episode 20 悪計
窓もなく装飾も味気もない、天井、壁、床、六面すべてがまだらな鼠色に覆われた無機質な一室に、五人の男が剥き出しの蝋燭の灯りの下、部屋の中心に据え置かれた大きなテーブルを囲み、なにやら静かな議論を交わしていた。男たちは皆、敢えて陰鬱さを演出しているかのように質の悪い暗灰色のローブを纏い、フードを目深にかぶっている。
ぎぎぎと重々しく響くドアの軋む音が、その場に溜まっていた静かな喧騒を破る。そこには、同様の衣装を羽織った上背の低い細身の男に連れられ、一人の黒髪の少女が佇んでいた。少女はその場の雰囲気に似つかわしくない溌剌な笑顔を振りまき、声を張り上げる。
「サクヤ、入ります! よろしくお願いします! ちょっとこの部屋カビ臭くないですか?」
「御託はいい。こっちへ来なさい」
笑顔も一転、軽く顔を顰める少女を、正面の椅子に座る男が表情を変えず静かな声でテーブルの前へと促した。フードから僅かに覗かせる頬から首、そこに刻まれた深いシワが、袖から伸びる枯れ枝のように干からびた細く歪な指先と相まって、かなりの齢を重ねた老人ということを窺わせた。
「構えなさい」
テーブルの上には一振の剣が置かれていた。『新式聖剣』。魔術で人工的に創りだされた擬似的な聖剣である。何のことはない、少女にとってはいつもの見慣れた剣であった。なのに感じる周囲の一種独特の緊張感に僅かな疑問を抱きながらも、黙って頷き老人に言われるままに両手で柄を握り正中に構えを取る。そして普段の訓練と同様に剣へ意識を集中した。
「おお〜っ」
周囲から暗鬱とした場の様子に似つかわしくないどよめきの声が上がる。少女の目に映るのは、いつものように薄っすら赤い光を帯びる透明な剣身と、一人は水晶球に目をやり一人は本の頁をめくりだす、今までの緩慢な動作が嘘のように急に慌てふためきだす大人達の姿であった。
「静まれい。見苦しいぞ」
一人微動だにしない老人の、嗄れていてもなお威厳を保った声に、辺りは落ち着きを取り戻す。その時少女の頭の中に聴覚を介さない声音が雑音に紛れながらも響いた。
【ザザ…………ザザザ…………「ア」……、ガガガ……「ル」…………ザザザ……ザーー……。】
不思議な現象に戸惑いながらも、聞き取れた音だけを少女は掠れた小声で復唱した。
「ア、ル…………、…………デンテ? そっか、君、アルデンテって名前なんだね」
にこりとあどけなく笑う少女に、大人たちは皆、口には出さないものの「オイッ!」と言いたげな表情でサッと彼女に首を向ける。今まで何が起きても全く動じず、両肘をテーブルに乗せ、両手を顔の前でに組んでいた老人も、この時ばかりは立てていた肘を滑らせ姿勢を崩し、ぽかんと口を開けていた。
この出会いから一年半もの間、この剣は少女の腰に挿され少女と行動を共にしてきた。しかし、未だに人の血を味わうことなく今に至っている。
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自らを魔神と呼ぶ男カイムは関所から北に位置する薄暗い森の中を、何かを探すかのようにさまよっていた。近づく魔獣は彼が指先一つ動かすことなく霧と化して次々と消滅していく。だが森を闊歩するに最大の障害をものともしないこの男も、人の手の入っていない森特有の深い茂みと足場の悪さに行動を阻害され辟易していた。
アレンカールからこの間ずっとカイムは誰にも気づかれずニースを見守っていた。そして今、この不自然な魔獣の大発生の原因を突き止めた彼は、自らが最善と思われる方法で行動していた。
「ボクも随分お人好しになったもんだねぇ」
アレンカールの町でクーロンと約束した言葉を思い出す。その通りに行動すれば、おそらくはこの先ずっと今日までのようにニースを陰ながら護衛していくことになるだろう。クーロンにしてやられたと薄々感じながら、それでも忠実に彼の言を守っている自分に苦い笑いを浮かべ呟いていた。
そうこうしているうちにやっとの思いで、だが人間にとってはあり得ないほどの早さで目的地に到達したカイムは、いつも彼がする鷹揚な笑みを浮かべ、そして一見何もないただ周囲と同様に深い緑に覆われた一角に向かい声を上げた。
「手の込んだことをしてくれたねぇ。おかげでボクでも術の発動まで気づかなかったよ。そこにいるのは分かっているからねぇ。出ておいでよ」
灰色のローブを着た男が何もない空間から、ゆっくりと像を結んだかのように浮かび上がってきた。彼は口の中で苦虫でも噛み潰したように、その表情を歪めている。
「ああキミはあの時の病院にいた魔術師だねぇ。なら話が早いよ。止めてもらえると嬉しいんだけどねぇ、こんなこと」
男は黙って術を組み上げ魔力を流す。虚空に浮かぶ紫色の光はたちまち複雑な文様を形成していった。しかし規則正しく構築されていったその光は魔法陣の完成を待たずして次々と歪んでいく。
「無駄だと分かっていてもやるんだねぇ。このまま魔力を流し続けたらねぇ、怪我だけじゃ済まないかもよ」
男は悔しさにギリギリと歯に力を込める。それでも手を休める気配がない。
「そういうことねぇ。勝手にしたらいいよ」
男が魔術を暴走させる。それを自爆と判断したカイムは、構わず次々と魔法陣を崩していく。不規則に歪められ、そこに溜められた魔力を維持できなくなった魔法陣は、目的を達成させることなく魔力を無秩序に放出させた。
大きな爆発音に続き、粉微塵になった木々の欠片、舞い上がる砂埃、石礫が暴風に乗せられサクヤ達一行の前方から激しく襲いかかってきた。サクヤはここまで付いてきた男たちに木の影に隠れてやり過ごすよう提案し、何が起きているのかを見定めるべく爆発の現場へと急ぎ向かう。クーロンに置いて行かれたことに憤りつつも、彼に何かあったのではとそれが気がかりだったのだ。
現場に到着したサクヤは見たこともない光景に息を呑む。爆発の影響でクレーターのようにほぼ環状に木々や茂みが吹き飛ばされ土がむき出しになった一帯が、彼女の視界のほとんどを覆う。そしてその中心付近には茶色のコートと同系色の帽子を被った優男が、灰色の何かを脇に抱え自分を捉えていた。
「あなたは誰ですか? さっきの爆発はなんですか? あなたはここで何をしているんですか? なぜあなたは無傷なのですか?」
右手に持つ剣の切先を自分へと向け、矢継ぎ早に繰り出される少女の問いかけにカイムはゆっくりとした口調で答えた。
「ボクはカイム、この爆発は彼の魔術がねぇ暴走したものなのさ」
とカイムは脇に抱えた男に目を向けた。ここでサクヤはこの灰色の物体が人間だということに気付く。
「死んでいるんですか?」
「いや、生きているよ。いろいろ聞きたいことがあってねぇ、助けてあげることにしたんだよ。ボクは先を急いでいるんだけど、もういいかな」
「ここで何をしていたかだけ答えて下さい」
余裕を持った態度を崩さないカイムから感じる圧倒的な威圧感に、掌から汗がにじみ出る。その汗に違和感を感じサクヤは剣を握り直した。
「いたずらっ子を懲らしめていたんだよ。彼ねぇここに魔法陣を隠していたのさ。それで向こうの砦に瘴気を発生させていたんだよ」
カイムに促されるまま後を振り向くと、そこには爆発によって開けた木々の上から僅かに見える城壁があった。そこでサクヤはやっと自分が迷いに迷って反対方向に進んでいたことを認識する。またポカしてしまった……。サクヤは額に盛大な冷や汗を浮かべながらしばらく俯いてしまっていた。
「も、もういいかな。いいなら行くねぇ」
「わわわわわ! 待って下さい! こ、これからどうするんですか」
何故この少女は焦っているのか。よくわからないカイムは、別れを告げ次の魔法陣へと体を向けた。ハッと我に返ったサクヤは慌ててそれを制する。
「あと二つ同じような魔法陣があるんだよねぇ。それを壊しに行くよ」
「なら私も行きます」
「ボク一人で充分だよ。あそこの砦に守りたい人がいるのならそっちに行ったほうがいいよ」
煩わしさもあったのだが、それ以上に秘密裏に女神を守るという本来の目的を見破られることを嫌がったカイムは、サクヤの申し出をサラリと断った。そして今度こそ別れを告げようとしたその時、以前にブラマンテの森の洞窟で遭遇した瘴気の異常な集まりを感じた。そして自分が魔術師の術中に嵌ってしまったことを理解した。
「いや、ダメだ。できるだけ砦から離れたほうがいいよ、今すぐ」
「どうしたんですか? 急に」
急に今までになく真剣な態度に変わったカイムを、不思議そうに見つめるサクヤ。そのカイムの口からサクヤの予想もしなかったことが告げられた。
「信じてもらえないのを承知で言うよ。これも罠だったみたいだよ。魔法陣がどこか一ヶ所破壊されたら残り二つの魔法陣が一気に残りの瘴気を絞りだす、そういう仕掛けになっていたみたいだねぇ。これほど濃い瘴気が一か所に集まったらねぇ、もうすぐ魔族が現れるよ」
「魔族って、十年前のあの魔族ですか?」
カイムの表情の変化から事の重大さが伝わってきた。しかしそれでもあまりにも現実離れした話に聞き返さずにはいられなかった。
「そう、その魔族だよ」
「……そうですか。分かりました」
嘘なら嘘でそれもいい。しかし彼の言っていることがもし本当ならば事態は急を要する。魔族がどういうものかは伝え聞いたことしか知らない。紅瞳銀髪で魔術師よりも魔術に精通し剣士よりも強い。たった一人で一国をも滅ぼすことが出来る力を秘めた化け物。そんな魔族と対峙して自分は何かできるとは到底思えない。だが行かなくては。クーロンなら間違いなくそうするであろう。
「今砦に行くのは危険だよ」
「心配してくれてありがとうございます。でも行きます。本当に魔族が来るなら逃げてもどうせ危険なんです。なら意味のある行動を取ります。多分あの人ならそうしたでしょうから」
別れの挨拶もおざなりに、サクヤは踵を返し全力で、今度は関所の方角へと向かった。
「あの人ねぇ……」
カイムもそんな少女にやれやれと言いたげな表情を浮かべ、意味ありげに呟いたあと、脇に抱えた魔術師をその場に放り捨て次の魔法陣へと急ぎ向かう。確かに魔族を出現させれば多くの魔素を得ることが可能である。だがニースを殺されては元も子もない上にクーロンがいない今、魔族に勝てる可能性もそれほど高いわけではない。今は魔族を出現させる前に全てを終わらせるべく行動するのが最善だと判断したのである。
魔術師達は、いつもたった一回の失敗で全てを台無しにするような策ともよべない未熟な目論見を用いるとカイムは感じていた。今回もそうだ。思い通りにいかなければ魔族を出現させ、全てをガラガラポンにしてしまおうという乱暴な意図が透けて見える。そんな彼らの異常なまでの自尊心の高さに、カイムは自身の苦しくても投げ出さずギリギリまで足掻いた三千年を重ねる。彼の表情には、不快さがありありと滲み出ていた。




