくれる。
おっとりしているように見えて、気配りも出来る加津紗は、地元の短大を卒業したあと、子ども達に囲まれて保育士として働いている。
日に焼けた肌が隣に座る由布子とは対照的だ。
さっきの女子たちとまだ問答を続けている野辺沢を尻目に、大西がオッホンと咳をして、のっそりと立ち上がった。
「ええ、皆さん。ちょっと静かにしてな。さっきの乾杯の時はまだ来てなかったメンバーを改めて紹介したいと思てます」
「いいぞ、大西! 」
みんなの拍手と声援が大きくなる。
澄香は、いやな予感を抱きながら隣の大西を見上げた。
宏彦の彼女が自分だというのは、大西もクラスメイトもまだ知らないような雰囲気なのだが、あくまでも推測の域を出ない。
今この場で、宏彦が不在のまま真実が暴かれたとしたら、どうすればいいのか。
澄香の心臓は、ますます激しくバクバクと暴れまわる。
それにしても宏彦はどうしたのだろう。
何か、忘れ物でもして取りに帰ったのだろうか。
それとも。
まさか、彼の家族に何かあったとか。
澄香は次第にいても立ってもいられなくなる。
あとで加津紗に携帯を借りて、宏彦に訊いてみよう……。
いや、それはだめだ。
加津紗のそばで宏彦に電話をかけるなんてできない。
それをするなら、すべて事情を話さなければならなくなる。
ではいったいどうすれば。
「……というわけです。初参加の野辺沢君に拍手。そしてもう一人。次はお馴染、池坂さんです」
おい池坂、早よ立って、という大西の催促の声にやっと我に返った澄香は、慌ててその場に立ち上がり、遅れてごめんなさいと頭を下げた。
そして簡単な挨拶を済ませ、拍手と共に座ろうとしたところ、突然誰かが、池坂おめでとうと叫んだのだ。
皆の視線が一斉に澄香に注がれる。
なんてことだろう。
やっぱりばれていたではないか。
澄香の頬が引き攣り、いつものくせで左手の薬指を隠すように手を重ねた。
ところが、そこに指輪はなくて。
こんなこともあろうかと今日は指輪をはずし、バッグの中にしまっていたのだと思い出す。
でもいつまでも黙っているわけにはいかない。
今はここにいない宏彦だって、澄香と同じ意見のはずだ。
何も悪いことをしているわけではないし、宏彦にあこがれている加津紗だって、きっとわかってくれるだろう。
澄香は口を引き結び真っ直ぐに顔を上げ、クラス内ではお調子者で名が通っている掛け声の主である中田の方を見た。
中田は追い討ちをかけるように、さも得意げに話を続ける。
「なあなあ、池坂。木戸と結婚するんやろ? すごいやん。これぞまさしく純愛やなあ。貫かれた初恋。ええ話やな、うらやましいーー」
その瞬間、澄香の耳には、すべての音が遮断されたように、何も聞こえなくなった。