episode 4 秘密
空気が固まったかのように静まり返った一室で、淡々と語るスィオネの声だけが音として存在していた。一同固唾を呑んで聞き入っている。にも拘らず、オレは何気に王国の神話『ローレス』のとある一節を頭の中で復唱していた。
『光の剣は咎を弾き、闇の剣は情を喰らう』
オレは「咎」がないから聖剣に弾かれなかったのだろう。……んなわけあるかいっ。はっきり言って咎だらけの人生である。神話や伝説なんてもんは、話半分で理解するに限る。改めてそう思った。
スィオネは最後、充分に時間をかけゆっくり息を吐き、こう締めた。
「以上がこの左腕にまつわる話じゃ」
ただでさえ暗い部屋が更に暗がりに落ち込んでしまうような話だった。中てられてしまったのだろう、兵士の一人が肩を小刻みに震わせ鼻をすすった。
「なるほどな」
「何か言いたいことがあるようじゃな」
不遜な俺の態度を見咎めたのであろう。いやいや敢えて肘を付き小指で鼻をホジッてやったのだから、突っ込まれるのは当然である。子供との触れ合いかたとしては褒められたものではない。ただオレは彼女を一人の大人として扱うことにしていた。それでも不遜極まりない態度ではあるのであろうが、容赦はしたつもりだった。ホジッた指を口に持って行かなかったのだから。
「まずは恐れいったよ。ご立派なお方だとは思っていたんだが、まさか皇族に名を連ねるものだったとはな」
スィオネは緊張の面持ちで、オレの次の言葉をじっと待っていた。
「だがそれでも年下だ。その偉ぶった口調はどうにかならんか。それにな不自然すぎるんだよ。本当はそんなしゃべり方ではないんだろ? アンタ」
スィオネはぐっと下唇を噛んだ。控える兵士からもそれぞれの仕草から、怒りを堪えているであろうことを感じる。
「そしてもう一つ。よくできた話だが、信じる信じないとくれば別の話だ。自分でも分かるだろ?」
少女は俯いてしまった。確かに話に落ち度はない。だが、だから信じると言えばそうではない。たとえオレが個人的に信じたとしても、これからの行動の指針に据えるには、残念ながら不確定すぎた。もっと、それらしい裏付け、または他の何か動く理由が必要だった。
イオカステは黙ったままだった。が、カリュケは口を開いた。男の低く穏やかな声が響く。
「まあ、コートに同意かな。つじつまは合っている。だけど帝都の地下に魔剣があるなんて荒唐無稽だ。にわかには信じがたいよ」
そのこと? ひょっとしてみんな知らないのだろうか。いや、そうではない。カイムが魔剣の所在を知っていたことが普通ではないのだ。
「魔剣は帝都にある。それだけは信用していい」
オレの声に全員が強い反応を示した。
「オイオイ、オレの顔になんか付いているのか?」
全員の視線を浴びたオレは、思わずそう言葉を濁し、右手甲で頬を拭った。そうしたら本当に何やらネリっとした感触がした。先ほどホジッたアレだろう。
オレはそっと右手をテーブルで拭った。
「擦りつけるでない。汚いのぉ」
フチクッチにバレていた。サスガは伝説の魔術師である。
「帝都に魔剣があるのはワシも知っておる。じゃが若造、なぜお主が知っておるのだ?」
「嘘が嫌いな魔神様の話だ。一応オレは信じることにしている」
その場の数人はオレを警戒していた。そして残りは呆れ顔だ。ついでにフチクッチは前者である。ほとんどが、何を言い出すやら、そう言わんばかりの表情を浮かべていた。
「オレが死にそうな目にあってまで帝国に来た理由の半分は、魔剣を手に入れるためだ」
「何故」
フチクッチの表情が鋭く尖る。擦りつけたことを、まだ根に持っている、ワケではなさそうである。
刺し貫くような鋭利な威圧感をオレは視線で受け止た。そしてにやりと冷たい作り笑いを浮かべ、逆に周囲を威圧した。
「気に喰わない魔族の野郎どもを、根絶やしにするんだよ。あとはいろいろだ」
フチクッチはスィオネを保護した後、定期的に帝都の様子をウラヌシアス公を通じて調べさせていたと言う。
だが最後の報告は、一月も前の話である。そしてハラを括ったスィオネの要請により、この場が設けられることとなった。
フチクッチはウラヌシアス公に大きな貸しがあるそうだ。だからそのツテでウラヌシアス公国を動かし、帝都を奪還する話も持ち上がった。だがウラヌシアス公は動かない、フチクッチはそう結論づけた。それだけにはとどまらず、下手に動きを見せると、スィオネを帝都につき出してしまう可能性も考えられた。
そこで白羽の矢を立てられたのが、聖剣の所有者たるオレである。
スィオネはここで言った。
「頼む、帝国に力を貸してくれ。帝国の民の未来のために。頼む」
「悪いな姫様。オレは王国の人間だ。帝国が衰退すれば喜ぶ側の人間なんだよ」
またしても、兵士が剣を抜こうとした。スィオネは止めよ、と小さな声で制する。
そこで場が白けた。兵士共はオレを親の敵とばかりに睨んでいる。話はここで尻窄みになり収束すると思われた。だが、スィオネはそれを良しとはしなかった。ほんの小さな希望にすらすがり、足掻こうとしたのである。
「コートとやら頼む。帝国の未来などというのは詭弁じゃ。妾はただ父を助けたい、それだけなのじゃ。お願いします。力を貸して下さい」
スィオネは深々と頭を下げた。これが彼女の本音であろう、そうオレには思えた。
動く理由か? そう自分に問いかける。そして決めた。どうせ帝都に行くのだ。用事を一つくらい足したところで、そう不都合はないはずだ。
「上等だ、姫様。だがなあ、オレにも背負っているものがある。こっちの話も少し聞いてくれたら、オレごときで良ければ力を貸そう」
そうしてオレの交渉が始まった。
まずはスィオネからは具体的な話がされた。大まかに言ってすべきことは二つ。帝都に赴きその様子を探ること。状況次第で父であり皇帝のカリスティス・ジュピトリウスの救出であった。
対してオレは王国の現状を正直に話した。そうして、帝都に赴くための交換条件をだした。
伝令を飛ばして、現在の帝国の様子をアントニアディ要塞にいるヤーンという男に伝えること。そして、後に起こるであろう王国西側の独立に協力することを提案した。
そして最後にこう告げた。
「コートというのは偽名だ。オレの本当の名はクーロン。血塗って言ったほうが通じるかもしれんな」
信じる信じないは、この際どうでも良かった。単なる惹句、自分に憎しみを集中させたかったのだ。
これには数名、目を見開いていた。フチクッチもその一人だったと言えよう。ただ彼女の反応は少し違ったものだと感じた。
スィオネは何事もなかったかのように話を続けた。彼女の言によると、アントニアディ要塞への現状報告は可能との事だった。何かしらのルートがあるのだろう。だが独立の協力に至っては、善処をするに留まった。
話を進めるにあたって、カドゥケイタ・メルクリウス二世からもたらされた密書は、実に効果的な役割を果たしたのは言うまでもない。密書にまで控えめとは言えない甘さを感じたのは、果たしてオレだけだったろうか?
オレとしてはこの交渉は、まずまずの成果と言えた。とにかくこれからやるべきことは決まったのだ。
ただオレは、どさくさ紛れに魔剣を手に入れることを心に決めていた。当然、フチクッチには見透かされていたようだった。
「フンッ、食えぬ奴め」
だがやむなしと考えたのであろう、この恨み節とも取れる一言だけで、あとは見てみぬふりを決め込むようだった。
帰り際スィオネはオレを呼び止め、深々と腰を折り、光沢のある赤銅色の頭髪をオレに向けた。
「ありがとうございました」
「いや、これは単なる交渉だ。頭を下げる必要はないよ」
「そのことではないのじゃ。あからさまな悪意を妾に向けることで、他の人の悪意を削いだのであろう?」
オレは彼女を見下ろした。視界に映る彼女は、してやったりとでも言いたげな表情をオレに向けていた。
オレは彼女の頭にぽんっと手をのせようとした。だがやめた。彼女は年端もいかぬ一人の立派な大人だったのだ。
「父を助けたいと言ったアレは良かったよ。オレは偏屈だからな、理屈や正論では動かない。腹を割って括って、初めて膝を突き合わせることが出来るんだ。あと悪いが魔剣は貰っていく。すまんね」
「わかっておる。あんな忌まわしきものにこれ以上関わりたくはないのでな。好きにするがよかろう」
彼女とオレは互いに含みのある笑顔を交わした。裂いた腹をさらに弄くりあうような態度に、どちらからともなくプッっと吹き出した。
「ありがとうよ。アンタの器は思った以上にでかいってのは分かったよ」
「お主の度量の狭さもよく分かった。話ができて本当に良かった」
「お互い様だ」
自分の年齢の半分にも満たない女にあしらわれ、オレは苦笑いを浮かべながら、今度こそ屋敷を後にした。
日が中天に位置する頃には、街道も泥濘に変わっていた。更に歩きにくくなった道に嫌気が差しつつも、来た道を戻りニースの元へと辿り着いた。
ベッドの上で半身を起こした彼女は、相変わらずの静かな笑顔を向けてくれた。
「帝都行きが決まった」
「そうですか。気をつけて行ってきて下さい」
「すまんな」
「いえ、こちらこそすみません」
互いに謝る。そしてその謝罪の言葉には、互いに多くの理由を含んでいた。
ニースは堪えきれずにくすっと笑い出した。そしてオレから顔を背け、幾分悲しそうに窓の外を眺める。
「無理だと思ったら、諦めて帰ってきて下さい」
オレは椅子に腰を下ろし、無言でニースの後ろ姿を眺めていた。
「まあ、そうすることなんて、あなたは出来ないでしょう? 前に進んでばかり。だからこうして念をおします。私はこのままでも一向に構いません。無理はしないで下さい」
柔らかな風が頬を撫でる。そしてオレは静かな時間に身を委ねた。
このままでもいい、そうニースは言う。だがその表情から伝わる感情は、言葉通りとは思えなかった。
もうすぐここを離れる。言いたいことは山ほどあった。だが、すべてが些細なこと。ただ、こうしていればそれでいい、そう思った。
再び、フチクッチが訪れたのは、その日の陽が暮れる頃だった。空気が肌寒くなり窓を閉めようと、窓際に立ち何気なく外を見回した。その時、遠くを歩く老女と目が合ったのだ。オレはふてぶてしい顔をしてみせた。だが老女は構いやしないとばかりに、数分後、扉をノックした。
「また入り浸っておるのか。女ったらしが」
オレも、そしてさすがのニースも苦笑を浮かべる。
「ニース、具合は如何かな?」
「お陰様で、痛みはそれほどありません。助かります」
ニースは現在、フチクッチの魔術での処置を受け、痛みだけは和らいでいるらしい。便利なものだ。
「ニースの容態を診に来たのか?」
「まあそれもある。じゃが、それ以外にも大事な話をしに来た」
一転、フチクッチはその表情に真剣味を帯び始めた。
「何だよ話って。一応、明日の支度をしなくちゃならないんでね、手短に頼むよ」
「驚いたの。主があの血塗クーロンだったとはの」
フチクッチはそう言うと、佇まいを穏やかにした。そして言葉が続いた。
「大事な話というのはの、主の出生に関わることじゃ」
オレは自分の出生に関しては、地下深く檻の中で生まれたこと以外は何も聞かされていなかった。なのに、なぜこの老魔術師はオレのことを知っているのか。オレはフチクッチに強い目線を向け、口も開けない程硬直していた。
だがここには、この言葉にオレよりも強い反応を示した一柱の女神がいた。
「教えて下さい、この人のこと。何を知っているのです?」
がたんと音がした。ニースが身を乗り出してきたのだ。オレははっと我に返り、とっさに倒れこむニースを抱えた。フチクッチは予想外の出来事に、たじろぎ仰け反る。だがそれも一瞬、再び落ち着き払いゆっくりと口を開いた。
「焦るでない、ニース。傷に障ろう。そうじゃな、何から話そうかの……」




