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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第5章 帝国辺境編
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episode 18 勝鬨

 オレは心話でクテシフォンに説明を要求した。

 オレの身体を通り抜ける、何やら『力』のような感覚。そして聖剣の変化。今、起きている現象に混乱し、オレの頭ん中は熟れ過ぎた果実のようにとろとろになっていた。


【分かっているのです。分かっているのですが、分からないのです……】


 聖剣を見下ろすと、その剣底から二本の紐のようなものが伸びている。それは蒼白く透明で極めて薄く、互いに螺旋を描くように同色の剣身を囲み斬先で、風に吹かれてもいないのにひらひらはためいていた。

 オレは再び何が起こっているのかクテシフォンを問い詰めた。だが返ってきた内容は、オレの予想に反していた。


【排除……するのです。根絶やしにするのです】


 普段の感情の乏しい口調が、さらに感情を失っている。こっちはこっちで、どうやら暴走していやがる。オレは小さく舌打ちする以外どうしようもなかった。

 クテシフォンの言う、分かってはいるが分からない。それはオレにも何となく理解できた。身体を隈なく流れ通りすぎてゆく何か、それが教えてくれていた。魔剣と聖剣。二振の剣の本当の使い方、二振の剣の本当の力を。だが何故、それが分からない。何故そんな力がある。そして何故それをオレが理解できる。


 間に合う……とっさにオレは先ほど下した判断を撤回した。その場で腰を軽く落とし、足裏で地面の凹凸(おうとつ)を探り踏みしめる。だらり右に構えた聖剣を、初動を抑えそのまま左へと薙ぐ。到底届く距離ではない。が、オレには確信があった。届く、と。

 斬先で揺らめく二本の紐が、オレの動きに呼応するようにまっすぐ伸びゆく。それは、能力を以ってしても霞む疾さ。そして、その先には魔族の男。反応する間も与えずに、鋭利な薄刃(はくじん)と化した二本の紐は過剰なまでの切れ味で、振り下ろさんとする銀剣もろとも、一切の音も立てず滑らかに通り過ぎた。

 何が起こったのか理解する()も与えられずに、崩れ落ちるように倒れゆく魔族の男。どさり大地に伏した時、初めて斬口(きりくち)が開き体が三つに分れた。


 絶え間なく降り注ぐ深紫の矢を、波紋が一つ残らず受け止め滅しゆく。その下で起こった一瞬の出来事、それを正しく把握できた奴は誰一人居なかったであろう。

 一難は乗り越えた。だがもう一振の凶暴な銀の刃は、オレから見ればカリュケにちょうど隠れる位置で、彼の華奢な体躯に襲いかかっていた。


 足元に出現させる波紋。それは不思議とオレの意思で、いつでも自由に出来た。その揺らいだ空間は、それまでやや覚束なかった足場をしっかりと安定させ、踏み込みを余すこと無く受け止めてくれた。オレは鋭く半歩右へと移動する。すると視界が魔族の(たくま)しく(しな)やかな体を捉える。そこに狙いを定め聖剣を突いた。

 その魔族の男は腰を落とし左斜に構えをとっていた。そして、右手に持った自身の髪と同色の銀剣を左から鋭く振り抜く。魔族の膂力(りょりょく)を以って振るわれる剣は、疾く、重く、鋭く、確実にカリュケの胴を二分(にぶん)する軌道を辿っていた。

 今度こそ間に合わない、そう思った。斬先(きっさき)から伸びる紐が魔族の男の心臓を捉えるより早く、銀の刃がカリュケの脇腹に届く……はずだった。

 強い風が過ぎた。

 黒い物体が躍り出て、銀剣とカリュケとの隙間に素早く入り込んだ。途端、その物体はあっけなく二つに分かれ、赤く染まった。銀剣はそのまま、何事もなかったかのようにカリュケの命を脅かす。だがこの一連の行動には、本人が意図してのものかそうでないかは分からないが、充分な意味が(もたら)された。

 僅かに勢いを落とした銀剣。その刃がカリュケに触れる寸前に、紙のように薄く青白い二本の薄刃が魔族の胸を穿(つらぬ)いた。穿きながらなおも揺らめく薄刃は、周囲の組織を細切れに削ぎ落とし、細断された肉片は真っ赤な血を伴って男の背後に飛散する。魔族の男も遅れ、その身を後方に投げ出され、胸に大きな風穴を開けられた状態で地面に臥した。



「シーーローーン!」


 低く大きな声が、一帯の空気を振わせる。カリュケは、二つに分かれた物体の片方を抱え上げ、そして己の胸にきつく抱いた。


「どうして、どうしてこんなことをした。恨んでいたんじゃないのか? 憎んでいたんじゃないのか? どうしてだ」


 彼の叫びは無情にも草葉や木々に吸い込まれてゆく。その胸にはシーロンの細く小さな上半身。押し付けられたシーロンの剥き出しの瞳。彼女の瞼は何の意思も感じることはなく開き、彼女の顎は力を失う。開かれた口からは、もう言葉が漏れ出ることはなかった。


「何か言ってくれ。恨みでもいい。辛みでもいい。何でもいいから言ってくれ」


 嗚咽混じりの声が震え肩を揺らした。その振動に合わせて、垂れた長く艷やかな黒髪がさらさらと左右に揺れる。

 その二人の姿を目にしながら、オレは心の中で小さく呟いていた。

 ── 残念だがまだ、終わっちゃいねえ ──

 何度も辛酸を舐めさせられた嫌な気配、威圧感。それが七つ。背筋に冷やりとした何かが走り、後を追うように汗が吹き出た。

 近くで(うずくま)裏返(うらがえり)の背が縦に割れ、(さなぎ)から羽化するかのように、そこから魔族の姿が見えた。

 なるほど、こういう使われ方もあったのか。面白くねえことを次々と思いつきやがって。異常なほどの頻度で現れる魔族、その原因の一端を垣間見たような気がした。

 そしてどうもカリュケが狙われている。大方、魔術を喰らう波紋の原因はこの男と目星をつけている、そんなところか。


 暴走し混乱している二振の剣をだらり下げ、すうっとゆっくり息を吸い、止めた。

 涙に濡れ、どさり跪いたカリュケ。その頭上で長い銀髪が(なび)き、鮮血が散る。

 ── 一 ── 小さく口の中で数える。

 どろりとした赤い液体が溢れ、イオカステの足元を濡らす。

 ── 二 ──

 揺れる下草。だが最後、がさりと大きな音を立て動きが止まる。同時にごろりと銀色の物体が転がる。

 ── 三 ──

 遥か頭上から感じる精神の集中、魔力の気配。そこに蒼白い二本の紐が伸びる。

 ── 四 ── ── 五 ──

 一組(ひとくみ)の紐がそのまま斜めに振り下ろされる。それぞれが意思を持つかのごとく別々の軌道を描き、それぞれが魔族と思しき人型の肉体を分断する。

 ── 六 ── ── 七 ──


 瞬時に七体の魔族を葬った二振の剣の力に驚き怯えながら、オレは能力により鋭くなった感覚が捉えた力の残滓、小さな違和感に導かれ、未だ紫の雨が降り注ぐ波紋の外へと一人駆け出した。襲い来る魔術の矢を魔剣で砕き聖剣で斬る。そして、行く手を阻む魔術師を魔剣で突き聖剣で薙いだ。

 辿り着いた先には魔法陣に囲まれた一張りの小さな天幕があった。何やら儀式なのか、周囲は篝火が焚かれ、天幕本体には至る所に魔術による刻印がなされていた。


 力任せに布を引き裂くような耳障りな音を立て、結界を無効化する蒼黒二振の剣。入り口を護る二人の男は、それぞれに槍と剣を構えたまま、魔術を砕いたオレを悪魔でも見るような目つきで睨み、動きを止めていた。額を蒼白く光る薄刃に穿(つらぬ)かれながら。


 魔剣で厚布を捲り、天幕に一歩を踏み入れる。同時に放たれた風の刃を、オレの眼前に現れた波紋がいとも簡単に食い止めた。


「久しいな、クーロン。同胞の魔族を九つも葬りおって」


 立ちはだかる三人の魔術師に護られるように、その後方に俯き鎮座する老魔術師の(しゃが)れた声。そしてゆっくり木の幹のように黒ずみ皺の刻まれた顔を、オレへと向けた。久しいと言った姿を一瞥する。悪いがさっぱり覚えがない。


「困ったものじゃ。長く生きると、度々、お前のような奴が現れる。世界の敵がな」


 曇った目には未だ力が宿っていた。だがオレは全てを無視して、男の目の前の赤く揺らめく水晶球に魔剣を突いた。音もなく斬先が吸い込まれ穿(うが)つ。


(うめ)……旨……旨……旨……】


 水晶球は魔力を喰い尽されたのであろう。あっという間に魔剣の声が途切れると、あっという間に赤い光は消え失せ、水晶球全体に亀裂が走り、粉々に砕けた。その様子がオウブの最期と重なり、ちくりとした痛みが胸に刺さる。

 淀んだ空気に風が吹き込むように、周辺の雰囲気ががらりと変わり、展開していたであろう術が解かれる。

 いくら魔術師とは言え、こう魔術を行使すれば魔力は尽きる。それをこの水晶球の魔力を術に載せ随時補っていたという寸法だろう。

 三人の若い魔術師はオレへ掌を向けた。途端に虚空に薄っすら浮かび上がる魔法陣。だが老魔術師は一声のもとに彼らを制止した。そして、その(しな)びた口元を震わせながら、小器用に動かした。


「『塔』を壊滅寸前にまで追い込んで、尚、足りぬというのか。それともこの老耄(おいぼれに)に、何か訊きたいことでもあると言うのか?」


 そう、訊きたいことは山ほどあった、そんな気がした。だがオレは何も問わなかった。問うべきことを何も思いつけずにいたし、何も問いたいと思わなかった。


 薄暗い天幕の中、一つの決着が付いた。

 オレは水晶球を穿(つらぬ)いた魔剣を、そのまま真っ直ぐと伸ばした。そこには暗灰色のローブ、さらに先にはそのローブに包まれた皺だらけの華奢な体躯があった。

 この時、オレと『塔』との長いようでいて短い、いや、短いようでいて長かった因縁が終わりを迎えたように思えた。本陣にしては随分手薄に思えたが、奢ったか、はたまたこんなもんなのだろうか。

 儚いもんだな……。オレは心の中でそう呟いていた。

 残る三人の魔術師は聖剣の一振りにて、その身体を分断され既に事切れていた。あっけない、本当にあっけない一幕だった。


 能力を収め、天幕を出る。魔術師達は()()うの体で退却しているのであろう。深紫の矢も途切れ途切れとなり、周囲を囲んでいた、鋲をばら撒かれたような(わずら)わしい気配も薄れていった。

 だが、彼らをそう簡単には逃そうとしない意思も働いていた。辺り一帯に張り巡らされていた糸が罠となり刃となり、次々と魔術師の足に絡み切断した。

 魔術師は抵抗を試みるも、痛みで集中を遮られ、多くの魔術は不発に終わる。痛みに耐え術が成功したとしても、それは宙に顕れる波紋と地を這う糸により、悉く消滅させられた。



「もう終わりだ」


 戻ったオレは、未だ、(うずくま)るようにシーロンの上半身を抱きかかえるカリュケを見下ろし、優しく告げた。オレの声に反応したのかそうではないのか、男の指から伸びる鋼糸『ニウト』がその動きを止め、重力に負け地面に落ちた。


「何を言っているんだ。今始まったばかりだろう?」


 カリュケはそのままの姿勢を保ち、抑揚のない声で言葉を返した。シーロンを見詰める黒く深い瞳。そこに僅かな狂気が燻ぶっているのを感じた。


「もう全員逃げた。取り敢えずは終わりだよ」


 魔術師の気配が遠のいたことを確認したオレは、一言二言忠告し、続けてゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「一人の女がいるんだが、本当は大きな力を持ちながら何の見返りも求めず、この世界のために使っている。それでも、恩を受けるはずの人間や魔族に長いことさんざん利用され命を狙われ甚振られ、今はとうとう寝たきりだ。だが、その女は誰も恨まず誰も妬まず、希望も捨てず、ベッドの上で静かに時が来るのを信じて待っている。まあ、そこまでやれとは言わん。全てを水に流せとも言わん。だが、アンタはアンタの娘と同じように、少しだけ思い違いをしているかもしれん。その感情、取り敢えず棚に上げてみたらどうだ。世界はそれほど悪くはない、そう思うようになるかもしれんよ」

「ニースのことか? なるほどな。恐怖の対象、力の象徴と見做(みな)していた人物は、女神に骨抜きにされたってわけか。笑わせる。お前なら、お前だけは自分の気持が分かると思ったんだけどね。見込みが違っていたようだ」


 カリュケはオレを見上げた。その表情は口から発した皮肉とは裏腹に、一切の感情が表れてはいなかった。シーロンの感情が連鎖したかのように、死にたがる彼女の父親を自称する男。この態度は(わざ)となのか? そう思わせるほどの変わりようだった。

 見下ろす先にある、腐りきった心が浮き彫りになったような味気ない顔に、唾液を吐きつけたくなる衝動を堪え、軽く息を吐き心を落ち着かせる。


「それに何をどう思ったかは知らんが、アンタの娘はアンタを助けたんだ。その健気な気持ちを少しぐらいは汲んでやったらどうなんだ?」


 そこでカリュケは押し黙った。眩しそうに見上げながら暫くオレと視線を交差していた。そしてそのまま下を向き、何かを諦めるかのように、そしてオレを小馬鹿にしているかのように、ふっと小さく笑った。


「いいよ、最後まで付き会おう。どうせただの野良だ。もう失うものなんか何もないよ。それに、ババ様が何をしようとしているのか、俄然興味が湧いてきたしね」

「彼女の遺体はどうするつもりだ?」

「この中に娘はもういないよ。それにこれが、この肉の(かたまり)が娘を苦しめたんだ。今更そんなものを娘と一緒に弔う気になんてなれないよ」


 残された帝国軍は脆かった。瘴気を奪われ動きを止めた裏返(うらがえり)と、怪我を負い逃げ遅れた魔術師は、ウラヌシアス公国軍によって大凡(おおよそ)片付けられてしまったようだった。

 鳴り響く角笛。それを合図に、公国兵が到る所で勝鬨(かちどき)を上げ、その声が連なる山々に跳ね返り木霊(こだま)した。

 カリュケは再度両腕に力を込めシーロンの遺体を抱きしめた。そして氷や残雪が融け土に混ざり泥となってしまった足元に優しく降ろす。儀式、とも呼べそうな一連の動作を終えたカリュケは、右膝を立てゆっくりと立ち上がり、オレの横へと並んだ。

 遠く北、カロリス山脈のそびえる峰を讚えも祈りもせず、ただ眺めるオレとカリュケ。視線だけはこうして似たような方角を向いてはいるが、その内なる想いは正反対であろう。

 死ぬことに意味を求めていたオレは、今、生きることに意味を見出そうとしている。逆に、娘と共に生きぬこうとした男は、今、どのように娘のもとに旅立とうか、そう考えているように思えた。


 世界は動いている。それも良くはない方向に。オレの直感がそう告げていた。

 横目でカリュケを一瞥する。その深い瞳を見遣り、オレは小さな、本当に小さな決意を固めた。それは胸の奥で(くす)ぶり続けていたものの、ついぞ消えることのなかったしつこい程強い思い。手が届くことはない遥か遠くの憧憬。叶うことのない願い。

 オレはその想いを胸に、カリュケとイオカステと共に南へと針路をとり、丘陵を登る一歩を踏み出した。




    ー 第5章 帝国辺境編 完 ー

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