episode 4 魔獣
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートは美人で名高いニースをあわよくば口説こうと町の庁舎を訪れてい時、町に滞在している貴族が森へ侵入したと報告を受けた。助けに向かったのはコートとヤーン率いる自警団の面々。一行は危険な森へと足を踏み入れる。
夜よりも更に深い常闇の底、光が一切届かない洞窟の奥で彼女は大事な想いを抱え込むように、ひっそりと膝を抱えていた。そして今日も二年前のあの夜のことを思い出す。あの時、男の心には深い闇が広がっていた。純粋な闇。それは言葉にすると『絶望』に近かった。しかし彼女は感じた。その漆黒の奥底に揺らぐ小さな光の存在を。そしてその光に見惚れてしまった自分を自覚した。あの光に触れたい。あの光をもう一度感じたい。
いつも彼女はかなわぬ夢とばかりに決まってその場で目を閉じ蹲りじっと堪える日々を送っていた。
しかしその日は違った。華奢な両脚に力を込めすっと立ち上がると何もない深い闇黒へと話しかける。
「ごめんなさい、クテシフォン。ちょっと出かけてきます。すぐ戻りますから待ってて下さいね」
決意のこもった瞳、そして希望に満ちた笑みをその美しい顔いっぱいに広げて彼女は光りあふれる世界へと飛び出して行った。
───────────────────────────────────
鬱蒼とした森の中をさらに進む。ここまで遭遇した魔獣は四体すべてアスケンが弓で撃退していた。
しかしそろそろ弓だけでは対応できないだろう。空気に含まれる強い粘り気。瘴気が濃い証拠である。いつもながらなんとも嫌な感覚に辟易したのが顔に出ていたようだ。シンメーと目が合うと苦笑いを返された。
瘴気を感じ取れる人間は多くはないが存在する。そしてそれはどうも人それぞれ感じ方が違うらしい。視界に膜がかかったように見える人もいればちょっとした刺激臭を感じたり、悪寒となって表れる人もいる。そう言えばアレンカール自警団で唯一瘴気を感じ取れるシンメーの兄ズバトは甘い味がすると言っていた。まあアイツは根暗で変態だから気にしないでおくに限る。
木々の向こうでぼんやりと赤色光が発せられる。気味の悪い光だが、おかげでこうして魔獣の発見を助けてくれるという点ではとてもありがたい。
赤い光は、ふらふらしながら、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。アスケンがいつものごとく狙いを定め弓を射た。その瞬間、オレ達の周囲が赤色光で満たされる。背筋になにか嫌なものが走る。冷たい汗が体中からブワっと吹き出す。自警団の面々に目をやると各々目を見開き硬直していた。
二十体、いや三十体はいるだろう。完全に取り囲まれている。運が悪い。
「この先、少し開けたところがある。そこで戦おう。急ぐことはない、みんな一塊になってお互いをカバーしてくれ。魔獣を退治するより守ることを優先する。コートのダンナは先頭をお願いする。道を開いてくれ。よろしく頼む」
ヤーンが素早く指示をだす。ここで冷静でいられる胆力といい一瞬の判断力といい、なんとも頼りになる男だ。ただの農夫が一体全体どこでこんな経験をしてきたというのか。ヤツが嫁さんなら、ここちよく尻に敷かれきっていることだろう。
確かにここは草木が密集して、狭く見通しも足場も悪い。残念ながら多数の魔獣を相手取るには、不向きな地形と言えた。ここはとっととずらかるに限る。オレは両手に構えていた剣を右手に持ち替え空いた左手で腰に吊るされたもう一振を抜剣する。
どこぞの誰が名づけたのか、雑種剣と呼ばれる両刃の剣。片手で使うには長く両手で使うには短い。逆に言えば、両手でも片手でも過不足なく使えるため、オレは好んでこの剣を使っていた。しかも左右どちらでも違和感なく使えるよう、二剣ともほぼ同じ作りとなっている。オレの師匠と呼べる人物もこのくらいの剣を好んで使っていた。
酔いが回り、回らない呂律で、両手でも片手でも使える利点を延々と語っていたあの頃の優しい記憶が頭をかすめる。
前方に魔獣は六体。それぞれがそれぞれ特異なフォルムをしている。魔獣はその種族や系統の分類はほぼ困難である。区別するならまあせいぜい、大きい小さい、長い短い、そのようなもんだ。同じ形の魔獣をそうそう簡単に拝めるものではないのである。
なので魔獣との戦闘は、その特徴を交えて互いに指示しあうことが定番となっている。ただ特徴を的確に捉えていればいいが、どうもずれているというか理解に苦しむ時があるのが笑えないが笑える。
以前「そこの女の魔獣を頼む」と言われたことがあったが、全く男女の区別がつかなかったことを思い出し非常時だというのに不謹慎にもニヤついてしまった。あの時のことを問いただしてやりたい。お前にはいったいどれが女に見えたのかと。
と、思わずこぼしたニヤけ顔に「こんな時に頼もしい」というような周囲の視線を感じとる。いやいや戦いに喜びを見出すような狂気は持ち合わせていないからね、オレは。
頬を引き締め直し双方の剣をだらりと下ろしながら、その群れの中に単身突っ込む。そして魔獣の動きに合わせ、流れに逆らわないように左の剣をすうっと前に突き出す。その突きがヒットし一体が霧散する。直後、上方から突っ込んでくる魔獣に右の剣を振り下ろす。その勢いを利用し、体をひねりつつ左の剣で斬りつける。二本の斬撃の跡を残し、二体目が霧散する。
ここまではイメージ通りである。次に近づいてくる一体を左に避けた。体は躱しきったものの、その場に残った剣が引っかかる。魔獣にわずかばかりダメージを与えたが、オレは少し体勢を崩してしまった。ここで早くも「イメージ通り」終了である。
なかなか上手く行かないものである。動きの鈍った三体目を蹴りつけ、後方に下がらせ、左右の剣で残りの魔獣を一体ずつ片付けていく。五体目を霧に変えた時、少し先に新たな四体の赤い光が視界の片隅にちらついた。
だがまだ遠い。このタイミングを利用し、ひと息つき後ろを振り返る。オレから見て右、隊列の左側から大型の魔獣が近づいてきていた。
「オーワ、左から来ているウマヅラのでかいやつを押さえてくれ」
「ウッス」
オレが指示を出すとオーワは小さく返事をして大盾を構えデカブツに突進する。どうやらでかいウマヅラで通じたようだ。独特の鈍い音を響かせ鉄と肉とが衝突する。町一番の巨漢で通っているオーワだ。自分の三倍はあろうかという魔獣を相手に何とかしのいでいる。無口ではあるがここぞという時に頼りになるヤツである。
「クッ……」
オーワの口から苦痛の声がこぼれる。表情も険しい。さすがにそう長くは持たないだろう。そのうえ全員手一杯で援護の期待も薄い。
「チッ!」
軽く舌打ちを鳴らしたオレはやむなく前進を断念し、デカブツに対峙する。オーワが押さえ込んでいる間に片付けたい。回避する行動を捨て、捨て身に近い体勢でデカブツもしくはウマヅラを斬りつけた。連続で左右の雑種剣を五回斬りつけた時デカブツの動きが一気に落ちる。
だがここで時間切れである。とどめを刺す間もなく、隊前方から魔獣が迫ってきていた。だがあらかた痛めつけている。これならデカブツの方はしばらく何とかなるだろう。
再びデカブツをオーワに任せ隊前方へと体を向き返す。
一難去った安心からかフーっと息を吐いた時、パンッと言う破裂音と共に、すぐ横に佇む木が幹を中心に砕けて折れた。ヤバい類の魔獣だ。何かを飛ばしてきやがる。一気に距離を詰めつつ、遠隔攻撃してきた魔獣はどれか観察する。と、尾をブルンブルンと振り回しているやや小型の魔獣が目についた。先ほど蹴飛ばして後方へ追いやり、取り逃がした一体だ。スリングのようにして何かを投げつけているのかも知れない。とりあえずそう決めつけたオレは、先に倒しておけばよかったと後悔しつつその魔獣めがけて方向を変えた。
ヒュンッという音と共に真正面から何かが飛んできた、剣の腹で受け止め足元に落とす。思いの外上手くいってしまい、自分でもちょっと驚く。もう一度やれと言われてもできない芸当だ。
ひと振りをもって決着をつけようとするも、横からクマのような魔獣が邪魔をしてきた。スリング状の尾だけでもと思い、クマ型を避けつつ、体勢を倒しながら剣を横に薙ぐ。根元から三分の一を残し切断した。
眼前の脅威は去ったものの、気を抜かずにクマ型の魔獣の脚を斬りつける。スッ!とした手応えを残しクマ型の脚が地面にドサッと落ち消滅する。これで移動は困難だと判断して次の魔獣へと向かおうと思った矢先、嫌な予感に振り返る。なんと先ほどのクマ型がゆらゆら宙に浮いているではないか。フンッ、脚は飾りってことか。
どういう理屈か知らないが魔獣は宙に浮く。飛ぶとは明らかに違う、文字通り浮くのである。だが、それとは別に現実問題として宙に浮かれると厄介極まりない。先ほどのスリング型魔獣も上空から攻撃してこなかったのはありがたい限りだ。上空から投擲されると、もはや手に負えなかったであろう。それほどオツムが優れていなくて助かった。
片脚を失ったクマ型はかなり弱っているようだった。先を急ぐため脅威度が低下した魔獣は放っておく。
再度前方に向き直ると、さらなる新手が赤い光を揺らめかせていた。忙しいたらありゃしない。こんな森の入口近くでこれほど多くの魔獣に遭遇したことは、今までなかったであろう。安全策なんか執っていたら全滅である。ここは少し無理をしてでも見通しのいい場所まで移動し、そこで決着をつけるべきだろうと考え、ヤーンに大声を振るった。
「ヤーン、悪いがこのままじゃ埒が明かない。一気にここから突破させてもらう」
「ああ、自分もそう考えていたよ。どうする?」
オレは答える。
「アスケン、手が空いた時でいい。前方に矢を数本打ち込んでくれ。それほど正確でなくていい。それを突破口にここから一気に抜け去る。あと、射るときは一声頼む」
「了解!打ち込むよ。気をつけてね」
アスケンは手にした剣を手放し、素早く弓を構え射る。何度も反復し身につけたであろう流れるような動作から、一射で二本、三射で計六本の矢が打ち込まれ、うち三本が魔獣に命中した。そして見事一体が煙となって消失する。
その隙にオレは無謀ともいえる突進を仕掛けた。鞭のように伸びてくる触手を躱し、すれ違いざまに一太刀浴びせる。触手の魔獣は運良く霧散する。それには一瞥もくれず、二体の魔獣に対し一方は首筋を、もう一方は脇腹を、左右の剣で同時に削ぎ落とす。多少弱ってくれればそれでいい。進行方向に塞がる魔獣だけを選んで剣を振るう。頬に木の枝が掠り浅く切れた。だが、そんなことには構わず前方だけを睨んでいた。
何体斬ったのだろう。肺にたまった空気を吐き出し一度状況を確認する。全員がついてきている。隊列もなんとか維持している。さすがアレンカール自警団である。普段から魔森にもまれているだけのことはある。
だが、ちょっとした綻びから、崩れてしまいそうに危うい状況ではある。特に殿のヤーンがキツそうだった。それはそうだ。ダメージを与えてはいるものの、魔獣を置き去りにしながらここまで突破してきたのだから。その負担の多くは殿が引き受けることになってしまう。
一旦、全員を視界に入れる。見ると、装備は全員森へ入る前に比べかなりの綻びが目につく。特に顕になってしまったペギーの太もも周辺が何とも……。
オレは余計な思考をグッとこらえ前方を見渡した。木々の間から光が刺す。もう少しで形勢は逆転まではいかないものの、好転するであろう。
両足に力を込め、今日何度目になるだろう、数体の魔獣めがけて足場の悪い茂みを走りだす。一体目の魔獣の攻撃を走り抜けながらギリギリで躱し刃を食いこませる。魔獣は煙のようになり、やがて空気と混じり合う。いつもの光景だ。だが二体目の魔獣の攻撃は躱しきれなかった。攻撃を受けた瞬間いなすも、左肩に衝撃が走る。左に握った剣を振りかぶり調子を確認する。動く。まだ大丈夫。その魔獣を膝蹴り先ほど振りかぶったままの左の剣を叩き込む。
このような作業を何回繰り返し、何体の魔獣と斬り結んだだろう。疲れからか、時折意識が乱れる。
魔獣との戦いが永遠に続くのだろうかと錯覚し始めた頃、オレはなんとか開けた場所に辿り着いた。だからと言って、魔獣が去ることはない。状況がやや好転したものの、厳しい戦いはまだ続くのである。