episode 3 自警
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートは美人で名高いニースをあわよくば口説こうと町の庁舎を訪れてい時、町に滞在している貴族が森へ侵入したと報告を受ける。町長のカムランから救出を頼まれたコートは急ぎ町を後に森へ向かった。
「い……生きてるのか……?」
微かな光すら存在しない洞窟の奥。オレは手探りで辺りの様子を確認した。湿った空気と冷たい岩肌の感触が、生を実感させてくれる。
なぜ体が動く。なぜ魔獣がいない。次に脳内を支配したのは湧き上がる疑問の数々である。当然答えはオレの考えの及ぶところには存在しなかった。
とにかく早々に町へ帰ろう。絡まる思考を後回しにして、ゆっくりと立ち上がり洞窟を後にする。
この時、洞窟の奥からじっと見つめていた淡い光を帯びた彼女のことを、オレは気付いてあげることが出来なかった。
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森の入り口に到着する頃には日はとうに中天を過ぎていた。モタモタしていたら日が暮れてしまう。
「やあダンナ意外に早かったな」
皮肉なのかそうでないのか、判断に迷う言葉をかけてきたのは、自警団の団長の肩書を持つ優男であった。
そもそも自警団とは公的組織が存在しないアレンカールにおいて、唯一の治安維持と防衛を担う組織である。立ち上げたのは目の前の団長、名をヤーン。家族とともにどこからともなくこの町に住み着いた、若き農夫である。
アレンカールは王国法に基づき、通常は十人組制度という連帯責任を負わせることで犯罪などを抑止、治安を維持している。だがそれも限界はある。防衛に関しては言わずもがな、対処する体制自体がない。
その際に動く組織それが自警団である。自警団の団員は有事の際のみタダ働き同然で活動する。普段は皆それぞれ仕事を持っている人たちである。言ってみれば片手間である。頭の下がる思いはするものの職業軍人に比べさすがに練度は劣る。
それでも領主不在という喜べない環境や団長ヤーンのカリスマ性もありここアレンカールの自警団の意識と練度は比較的高い。王国内では屈指の活躍をみせていると言われていた。
「ああ、まあ、急いだんでな。状況はどうなってる」
「おおよその位置は把握しているよ。しかし自分達だけで踏み込むには心もとない。ダンナよろしく頼むよ」
ヤーンは濃紺に茂った頭髪をボリボリかきむしって苦い表情を浮かべる。
「まかせろとまでは言わないが善処してみる。給料分は働くさ」
「なさけない話ここはダンナだけが頼りなのさ。面倒事ばかりふっかけてしまっていつものことながら申し訳ないと思っているよ」
青年は軽く頭を下げた。オレは肩を掴み男の上体を起こし、わざとらしい作り笑顔を向け笑った。
「はははは。ここでこうしてのんきに暮らせていけるのはヤーン、アンタの口添えがあるからだろ。気にしないでくれ。それにオレは自分ができることしかやってない。こっちこそ感謝しているんだ。とりあえず行こう」
照れ隠しに話をそらし少し歩く。と、そこにはカイジョー、シンメー、オーワ、ペギー、アスケン、五人の自警団員がいた。しかし各々の表情も仕草も妙に硬い。荒事に慣れている連中とはいえ魔森に突入するのだ。当然であろう。オレは全員を見渡し、話を続けた。
「そう鯱張るこたあない。いくら相手が貴族様とはいえ、互いに無理はしないようにしよう。オレはニース嬢とのせっかくの密会の最中、いいところで邪魔されてここに来たんだ。悪いがとっとと終わらせて、続きに専念させてもらう。オレ自身もそうだし、ここにいる全員、怪我のひとつもゴメンだね。せっかくのいい雰囲気が台無しになっちまうからな。かはははははっ」
高笑いしながらもどこか緊張を孕みつつ嘯くオレに、シンメーが野次を一つ入れた。
「よく言うぜ。あんなべっぴんさんオッサンなんか相手にするかよ」
「ニース嬢がどう思っているかは別としてだ。オレはそういうわけで無事で帰る理由がある。アンタらも帰ったらニース嬢でもボーレアのとこの二番目のリグーリア嬢でも口説いてみたらどうだい? あの娘もなかなかのベッピンさんだ」
オレは言葉通りの品のない顔を繕う。
これはオレの習性のようなもの。虚勢を張り恐怖を和らげる努力をする。ずっとこうしてきて、今は無意識に大見得が口を突く。大して効果が得られないことくらい分かりきっているのににだ。
「はは! そりゃあいい。まあオレはニースを口説くがな」
と、シンメーがそれに答えた。新たな好敵手の出現である。そして勝てる気がしない……。
「しかしリグーリアのあの胸元は反則だ。ニースではああはいかねえ」
カイジョーお前ってやつは。ふとニースの笑顔を、ニースの優しさを、そしてニースの子供のような全身像を思い浮かべる。ああ、全く持って反論はない。
「ニースはなあ……。たしかに綺麗な人だけど、もっとこう女性はふくよかな方がいいよね。抱き心地がさなんともね!」
童顔のアスケンがだらしない顔をしながら語り始めた。アスケン、お前もか。しかもこの男、話が止まらない。こんなやつだったっけ?
「二の腕とかもさ、こうしっかりしてて、おしりや腰回りなんかもパーンとしてるっていうの。あこがれるよね、そういうの」
「アスケン、そんなことばっかり考えているから、奥さん子供つれて逃げてしまうのよ、まったく」
紅一点のペギーの冷気を伴った口調が、話に軛を打った。確かに正論だ。正論だけにそれは言ってはいけない。
「昨晩帰ってきたよ!」
おお! 目から汗が……滝のような汗が……。
「ならなおさら無事で帰らなきゃなあ」
自警団ではアニキ肌のカイジョーがアスケンの肩をガシッと組んだ。いいヤツである。
幾分か団員たちの緊張も和らいだ頃合いであろうか。そう思った矢先、ヤーンの声が響いた。
「いい加減出発しよう。コートのダンナを先頭にカイジョー、シンメー、オーワ、ペギー、アスケンの順で行く。自分は殿につこう。気負わずいつも通りやってくれ。そうすれば、今晩には無事に町に帰れるよ」
ここでカイジョーが悪戯を思いついた子供のような目つきを浮かべ、大声で叫ぶ。
「アスケン、寝不足だろうがここは踏ん張ってくれ」
「な、なんでボクが……」
「カミさん二週間ぶり帰ってきたら、そりゃ寝不足だろ。わっはっはっは!」
豪快に笑う。図星だったのだろう。アスケンは顔を赤らめ、両拳をプルプル握りながらうつむいている。撤回。カイジョー、意地悪なヤツである。
だが確かにこの五人の中での戦闘力はアスケンが突出している。華奢な体躯ではあるものの剣筋がいい。
通常、充分な訓練を受けていない人間の剣筋は『叩く』ものであるのが一般的である。そのため刃は太く厚い。
彼の場合は『突く』『斬る』がかなり高いレベルでできている。なので彼の扱う得物は鋭利で細い片刃の直刀である。以前、どこぞで教えを請うたのか聞いたことがあったが我流だといわれた。天才っているもんなんだね。
それ以上に頼りになるのが弓の腕である。それだけをみれば騎士団クラスに体敵すると思われる。この集団では彼の踏ん張りにかかっている部分は大きいと言える。
そうしてオレ達七人は森の奥へと続く一本道を進む。鬱蒼とした森は夕刻も迫ろうとしている時間帯ともあってさすがに暗い。鳥の羽ばたき、木枝の擦れる音、風の吹く音、何かの獣の鳴き声、様々な音が乱雑に混ざり合う。やや肌寒い空気はしっとりと、だが、それでいてそれほどしつこくまとわりついてこない。まだ瘴気が薄いことを認識した。
しかし、もう無駄口を叩く者はいない。いつ如何なる状況にも対処できるよう心構えている。なぜなら魔獣はその性質上空間から突如として現れるのである。
魔獣狩りを決行した軍隊のど真ん中にいきなり現れて、壊滅を被った事例もある。こうなってしまえば陣形もハナクソもあったもんじゃない。瘴気はまだ薄い。だからとはいえ森での油断は、己の命を簡単に危機に晒すのである。
そうこうしているうちに、魔獣さんがおいでなすった。こちらにはまだ気づいていないのか、興味がないのか、ゆらゆら宙に浮いている。大きさは猫のそれくらい。比較的小型の魔獣だ。しかも単体。脅威は少ないと言える。
少ない胸囲……ふとニース嬢を思い浮かべてしまった。
「右前方に一体いる。見えるかアスケン」
「ハイ! 今見つけました」
「こっちに向かってくるようなら射てくれ」
アスケンが素早く矢をつがえ弓を引き絞り警戒の姿勢を取る。隊列はそのまま左前方へ迂回する。気づかないでくれるとありがたい。と思ったのもつかの間、捕捉されてしまったことが分かった。魔獣の警戒色である赤色の淡い光が、体のあちらこちらから発せられたからだ。
思わず緊張で体をこわばらせてしまったその瞬間のことだった。耳元で弓音が鳴った。ほぼ同時に魔獣が霧散する。
見遣るアスケンは、落ち着き払い矢筒に手を掛けていた。その胆力もさる事ながら、前進しながらの一射で撃退。しかも視界が制限された森の中。オレは舌を巻いた。
そのまま暗がりを進むこと数刻。茂みが深くなるほどに、魔獣の数も徐々に増えてきていた。
深入りするにつれ足場も悪くなるのは、人の出入りが少なくなるからである。当然、隊の機動力も落ちてくる。
オレ達は、とうとう躱すだけでは厳しい状況に追い込まれつつあった。