episode 15 脱出
残響が不協和音となり不快が鼓膜を支配するその向こうで、微かに聞こえる慌てふためく声と馬のいななき。
オレは振り返るとすぐさまサクヤの安否を見定めた。まだ大人になりきっていない細りとした体に釣り合わない幅広の二本の紅剣をそれぞれの手に携え、猿のごとく素早い動きで屈強な兵士の鼻面をすり抜け引きずり回す姿が、オレの目を捉えた。この混乱に乗じ、うまく束縛から逃れることができたようだ。
彼女はオレと目を合わせると、もう自分は大丈夫とでも言いたいのだろう、凛々しく笑みをこぼした。
「戦えるか! サクヤ」
オレは彼女の意志を確かめる。すると思春期特有の迷いのある表情を少しの間ちらつかせたものの、あどけなさの残る顔に目一杯の想いを込め叫び返した。
「はい!」
彼女の返事はその一言だけだった。すべてを信じてオレに預ける気だ。つい今しがた本気で斬り合い、殺し合った、オレにだ。若いというのは単純でいい。年を食うとそうはならない。何を隠そう、オレには自分の年齢の半分にも満たない小娘に、いいだけ痛めつけられた蟠りが、まだしこたま残っているのだ。
オレは近づいてくる兵士を一人なぎ倒し、サクヤの元へと走り寄った。ついでにこの兵士に恨みはない。心にしこりを残した少女を助けるために、なんとも思うところのない男を傷めつける。そのちょっとした矛盾に苦笑いしてしまう。
そしてオレとサクヤは、互いの背を向き合わせる形をとった。その時、思わず頭を小突いてしまいそうになったのはここだけの話だ。
「サクヤ。アンタはここをどう収めたい」
「………………。できることならだれにも死んでほしくありません」
遠慮をしてのことだろう。言葉をつまらせながらも、純粋な思いを口にする。ホレスといいこの娘といい、好き勝手オレの胸中をかき乱してくれやがる。神撃部隊ってのは揃いも揃って、こんな青臭い奴らばかりを集めた集団なのだろうか?
「はは。随分と甘っちょろいんだな。だが嫌いじゃない。まあアンタならこの程度のことどうにかしてしまうかもな」
「はい!」
アホが。敵さんに囲まれているっていうのにそう嬉しそうな顔するなよ。困難な状況下で満面の笑顔を向けて見上げるサクヤに、ついつい悪態を吐きたくなってしまう。
「ならこの場は逃げる。逃げてどうする?」
「…………」
そこまでオレ任せかよ……。だが年端もいかぬ女子供に道を示せずして何が大人だろう。と、らしくないことを考えるのは、今や暇を持て余している身の上だからだろう。ともかく出来るとこまで面倒みてやろうじゃないか。
「ついて来い。このまま街道脇の茂みに入る。行き先は深い森のど真ん中だ。覚悟しろ」
「はいっ!」
元気のよいサクヤの返事を合図に、オレ達は囲みの薄い一部分めがけて、互いの全速力で走りだした。そこへ二人の兵士が立ち塞がる。たかだかオッサン一人に翻弄され、たかだか小娘一人を取り逃がした精鋭達は、苛立たしさにその顔を鬼の面のごとく歪ませていた。
だがそんなことは構いやしない。オレ達は走る速度を緩めず街道脇に向かった。
オレが兵士の一人の顎を鋼の棒で打ち突いていたその時、一人の兵の剣を去なし鳩尾に肘を突く少女の姿がそこにはあった。後方から迫る騎兵の前脚を払い落馬させたその時、側方から迫る騎兵の頭を剣の腹で打ち据える少女の姿があった。
そうしてオレ達は囲みを抜け、群がるハチのごとく迫ってくる敵兵を躱し、騎馬での侵入かなわない森の中へと突入した。
「何をしている! 追え! 捕まえろ! 何のためにお前たちに聖剣を持たせてると思ってるんだ」
「し、しかし。これ程の………………」
遠くでシュナイベルトの怒声が聞こえた。いい気味だ。
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「ご報告申し上げます。クーロン、サクヤの両名、完全に見失いました。また馬の機嫌が悪くイオビス、ホレス両名の追撃は困難と思われます」
「二十三騎の精鋭がたった一人の男にああもいいように遊ばれて恥ずかしくないのか!」
シュナイベルトが報告に来た副長に怒号を飛ばす。
「将軍、お言葉を返すようですがあれほどの手練、我々の手に負えるものではなかったと自分は推察いたします」
「何のための聖剣だ! その腰に吊り下げているものは飾りか!」
ひと回り小さくなってしまった副官に、顔を憤怒の色に染めながら唾を飛ばす。
「全員が聖剣の力を引き出したにも拘らずこの惨劇であります。生きてることだけが救いですが、これもあの男が見逃してくれた結果でしょう。将軍、あの血塗と呼ばれる男は一体何者なのですか」
「フンッ。ただの罪人、それだけだ。神撃部隊とクーロンのペンタスの村への侵入は阻止した。いかに血塗と言えど森に入ればただでは済むまい。作戦は成功だ。状況が整い次第ペンタスの村へと帰還する」
シュナイベルトは怒りを顕にしたものの、その後は平静を取り繕った。しかし、その後ペンタスの村に到着するまで、掌に自身の爪が深く食い込むほど強く手綱を握りしめていた。部隊の副長は、将軍のその仕草を見逃してはいなかった。そしてクーロンを取り逃がしたことに言い知れぬ不安を覚えていた。
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茂みを突っ切り森の深みへと足を踏みれる。ひっそりと静まり返った森は、オレ達の侵入を拒むかのように、鬱蒼と草木を生い茂らせ前進を阻んでくる。それをかき分け歩を前に進めていた時、ざわめく茂みの音に紛れて、すすり泣く声が聞こえた。その声の主は大粒の涙を流しながら、それでもオレのあとに続き道なき道を漕ぐかのように全身を使って歩いていた。今は瘴気が薄い。今のうちに前に進むという選択肢もある。だがオレは少しだけ腰を落ち着けそうな場所を探し、そこで一つ休憩を挟むことにした。
「しばらく休め。オレは食えそうなものと水を探してくる」
サクヤは膝に顔を埋め肩を震わせながら小さく頷いた、ように見えた。張り詰められていた緊張の糸が緩んだのだろう。とにかく一人にしてやることにした。なぜなら何を隠そうオレは、こういう雰囲気がとても苦手なのだ。それに泣いて済むのなら目いっぱい泣かせてやろうとも思った。
「食いたくないだろうが我慢して食え。これから少し長い旅になる。食える時に食わないと身が持たんからな」
採取した木の実を大きめの木の葉に包み、サクヤへと手渡す。少し落ち着きを取り戻したサクヤは、ムクッと顔を上げ赤く腫らした目をオレへと向けた。
「ありがとうございます」
小さく掠れた声で一言礼をのべると、ゆっくりと手を伸ばし少しずつ口へと運ぶ。こういうところはやはり兵士であり剣士、強いなと感心した。そして二人でしばらくはこうして無言で味気のない食事にありついていた。
「ホレスさんと隊長大丈夫でしょうか?」
唐突にサクヤが口を開く。ずっとそのことを考えていたのだろう。人の心配よりこれからの自分を心配したほうがいいというのに。オッサンと二人っきり森の中。少しは警戒くらいしてはいかがなものか。
「馬には悪いが、しこたま虐めつけてやったからな。ああ怯えきっていれば、すぐには追えないだろうな。それにホレスも強いんだろ?」
「はい。強いです。私なんかよりもずっと。ホレスさんにはいつも助けてもらっていましたから」
どんだけ自己評価が低いんだ、このお譲ちゃんは。だがそのことを指摘するよりも言うことがあった。
「なら大丈夫だ。心配するだけ損だ。それよりもなぜオレを信じる気になったんだ」
「神撃部隊を含めて倒した人は十三人。でも死者はいませんでした。意識してのことなんですよね」
「たまたまだ。少なくともアンタに対してはそんな余裕はなかったよ」
どん詰りの状況に置かれながらも、よく見てやがる。だが本当にたまたまなのだ。たまたま、そこまで追い詰められなかっただけなのだ。
「それは剣士として光栄です」
「やっと笑ったか。だがアンタの言葉がなければ、シュナイベルト隊には死者が出ていたかもな」
サクヤは少し笑った。だがすぐにもとの鎮痛な面持ちに変わる。
「ペンタスの村に行った他の仲間たちも心配です。無事だといいんですけど」
「さあな。こればかりは心配してもしょうがない。今はどうにもならんよ。とりあえず頭の隅に追いやった方が賢明だ」
おそらくは……。ただ無事な可能性も残されてはいる。シュナイベルトらの仲間だった場合だ。しかしそれは彼女にとって無事で済まなかったことよりも残酷な事なのかもしれない。
「クーロンさんが生かしてくれたのに、チュータさんもコプリさんも将軍に殺されてしまいました。そして私もクーロンさんが来なければ二人と同じ目にあってたんだろう思います」
アンタの腕ならそれはねえよ、と思いっきりツッコむ。心の中で。
「人を殺めることをしなかった。これが私がクーロンさんを信頼した理由かもしれないです。あとは、そう、剣を交えた時、悪い人じゃないと思いました。あっ、その前もです。クーロンさんが剣を振っている時、思わず見とれてしまいました。でも、その時は怖さもありました。みんな殺されちゃうんじゃないかと思ってましたから」
この娘の前で剣を振った記憶がない……。この棒のことだろう。たったそんなことで信じたというのか。純粋というか何と言うか。詐欺や人攫いの類に遭わなければいいのだが。詐欺師のためにも……。
「甘い見通しだな。だが悪い気はしないよ。役に立てるかどうかは分からんが、信頼してくれた分だけは条件次第で働くよ。オレはただの傭兵だからな」
「ありがとうございます」
「勝手に話を進めるなよ。条件があると言ったろ」
サクヤはドキッとした表情を浮かべオレを睨んだ。この視線に記憶がある。年甲斐もなく思わずチラ見をしてしまい、それがバレたっぽい時に返ってきた蔑みの視線に限りなく似ている。お、おい。ご、誤解だ。オレは慌てて言葉を発した。
「オレをあまり信用するな」
言い方を間違えた。サクヤの目つきに漂う不信感が深みを増す。ち、違う……。そうじゃない。
「あ、あと危なくなったらオレを見捨てろ。その二つだ。守れるか」
あともう一つ。変に勘ぐらないでね。
「はい……。なぜそんなことを言うのか分かりませんが守れと言うなら守ります」
サクヤは真剣な表情で答えた。ホッ。誤解は解けていたようだ。
「逆に聞きます。クーロンさんはなぜ私を助ける気になったんですか?」
「ああ、そうだな。何となくだよ。何となく」
オレは適当に言葉を濁して露骨にごまかした。若者達の熱い想いにハートを射抜かれたなんて恥ずかしくて口にできるか、バカモンが。当然魂胆が丸見えだ。サクヤはオレに疑いの眼差しを向けつつ低い声で言った。
「私からもお願い、いいですか?」
「言ってみろ」
「本当のことを教えて下さい」と目をキラキラ輝かせて言うつもりなのか? 若さゆえの直球勝負。いいねぇ。オッサン、クラッときちまう。それとも「私のことも信じないで下さい」みたいな感じでご破算にする算段なのか? それなら最近の若い者にしては粋な計らいである。コレもイイ! はたまた「私を弟子にして下さい」と三つ指でも立てるつもりか? う〜ん弟子か。そこまで言うんだったら取っちゃおうかな〜、弟子。
「変なことしないでください。お願いします」
容赦なく浴びせられる冷たい言葉と冷ややかな眼差し。これはこれでご馳走……いかんいかんいかん……。誤解である……。
信用するなと、舌の根が乾かないうちにこう言うのもアレだが、もうちょっと信用していただいても宜しいかと……。




