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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 1-4 青春酸歌
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53.早く俺の前から消えてくれ その2

「俺だって、澄香にどれだけこの気持を打ち明けたかったか。でも俺が木戸を裏切れないのは、片桐さん、あんたが一番よくわかっているはずだ。澄香に対してメール以外の行動を起こさなかった俺に、別の彼女がいると思っていたんだよ。そんな澄香に罪はない。誰もが先輩みたいに、すぐに相手に気持を伝えられるとは限らないし、一生誰にも想いを告げず胸の奥底に秘めたまま生きていく人だって、この世の中にはいっぱいいるんだ。あんたに俺たちのことをとやかく言われる筋合いはない。わかったら、早く俺の前から消えてくれ。もう話すことは何もない」


 宏彦はタクシーを止め、片桐の腕を掴み中に押し込める。


「宏彦、何するの? あたしは……」

「すみません、烏丸まで行って下さい」


 片桐の言うことなど全く耳を貸さず、宏彦は上半身をかがめ、乗務員に行き先を告げる。

 そして、ポケットから折りたたんだままの紙幣を取り出し、片桐の膝の上に置いた。

 ぽかんと口を開けたままその様子を見ていた片桐と、車道の脇に立つ宏彦を隔てるように、タクシーのドアがパタンと閉まった。

 呆然としている片桐を乗せて、車がすべるように走り去って行く。

 大きく目を見開いた片桐が、上半身を捻るようにして、後部座席の後の窓からこちらを見ていた。


 宏彦は最後まで片桐を見届けることなく、すぐに次のタクシーを探す。

 ところがさっきまであれほど立て続けに走っていたタクシーが見つからない。

 宏彦は焦り始める。

 このままだと澄香に追いつくのはどう考えても不可能だ。

 握り締めた携帯も何も言わない。

 澄香からの返事はなかった。


 彼女を疑うようで少しためらったが、花倉に伝言を頼もうと一か八か電話をかけてみることにした。

 意外にもうまく話を合わせてくる花倉に感心はしたものの、宏彦とてこの同級生の頭の回転のよさは以前から承知しているし、今さら驚くことでもない。

 あまりに卒のない彼女の受け答えに、逆に澄香の嘘を見抜いてしまうことになろうとは、宏彦自身も苦笑するしかなかった。

 

 まだ見つからないタクシーに見切りをつけバス停に向かおうとした時だった。

 見慣れた白いボディーのバンが、宏彦の横にピタッと沿うように停車した。


「おい、加賀屋。どうした? 」

「橋田さん! 」


 窓から顔をのぞかせたのは、同じ寮の二軒隣に住む係長の橋田だった。

 九州に家族を残し、単身赴任中でもあるその人物が、今ごろ会社の車でどこに行くというのだろう。


「この車、会社に置いてこようと思ってね。駅に向かうのなら乗って行くかい? 」


 もちろんイエスだ。

 宏彦は、渡りに船とばかりに頭をぺこっと下げ、この人のいい橋田に甘えることにした。


 宏彦が入社した年に転勤してきた橋田は、先輩でありながら烏丸支店では同期のような存在でもある。

 仕事に慣れない宏彦を陰になり日向になり支えてくれた人でもあった。

 やっぱり夜はまだまだ寒いねと言いながら、エアコンをガチャガチャと操作する。


「なんか、この車、エアコンの効きが悪いよね。もうすぐ二十万キロだよ。すごい走行距離だ」


 橋田はあきらめたように首を振り、エアコンのつまみから手を離した。


「僕も、前からそう思ってました。夏場のクーラーも、効きが悪かったですよね。この不景気じゃ、なかなか車まで予算が回ってこないんじゃないでしょうか」

「そうだな。まあ、機嫌よく走ってくれてるからよしとするか。なあ、加賀屋。君も、いろいろ大変だね」


 突然あはははと笑い出す橋田に面食らう。

 もしかすると、さっきの出来事を見られていたのだろうか。

 ただし寮の廊下側に窓はないから、玄関のドア越しに聞こえていたと言った方が正しいのかもしれない。


「あっ、いや、その……。す、すみませんでした」


 宏彦は真っ赤になりながら運転席の橋田に謝る。


「なーに。それくらいかまわないよ。結構なことじゃないか。私はあんまりそういうのに縁がなかったからね。一度くらい君と入れ替わってみたいものだよ。あははは……」


 この人といると、いつもこんな調子だ。

 どんな緊迫した事態が巻き起こっても、何でもないことのように思わせてしまう話術は、もちろん仕事にも生かされている。

 とっくに出世していてもよさそうなものの、子どもが高校を卒業するまではと転勤を断り続けたため、その道からはずれてしまったという噂は、どうも真実らしい。


「家の前で待ってた人。君の彼女? 」


 鼻の下をぽりぽりと掻きながら、橋田が訊ねる。


「ええ、まあ……」

「かわいい人だね。会社の人じゃないよね? 寒いのに、ずっとあそこで待ってたんじゃないかな。君たちの声がする二時間以上も前からいたと思うよ。いくら君の事を知ってるからって、家で待っててもらうわけにもいかないだろ? かわいそうだったけど、仕方ないよね。けなげだねえ。私が通り過ぎた時も、深々と頭を下げてあいさつしてくれたよ。いい子だ。彼女に愛されてるんだね、加賀屋は」


 橋田の澄香への賛辞はその後も延々と続いた。

 彼女は言ったのだ。待ったのは三十分くらいだと。

 全然平気だったと笑顔まで見せて……。


 澄香はやっぱり、特上の大嘘つきだ。


 宏彦は熱くなる目頭を左手の指先でつまむようにして、こみあげる涙を押しとどめる。

 そして、暗闇にぼんやりと姿を映し出す京都の町並みに向かって、澄香、澄香と、車のエンジン音に紛れながら彼女の名前を繰り返しつぶやいていた。


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