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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
番外編 1-4 青春酸歌
102/210

51.チョコレート色の箱の中

 澄香は大阪で電車を降り、私鉄の梅田駅周辺を彷徨(さまよ)っていた。

 手にはしっかりと携帯を握りしめて……。


 あれから何も連絡はない。

 自分から宏彦の申し出を断っておきながら、彼からの連絡を待っているなんて、虫が良すぎると思いながらも、もしかしてという期待が湧き上がって来るのを抑えられなかったのだ。

 何度か梅田で待ち合わせをしてデートをしたこともあった。

 改札付近で宏彦を見つけると、その胸に飛び込みたいのをぐっと我慢して、待った? と訊ねる。

 いいや、今着いたところだよと笑顔で答える彼の姿は、今夜はそこにはなかった。

 ここで彼と会ったのがまだつい先日のことだというのに、遠い昔の出来事のようにすら思える。

 どれだけそこで待っていたとしても、宏彦が現れるはずもなく。

 澄香は自虐的なため息をひとつつくと、バッグの中から乗車カードを取り出して私鉄の改札をくぐり、すでに停車している電車に飛び乗った。



 大阪で途中下車なんてするんじゃなかったと今さら思ってみてももうどうすることも出来ない。

 あのままJRに乗っていれば、もう三ノ宮駅に着く頃だ。

 そこから私鉄に乗り換えるなり、タクシーを利用すれば、あっという間に家に帰りついたはずなのに……。

 梅田であわてて飛び乗った車両内は、思いのほか空いていた。

 座席にも人がまばらだ。

 いつもならひしめき合って、やっとのことつり革に手が届くのに、今日はどうしたというのだろう。

 澄香はそれが何を意味するのか、電車が発車してしばらく経ってから気付く。

 そうだった。これは各駅に停車する、普通電車だったのだ。


 澄香は、ドアのところにもたれるようにして、窓に映った自分の姿の向こう側に見える景色をぼんやりと目で追っていた。

 線路脇のビルの灯りが、次第にスピードを増して行く電車の後に流されていく。

 淀川を渡る時、鉄橋の振動がゴトンゴトンと身体中に鈍く響いた。

 この淀川を上流に(さかのぼ)れば、確か京都に行き着くはずだ。

 宏彦のことは考えないようにしようと思うのに、その端から彼のことばかり思い浮かべてしまう。

 そしてすぐに次の小さな川。

 この神崎川を過ぎると、そこはもう尼崎(あまがさき)になる。

 澄香の住む兵庫県の東の玄関口だ。

 遠くの街灯りは、やけにゆっくりと澄香から遠ざかって行った。


 六甲山系の山並みが小さな光を散りばめながら迫ってくる。

 また小さな川を通り過ぎた。夙川だ。

 三月の終わりくらいには、薄桃色のベールで川のほとりが覆われる。

 澄香が乗っている私鉄と並行するように、少し南側を走っているJRにさくら夙川という駅ができたのが記憶に新しい。

 その夙川べりを、まだ宏彦と一緒に歩いたことはない。

 もしかしたら、このまま歩くことなく終わってしまうのかもしれないなどと考え、ふっと乾いた笑みを漏らした。


 福永は言った。

 気持の整理がつかなければ、スーパーはくとに乗って、島根に向かえばいいと。

 時間を置けば解決法が見つかるかもしれないとも。

 そして、その福永の横で、柔らかい笑顔を向ける大人の女性がいた。

 それは、大きな福永を瞬く間にとろけさせてしまうほどの、暖かい笑顔を持った素敵な人だった。

 自分の婚約者が別の女性と一緒にいるというのに、何一つ疑うこともなく、始終穏やかな笑みを浮かべ、福永に寄り添っていた人。

 澄香は、自分の度量の小ささに、改めて苦笑する。


 でもあの時は……。片桐に言われたことが澄香の心の中でひたすら増長して、他に何も考えられなくなっていた。

 それに、片桐の言い分も筋が通っているように思えたのだ。

 ところが福永には、そんな女の言うことなんぞ、なんで真に受けるんだと笑い飛ばされた。

 小さい子どもが自分の所有物を独占するのと同じだとも。

 桔梗は福永と出会う前に、やはり澄香と同じように、相手の女性問題で恋を失ったことがあると言っていた。

 でも嫉妬心をぶつけることもなく、何も話し合わないままその恋は終焉を迎え、一年も経ってから、その相手が復縁を持ちかけてきたらしい。

 問題が起こった後すぐであれば何かが変わっていたかもしれないけど、一年も経った後では、さすがに桔梗も消えた炎に再び火を灯すことはなかったそうだ。

 そして、その一年間、自分から相手を追う気持も湧かなかったというから、その人は桔梗の本当の相手ではなかったのだと福永が得意げに言う。


 でも澄香は違った。

 さっきも梅田で宏彦の姿を追い求めていた。

 今も京都にいる彼を、愛おしく思い浮かべている。

 今から京都に引き返そうかと、時計を見た。もうすぐ十一時だ。

 十三(じゅうそう)までもどれば、京都に向かう電車はまだあるだろう。

 ただし、澄香はすぐに踏みとどまった。

 このまま京都に行って、まだ片桐が彼のそばにいたらどうすればいいというのか。

 彼女も交えて、きちんと話し合いをすればいいだけなのかもしれない。

 でも、今の澄香にそんな勇気も気力も、わずかたりとも残っていなかった。

 ならば、メールを送ってみるというのはどうだろう……。

 周りの乗客に背を向けながら、そっと携帯をのぞいてみる。

 ところがマキと会っていることになっている澄香には、この期に及んでどんな文面を送ればいいのか、皆目見当がつかない。

 しばらく液晶画面を見続けた後、バッグにそれをしまった。


 岡本を過ぎ、もうすぐ澄香の降りる駅に着く。

 この時間だと、もうバスはない。

 慣れた道とはいえ、女の一人歩きは物騒だ。

 信雅も今夜は高校時代の仲間と会うと言っていたので、呼び出すわけにもいかない。

 財布の中身は軽くなる一方だが、ここはまたタクシーを使うしかないだろう。

 三宮まで行った方が、はるかに乗客待ちの車の台数が多い。

 どうしようかと迷っているうちに、澄香の住む街のある駅に静かに電車が停止した。


 ドアの脇のポールを掴んだまま、まだ車内に踏みとどまっていた。

 やっぱり三宮にしよう。その方が、タクシー乗り場で待つ時間も少ない。

 少々料金が割り増しになっても別にいいじゃないか。

 そう思ったはずなのに……。

 それなのに、澄香の背後でドアが閉まる音がする。

 チョコレート色の電車は、澄香をホームに置き去りにしたまま、すべるように西に向かって走り出した。


 ホームに降りてしまったではないか。

 あっ……と声が出そうになり、あわてて辺りを見回す。 

 誰もそんなことに気付いている様子もなく、みんなさっさと足早に改札に向かって歩いていく。

 さっきの乗車カードを改札の機械にかざし、通り抜ける。

 財布をバッグに戻そうと立ち止まった瞬間、パンプスのかかとがぐにゃっと内側に曲がった。

 瞬時に、あの夜の出来事がよみがえる。

 あれは忘れもしない、高校の卒業式の夜だった。

 履き慣れないブーツのかかとを滑らせた澄香の手を取ったのは、木戸翔紀。

 バランスを崩し、よろめきながらそんなことを思い出す自分にややあきれながらも、なんとか脱げかかったパンプスを足先でたぐり寄せる。

 そして、再び身体が捻った足の方に揺らめいた時……。


「大丈夫か? 」


 誰かが澄香の手を取る。

 そして……。


 澄香が恋してやまないその人が、人通りの少ない駅舎で彼女をふわりと包み込んだ。


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