episode 13 解封
赤い光が目の前を通過した。刹那に過った直感。それを頼りになりふり構わず腰を引かなければ、首と胴とが切り離されていたであろう。
急な動きを余儀なくされ体勢を崩してしまったオレへ、間髪入れずにもう一方の赤い光が襲いかかる。当てずっぽうに右へと飛び何とか避けるも、左わき腹に軽い痛みが走る。
何合ばかり打ち合ったろう。いやいや、そもそも打ち合ってなんかいない。一方的に打ち込まれているだけに過ぎない。彼女が二剣を構えてからというもの、オレは躱すことに専念せざるを得ない状況に追い込まれていた。まったくもってジリ貧だ。
躱した瞬間距離が空く。しかしサクヤは速い。すぐ詰められる。その寸隙を縫いオレは地面の砂を蹴り上げ相手に飛び込んだ。だが敵もさるもの。顔面が砂に塗れるも全く躊躇せずに剣を振るってきた。オレは相手が防ぐことを前提に動いてしまったため避けきれない。已む無く今一度能力を開放した。
ゆっくり迫ってくる紅剣の腹を鋼の棒で突き下げ、右足で踏みつけた。そのまま全力で踏み込みもう一方から近づいてくる紅剣の柄を握る。そして右足を支点につむじを巻くように体を旋回させ能力を収めた。
たまらず彼女は踏みつけられた左の剣を手放すと、右手に持つ柄を軸に宙に浮く。そのまま地面に叩きつけようと体を捻った直後、彼女は遠心力に抵抗しオレの伸びきった肘に膝を合わせる。それを回避するためオレは紅剣の柄を手放し右手に持ち替えようと試みた。しかしその右手をサクヤが払いのける。回転運動から開放され、そのまま派手に宙を舞ったサクヤは、体を地面にたたきつけられると砂埃を上げながらゴロゴロ転がった。
その時ズキンと頭の中で何かが蠢くような感覚が走った。耳元では大きな音がけたたましく鳴らされ、眩ゆい光が目を焼き付ける。思考は曖昧になり激しい頭痛に見舞われた。能力開放の副作用『呪』がオレの脳内を蝕み始めたのである。
闘争心を剥き出しにゆっくりと立ち上がるサクヤに、オレは何とか悠然に振るまい余裕綽々の表情を半強制的に作りこみ黙ってそれを見守る。何のことはない、今のオレに出来る精一杯の詐術である。
その時、黒髪の男が震える声を振り絞った。
「サクヤ、もういい。もう終わりだ。クーロン、お前も逃げてくれ。俺達はもうお前の後を追わない」
「ですが隊長、サクヤのヤツ完全に押してるんですよ。見て下さいヤツは傷だらけじゃないですか」
確かホレスとか言ったな、この男。何もしてない人が口だししないでくれます? 隊長が終わりと言っているんだ。従おうじゃないかよ。たのむよ。
「だが攻めきれていない。ここでサクヤが殺られたら俺達全員が殺られることになる。隊長としてそれを認めることはできない。サクヤが互角に戦えている今なら相手も剣を収めてくれるんだ」
「そ、それは……」
光の消え失せた水晶の剣身を杖代わりに立ち上がる隊長の言葉に、ホレスが言葉を詰まらせる。
あの〜、いくらボクでもそこまでするつもり無いんですけど……。しかしせっかくのお言葉。肯定するかのように斜に構え不敵な笑みを作ってみせた。そしてここぞとばかりに隊長に追随する。最近のオレ、ハッタリばっかりだ。でも得意だったりします、こういうこと……。
「いい隊長を持ったな。まあ、アンタらにそれほど恨みはない」
ホントはたっぷりある……が、ここはガマンのしどころである。
「逃してくれるなら、ここでお別れといこうじゃないか。コイツは慰謝料に貰っておくよ」
脳内の『姑息』を司る領域がいい感じで活性化してきたオレは、足元の紅剣を拾い上げ偉そうに肩に担ぎ周囲を煽った。ホッとした表情で構えを解いたサクヤに対し、クッと唇を噛んだホレスは剣を正中に構えた。
「やめろ! ホレス。お前では敵わない」
「サクヤと二人でなら殺れます」
隊長の言葉を否定したホレスの剣が徐々に赤みを帯びてゆく。しかし肩は緊張で強ばっていた。それを見透かしたオレは切先をホレスへと向け、クテシフォンを握った時の感覚をイメージする。するとホレスの剣と同様に、剣身が緩やかな赤い光に包まれた。ナルホド。あの口うるさいマセガキとよく似ている。
ホレスは足をジリジリと動かし距離を測ってはいるが、気圧されているのは見え見えである。
「やめましょう、ホレスさん。聖剣の力をあんなに簡単に引き出す人です。私達じゃ敵いません」
緊張を破った言葉に、最初はサクヤを睨みつけたホレスだったが、すぐに構えを解き項垂れてしまった。それを確認したサクヤが今度はオレを睨みつけた。
「その聖剣は私達にとって大事なものです。置いていって下さい。でなければ、いずれ神撃部隊があなたを追い詰めることになります」
「怖いお譲ちゃんだねえ」
ここで欲張ってもしょうがない。オレは紅剣で檻の格子を一本斬り鋼の棒を手にした。そして剣を足元へ刺す。
「これは返すよ。その代わりコイツは貰っておく。最後にお願いだ。オレに会っても知らんぷりを通してくれ。アンタらはいい奴らだ。死ぬんじゃねえぞ」
「はい、お心遣いありがとうございます。どうせ捕まって殺されるというのに、これからどこへ行くつもりなんですか?」
サクヤはほろ苦くも優しい笑顔を浮かべオレに聞いてくる。ただ、その言葉には軽く辛辣さが浮かんでいた。
「知るかよ。どっか隠居できそうなとこでも探すよ。じゃあな、サクヤ」
「クーロンさん。あなたもせいぜいお達者で」
軽く手を振るオレにサクヤは深々とお辞儀をした。言葉と態度が妙にちぐはぐなのは、気のせいではないだろう。その場にのこる四人の精鋭は、そんなオレ達をそれぞれの思いで見守っているようだった。
オレの役目はもう既に終わっていた。別に急ぐことはないのだ。オレは鋼棒を肩に担ぎペンタスの村へと向かう街道を悠々と歩き始めた。
一連の茶番劇の結末を確認したい、ただそれだけだった。放火犯が現場に現れる心境に似ているのだろう。ニースは王家に守られる。担保としてクテシフォンとカイムを彼女の傍に置いた。もし魔族が襲ってきてもニースだけはどうにかなるだろう。
そして自分自身は誰にも気づかれずにどこへともなく旅立つことを決めていた。
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その頃ペンタスの村では、カドゥケイタによりトリスメギスティ軍から接収した、ニース封印の壷の開封が行われていた。
物々しいほどの警戒態勢が取られ、多くの兵士がその場に詰めかけている。そんななか、壷がゆっくりと横に倒され、トリスメギスティ軍隊長にして魔術師のバラグタス監修のもととうとう封印が解かれた。
カドゥケイタの部下の兵士が蓋を開ける。すると中からドロッとした真っ黒な液体が、急流のごとく流れだした。その勢いで人間の下半身と思われる部位が滑り落ちる。激しい薬品臭にそこにいる全員が顔を顰め口を覆う。兵士はその臭いと惨たらしい光景に嘔気を堪えながら黒く汚れた物体を引きずり出す。ゴロンと現れた細く小さな体は縛布に巻かれ金属の仮面を被せられた状態を保っていた。
ガーゼで顔の下半分を覆ったカドゥケイタが、険しい表情でつぶやく。
「本当に……生きているのか……?」
兵士によって錠が外され仮面と縛布が取り払われる。そしてその姿が顕になった。全身が黒く汚れているものの今まで見たことのないほど穢れ無き美しさを放つ少女が、まるで眠っているかのように目を閉じ横たわる姿に、そこにいる全員が息を飲んだ。
誰もが驚き固唾を飲んで見守っているなか、少女は眦を動かしコホンッと一つ咳き込むと大きく息を吸いゆっくりを瞼を開けた。少女はやや呆けながらも自分の動きを一つ一つ確認するかのようにやおらかに起き上がり辺りを見回した。この世にあるまじき光景を目の当たりにした周囲の人々は粛然とさせられた。
それはカドゥケイタも例外ではなかった。だが驚きに一拍置くもさすがは第四王子である。すぐさま我に返り、すかさず口を開いた。
「お目覚めかな? 我が女神ニースよ。僕は王国第四王子カドゥケイタ・メリクリウス。どうぞお見知りおきを。女神にその姿は労しい。湯浴みの準備が整えられているので、先ずは不浄を取り除いてからゆっくりお話いたしましょう」
状況を理解していないニースは無言で頷くと、彼の言に従うことにした。女性兵士に促され退室したニースは、そのまま浴場へと連れて行かれた。
何とか生き抜いた。生を噛みしめる。そして身を清めゆるり湯を浴びる。湯浴みはいつ以来だろう。気持ちがいい。久々に味わう心地よさに身を任せる。すると徐々に虚ろな記憶が実を結んできた。とりわけニースが気にしたのは、アレンカールの現状とクーロンの状況である。ニースの感覚ではあれから精々一ヶ月というところ。今、こうしてこれほど早くに封印が解かれたということは……、ニースはおぼろげながら理解した。自分がいるこの場所はクーロンが用意してくれたものなのだろうと。おそらく命がけで。水面に映る自分の顔は、普段のニースには似つかわしくない仄暗いものだった。
湯浴みを終えたニースに用意されていたものは、その場の雰囲気からは考えられないほどの豪奢なドレスだった。白を基調に金糸で刺繍が施され、そこに大小様々な宝石が縫い付けられているそれは、自分のために用意したのか疑わしくなるような代物だった。大いに戸惑ったものの他に着るものがない。已む無くそれに袖を通すことにした。ウエストはコルセットをせずともすんなり収まった。だが胸の収まりがどうも悪い。それを察した女性兵士は困ったような笑顔を向け綿を詰め込み上手い具合に収めてくれた。これにはニースも赤面してしまう。
「私も同じ悩みを抱えていますから」
「何から何まですいません……あはは……」
俯くニースを安心させるかのように声をかける女性兵士の心配りに、ほんのりとした優しさを感じ自然と小さな笑いがこぼれ落ちる。その彼女に付き添われ案内された先には、バカバカしいほど豪華に飾り付けられた一室があった。
広くもない部屋に隙間なく置かれた調度品の数々、壁をうめつくすほどのタペストリー、場違いに大きなシャンデリアに面を食らったニースは少しばかり立ち止り固まってしまった。そんなニースの正面には先ほど言葉をかわしたカドゥケイタと名告る、自分の知っているカドゥケイタ・メルクリウスとは似ても似つかない甘美な声の男が、どうだと何かを誇るように大きく両手を広げている。向かってその右隣りには身なりのよい壮年の男、そして左側には燃えるような赤い髪を蓄えた若く美しい女性が立ち上がり自分を迎えてくれた。彼らの後には数名の兵士が控えている。
「改めましてこんにちは女神様。ようこそわが部隊へ。近々わが城へとご案内いたしますので今しばらくご辛抱を」
芝居がかったセリフに疑わしさを覚えたニースだが、その表情から感情を読み取れるものはその場にはいなかった。
「この身をお救い頂きありがとうございました、カドゥケイタ殿下。ニースと申します。私は一介の市井の者。そうお気遣いなさらないようお願いいたします」
「何を言われます。あなたは歴史に度々現れてはこの国をお救いになった女神様。丁重に扱わなければ末代まで誹りを受けましょう」
礼に則り丁重なあいさつをするも王族、貴族特有の持って回った言い回しに居心地の悪さは拭いきれない。何百年たってもこういうものは変わらないのだなとニースは一人ほくそ笑む。と、隣の貴族然としない女性貴族から握手を求められた。
「はじめましてニース様。私はボレリアス家領主、カスティリオーネ・ボレリアスという者でございます。以後お見知りおきを」
一歩前へと出るカスティリオーネ。ニースは差し出された右手を恐縮とばかりに両手で包み込んだ。なおも近づいてくるカスティリオーネ。その強い視線に何かの意図を感じ不自然にならないよう彼女に少しだけ寄り添う。
「シンメーとコートが心配しておりましたよ」
小声で一言告げるとカスティリオーネは満面の笑顔を向ける。彼女から自分を思いやる気持ちが伝わった。
「ありがとう」
ニースは小声で呟いた。それを聞いたのか聞かなかったのか、赤髪の領主はそのまま素早く翻り、元いた場所へと戻った。
クーロンが生きている? 今何をしているか分からない想い人の無事を察しニースの表情が少し柔らかいものへと変わる。しかしそれも長くは続かなかった。
三者三様の自己紹介を終えたあと、ニースは用意された席につかされ食事が運ばれた。
「女神様のお口に適うとは到底思いませんが、どうかお召し上がり下さい」
カドゥケイタの一言で食事会が開始された。すかさずカドゥケイタがニースに甘ったるい声をかける。
「先代のカドゥケイタ王子にお会いになったことは?」
唐突な質問にその意図を探ろうと少しの間口を噤む。しかしただの前置きと判断したニースは、正直に答えることにした。
「ええ。先代のカドゥケイタ殿下にもとても良くして頂きました」
空気にざわつきが混じる。少し怯んだカドゥケイタだがなおも質問を続けた。
「で、どのような人物だったのですかな」
口調が本来のカドゥケイタのものになってきているように、ニースには感じられた。おそらく本当に興味のあったことなのだろう。ニースはこの問い掛けに自分の思いを素直に口にすることにした。
「伝えられている通り勇者然としている方でした。公正で正義感が強く、並々ならぬ勇気をお持ちでした。そしてとても優しい方でした」
「なるほどね」
カドゥケイタの口元が一瞬ヒクついたのを、ニースは見逃さなかった。彼の本心を見極めよう。ニースの意識がカドゥケイタへと向く。
「今度はキミの番だよ、ニース。聞きたいことがあるなら聞いてごらん」
先代の話で感情に火が点いたカドゥケイタは、本性を顕にニースに質問を要求した。ニースは逸る気持ちを抑えカドゥケイタへ問う。
「アレンカールの状況をお教え下さい」
「あの町は開放されたよ。あれだけ荒らされたんだから、すぐに今までどおりとは行かないけど、じき普段の生活を取り戻すよ。君の目論見通りになったんじゃないかな」
ニースは安堵して、ふうっと息を吐き胸を撫で下ろす。そして本題に入った。
「もうひとつだけお聞きします。アレンカールで傭兵をしているコートと言う男をご存知でしょうか?」
その問いの答えとばかりにカドゥケイタは歪に口角を上げ嗤った。嫌な直感が頭を掠め生ぬるい感情が胸の奥から湧き出す。
「コートという男は知らないね。血塗クーロンのことなら、まあ少しは知っているかな」
敢えてもったいぶった表情を晒す第四王子を目にし、ニースのしなやかな曲線を描いた細い背筋に、得も言われぬ悪寒が走った。




