3.ピローな作戦会議 その2
クラス幹事は、半永久的に宏彦とマキと言うことに決まっているはずなのに。
一般的には考えられない決め方かもしれないが、このカリスマ性を備えた二人を幹事というポジションに据えておけば、一生クラスの団結がゆるぎないものになるという意味合いがそこにあるのだ。
もちろん、仕事や家庭の事情で幹事業務に支障が出れば、その時は皆でカバーし合うというのも暗黙の了解だった。
現に、誰かれとなく、多忙な二人をクラスのみんなで支えてきたのは紛れもない事実だった。
やはりそれでも幹事という役割は、彼にとって負担を感じるものだったのだろうか。
それとも……。まさか海外転勤が決まったとか?
日本にいられないとなると、たとえ名前だけの幹事であっても、続けていくのは無理かもしれない。
澄香の心が俄かにざわつき始めた。
「おい、なんでそんなに驚いた顔してるんだよ」
宏彦のもう一方の手が澄香の髪をいたずらっぽく、くしゃっとかき混ぜる。
「だ、だって。急にそんなこと言うんだもの。転勤とかあるのかなって、そう思って」
「それはまだ大丈夫だ。来年度はどうなるかわからないけど……。そうじゃなくて、これからますます仕事も忙しくなるだろうし、いつも皆に迷惑をかけてばかりで、俺だって心苦しいんだ。名ばかりの幹事じゃ、皆にも悪いだろ? 大西にもそのことは言ってある」
「そっか……。そういうことなら、そろそろ幹事を替えてもいいかもね。よく考えてみると、ずっと同じってのも変だよね。他では、あまり聞いた事ないし」
転勤ではなかった。
結婚前に離ればなれになることは避けられたようだ。
「ああ。だから、それも明日決めることになると思う。花倉も辞めたいって言ってたしな」
「マキも? 」
確かにマキも多忙を極めている。
いつも澄香や他の女子が手伝っていた。
「うん。花倉もあのとおり、忙しそうだからな。いっそ大西にやってもらうってのもいいかもしれないと思っている」
「そうだね。それ、いいかも。じゃあ、女子は? 」
澄香は少し心配になっていた。
自分が推薦されたらどうしようと。
職場は神戸だし、残業もほとんどない。
いつも同窓会に顔を出し、暇人の認定印を押されている可能性は大だ。
「誰がいいかな……。責任感のある誰かを、花倉に指名してもらえばいいんじゃないか? 」
そうか、その手があったかと胸を撫で下ろす。
マキが指名するのなら大丈夫だ。
結婚するのを知っているマキなら、間違っても澄香を後任に推すことはないだろう。
澄香は完全に不安を拭い去ったわけではなかったが、こんなことを気に病んでいても仕方ないと開き直る。
「次の幹事がうまく決まるといいね」
「ん……」
疲れているのか、宏彦はかろうじて聞き取れる程度の小さな声を返してくる。
でもこのまま寝てもらっては困る。
もっと大切な話があるではないか。
そこにできるだけ触れたくないと思うのは、澄香とて同じだったが……。
「ねえ、ひこちゃん。一番大切なこと。まだ決めてないよ」
「ああ……」
「もし、大西君たちが、その……。あなたの彼女の話を持ち出したら、どうすればいいのかな……」
「俺の彼女の話を持ち出したら、その時は」
宏彦が急に目を見開く。
「その時は? 」
その一瞬、澄香にも緊張が走った。
「正直に言うしかないな。俺たちのことを」
彼はきっぱりと言い切った。
「こうなったら、仕方ないだろ? なんで俺が、あいつらに全部おごらなきゃならないんだ。全員分プラス、フリードリンクの枠以外の追加の酒代を入れたら、俺の手取りの給料のほとんどが消える勘定になる。それだけの金があったら、新婚旅行の資金に充てた方がいいだろ? 」
「うん。その方がいいとは思うけど……。そうだね、いつまでも隠してはおけないものね」
「ああ。あの時は、こうなることまで深く考えてなかった。澄香に俺の本当の気持に気付いて欲しくて、勢いで彼女がいるなんて言ってしまったんだ。澄香に向かって言ったみたいなものだったんだ。何としても隣にいる大切な人に振り向いてもらいたくて、祈るような気持ちで宣言した。本当に澄香を皆に紹介できたら、どれだけ幸せだろうって、そう思っていた」
「宏彦……」
「よし。こうなったら、あいつらが羨ましがるくらい、俺たちの熱いところを見せ付けてやろう。どうだ? いい考えだと思わないか? 」
宏彦が澄香の手をこれまでにないくらい強く握り締めてきた。
「そ、そうだね。それもいいけど……」
「いいけど? なんだよ。嫌なのか? 」
「そうじゃなくて。あなたのファンの子もいるし、その人たちに、ちょっと悪いかなって……ね? 」
「ファン? 何だよ、それ……。なあ、澄香。俺たちいくつだと思ってるんだ? 十代のあの頃とは違うんだぞ。分別もつくちゃんとした大人だ。そんなことで騒ぐ奴がまだいるとは思えない」
「それはそうだけど……」
「正々堂々としてれば大丈夫だよ。俺の彼女は澄香だと宣言してやる。それに、おまえが思うほど、女にモテた記憶もないぞ。口ではそれらしきことを言っていても、みんなちゃんと相手がいるしな。それを言うなら、澄香の方がよほど心配だよ。男どもが言うには、クラス一の美人は澄香らしい。俺はそうは思わないが……」
「え? どういう意味? そりゃあ、あたしなんて、地味だし、メイクだってへたっぴだし」
「俺の中では澄香は学年一だよ。いや、学校一だ。澄香以上にきれいな人に俺はまだ出会ったことがない」
「ひろひこ……」
繋いでいた手を離して、宏彦の腕が澄香の首の下を通り、そのまま抱き寄せられる。
澄香は、胸の奥がキュンと鳴ったような気がした。
こんなにも彼が頼もしいとは思ってもみなかったのだ。
俺の彼女だと、ためらうことなく皆の前で紹介すると言う。
そして、今まで聞いたこともない美人ランキングに、最大限の身内びいきを付加してくれた。
澄香は言葉では言い表せないほどの幸福感に包まれながら、瞼を閉じた。
宏彦は腕に力を込め、澄香は誰にも渡さない、俺だけの澄香……などと、尚も乙女心をくすぐり歯の浮くような台詞を言い続けている。
おい、澄香。澄香、起きろと何度も名前を呼ばれ、身体を揺り動かされたような気がしたが……。
至福の喜びに包まれた澄香は、いつしか心地よい安堵のさざ波にゆったりとのみ込まれ、深い眠りに落ちてゆくのだった。