50.信じあうこと その2
「池坂、驚かせてごめんよ。この人、俺が世話になってる旅館に出入りしている花屋に勤めてて。で、俺が一目ぼれして、結婚することになったんだ。おまえ以上の女性にはもう出会えないと思っていたけど……。いたんだよな。ここに。きれいな人だろ? 俺より七つも年上だけどな」
「もうっ、福永君たら。年のことは言わないって約束でしょ? 池坂さん。こんな話して、ごめんなさいね」
七つも年上だという桔梗が、はにかみながら俯く。
そうだったんだ。
この人は福永の彼女で、結婚する相手の人なんだと、澄香はようやく理解できた。
なのに、福永のあの紛らわしい態度といったら……。
澄香は、将来を誓い合った人がいるにもかかわらず、こうやって自分を呼びとめ思わせぶりな態度を示す福永が不思議でならなかった。
が……。
澄香は、ふと気付いたことがある。
それはすべて自分の思い込みではなかったのかと。
福永はただひたすら澄香の話を聞き、悲しみに打ちひしがれている自分を慰めてくれていただけだったのではなかったか。
島根に一緒にと言ってくれたのも、もしかしたら結婚式に出てくれという意味合いだったのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
それに……。
下心があって澄香と一緒にいるのなら、彼女をここに呼ぶはずがない。
澄香の話を聞きながら、福永が時折携帯を覗き見していた時、桔梗にメールを送っていたのだろう。
澄香は自分の都合のいい早合点に、おもわず笑ってしまいそうになった。
「おい、池坂。なんだか楽しそうじゃないか。どうだ。言いたいこと言ったら、少しは気が楽になったんじゃないか? あいつのこと、まだ怒ってるのか? 」
「それは……」
もちろん、自分はすべてを一瞬にして忘れてしまうほどの単純人間ではないと、思っている。
宏彦の言った嘘と、片桐の勝ち誇ったような言葉の数々は、今でも澄香の心に突き刺さったままだ。
ところが、この福永という男はどういう神経の持ち主なのだろう。
結婚する相手に、自分の過去のプロポーズの話までしているのだ。
そして、そのプロポーズの相手と二人っきりでいるところに、彼女を呼び出すというあらわざまでやってのける。
桔梗の懐の深さに、澄香は感嘆のため息をつくしかなかった。
それにしても福永には驚かされっぱなしだ。
見えない糸で結ばれてるとか言うものだから、すっかりその気になっていた自分に再びあきれる。
「マスター。この人にカフェオレ。それとコーヒー、もう一杯」
福永が桔梗に目で確認しながら注文を追加する。
そして、澄香に向かって、にっと思わせぶりな笑顔をふりまくのだ。
「なあ、池坂。気持の整理がつかないのなら、一緒に島根に行こう。神戸や京都と違って、向こうは、のんびりしてるぞ。空気もうまい。飯もうまい。俺の自慢のふるさとだ。スーパーはくとって知ってるか? 」
ますます饒舌になる福永に、はくとなるものを知らない澄香は、申し訳なさそうに首を振る。
「これがまたブルーの憎い奴でね。鳥取の倉吉までそれに乗って、実家に帰るつもりなんだ。さあ、どうする? 俺たちの結婚の立会人になってくれるとありがたいんだけどな」
「そ、それは、どうしようかな……。でも、先輩と桔梗さんのご結婚は、心から祝福したいと、そう思います」
「池坂、ありがと。でもまあ、あれだな、おまえにそう言ってもらうのは、嬉しいような、寂しいような、なんか複雑な気分だけど」
「先輩。桔梗さんに悪いです。そんなこと言っちゃだめです」
「そうだな。わかったわかった」
当の桔梗といえば、福永と一緒になって笑っている。
澄香が気を遣う必要などなかったとでも言うように、無邪気にふふふと笑っていた。
「なあ、池坂。ホントはおまえ。あいつと別れたくなんかないんだろ? 」
急に真顔になった福永が澄香に低い声を落とした。
「さっきの話だけど、あれくらい許してやれよ。前に見た限りじゃ、おまえの彼氏とやらは、恋愛に器用なタイプじゃなさそうだしな。どう考えても、二股なんかじゃないだろ? あれごときで浮気だと言うのなら、俺はどうなるんだよ。今でも、旅館の女の子と飲みに行ったりもするぞ。現にこうやって、池坂とも一緒にいるわけだし。なあ、桔梗さん? 」
福永は桔梗に同意を求めるように訊ねる。
「そうね。池坂さんの詳しい話は、よくわからないけど……。お互いに信じ合っていたら、何があっても大丈夫かもしれないわね。福永君って、女の子にもてるの。この人にそんな気はなくてもね。もちろん私だってはらはらする時はあるけど。でも最後はちゃんと私のことを考えてくれてるんだって、そう思って、でーーんと構えることにしてるの」
年の功かしら……とまるで少女のような柔らかい笑みをこぼしながら、桔梗が言った。
本当に美しい人だと思った。
内面がにじみ出る美しさを持った人とは、きっとこの人のことを言うのだろう。
同性である澄香をもどきりとさせるくらいの麗しさをまとった女性だった。
「今晩ゆっくり考えろ。どうしても許せないというのなら、また次の手段を考えればいい。今ごろ、あいつ、青ざめてるんだろうな。男ってそういうもんよ。そんな簡単に、想い続けた女のことを忘れられないようにできている。その男のこと、池坂が一番よくわかっているんだろ? 違うのか? 」