episode 8 痛痒
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートはニースを森に連れて行ってほしいとカムランに依頼される。迷ったものの数日後、ニースに自分は人間ではないと打ち明けられたコートは、ニースを森に連れて行くことを決意する。そして森の奥深い洞窟でヤバい魔獣に遭遇した。
「痒い……」
光が一切差してこない暗い洞窟の奥。ニースが結界と呼んでいるこの場所に到達したオレの第一声がこれだった。
「コートさんありがとうございます。私一人じゃ追いつかれてました」
「足……速いんだな……」
「あははは」
後頭部に手を当て照れくさそうに笑っているが、別に褒めたわけではない……。
「とりあえず安全だとは思いますが、夜になるとここにも魔獣が来ます。この先に私が以前住んていたところがありますので行きましょう」
なんと一人暮らしの女の子? のお部屋? におよばれしてしまった。コレって誘ってるってことでいいんですよね? あんなことやこんなことがあってもいいってことなんですよね?
────「いつでもウチに来てくださいね! 腕によりをかけて待ってますから」────
都合のいい言葉だけを思い出す。どんな部屋なのだろうかドキドキワクワクである。ニースの場合、オレが思うにピンクとか水色とかそういう感じではない。淡い緑系で統一されたちょっと自然派な感じながらも可愛らしい部屋だろう。そしてさらにレイアウトやら小物類、クローゼットの中の様子に至るまで事細かな妄想に浸る。
と、ニースが足を止め胡乱げな目でオレを見上げていた。
「あなたが今、何を考えてたのかは分かりませんが、着きました。ここです」
ふと我に返り辺りの様子を見渡す。洞窟を抜けるとそこは……単なる行き止まりであった。そもそも洞窟、抜けていない。
ハハ〜ンこれはアレだな。呪文のようなもので岩戸かなんかが開くって寸法だな。いや待て。曲がりなりにも 神の御業である。そんな単純なものでは済むわけがない。三百年もの間ニースを守り抜いた仕組だ。ま、まさか神話に出てくる古代機械……。
オレはごくりと生唾を飲み込み、ニースの様子をうかがう。するとニースはおもむろに腰を下ろした。そこに何があるというのだ……。
「コートさんも座ったらどうですか。それとも横になっちゃいます? あはは」
ここかよ……。ここに住んでいたのかよ……。
ただのつきあたりである。女子の一人暮らしなのにちょっと不用心過ぎやしないでしょうか……。内装もあそこの窪みあたりは、ものすごく頑張れば可愛らしく感じないこともないかもしれない。
自然派といえば自然派だ。しかし、オレの知ってる自然派とは何と言うか趣が違う。
そう、自然派の『派』が無いのだ。一切人の手が加えられていない、ただの自然である。
────「いつでもウチに来てくださいね! 腕によりをかけて待ってますから」────
任務は遂行したものの予想の斜め上を行くどころか斜め下を這う結果に、当初の予定(妄想)が音を立てて崩壊していった。
とりあえず気を取り直し、彼女のお言葉に甘えて腰を下ろす。全く遠慮のいらない雰囲気だけが、せめてもの救いである。
「もうすぐ日が暮れるでしょう。今晩はここに泊まっていって下さい」
ささやくような小さな声が聞こえる。ここってここでいいんだよな?
状況が状況とはいえ男を自分の部屋? に泊めるのはやぶさかではないのだろう。松明の僅かな明かりに照らされたニースは首筋から耳まで真っ赤に染め上げ両膝に顔を埋めてしまっていた。
いくらお泊りとはいえ女子にしてはちょっとゴツゴツして無骨さが漂うこの部屋? ではさすがにチュッチュチュッチュする雰囲気とはいかないだろう。当然ニースもそのつもりは毛頭ないようだ。先程から微動だにしない。
なにげにこの場所をとりあえず便宜上部屋と認識してしまっているが、冷静に考えるとそもそも部屋ですらない。
「ああ、そうさせてもらうよ」
早々に寝てしまおう。そう決めたオレはまるで金属のように硬くひんやりとした岩場に横になりニースに背を向けた。そして明かりを消す。
その夜オレが寝付くまでの間、背中越しのニースに動く気配は感じられなかった。亀のようにずっと顔を埋めていたのだろう。ただのオッサン相手にそこまで恥ずかしがることもなかろうに。
翌朝ニースの声で目を覚ます。
「もうすぐ日が昇ります。起きて下さい、コートさん」
目を覚ましたオレの視界に映ったのはシルクのような光沢を帯びた真っ白なワンピース姿のニースだった。生地自体が発光しているのか川辺のホタルのように淡い光に包まれている。オレはその神々しさに目を奪われ視線を外せずにいた。
「あはは。そんなにジロジロ見ないで下さい。ここに居る時はだいたいこの服装なんですよ」
恥ずかしげに俯く仕草に男心がくすぐられる。オレが眠っている間にそそくさと着替えたのだろう……チッ。
それからニースと共に結界の境界まで歩いた。徐々にニースの笑顔には陰りのような微妙な感情が見え始める。
「すいません。見送りはここまでです。本当にありがとうございました。帰りは気をつけて下さい。あと申し訳ないのですが、私がここにいること誰にも言わないでもらえると助かります。体には充分気をつけてくださいね。無茶な仕事引き受けたらダメですよ。お酒は程々にして食事もちゃんととって下さい。そしておじさんにお世話になりましたと伝えてください。それと……」
そこでオレは、まるで過ぎゆく台風のようにまくし立てるニースに、無理矢理言葉を捻じ込ませた。
「最近ヘルマエの野郎のおかげで薬草が足りないらしい。まったく貴族ってもんはろくなもんじゃない。でな、昨日見かけたんだがどうやら湖の周りにその薬草が群生しているようなんだ。そのうち採取の依頼があると思うんだがその時はまたここに来てもいいか?」
ニースの笑顔に差していた陰りがふわあっと消える。
「は、はい! ありがとうございます! いつでも来てくださいね! 何のおもてなしもできませんけど。でも十分気をつけて下さい。無理だと思ったらすぐ引き返してくださいね」
「恩に着るよ。なにか欲しい物はあるか」
う〜ん、と少しの間考えたあとニコッと満面の笑みをオレに向ける。
「元気な笑顔を見せて下さい! あっそうだ、これをお渡しします」
何をくれるのだろう? ニースは首にかかったペンダントを外しオレに手渡した。オレは訝しい表情でその青白く輝くペンダントを眺める。
何だろう? 滅びの言葉を言ったらいけないアレだろうか?
「魔除けみたいなものです。次に来る時まで預かっていて下さい。きっと御利益ありますよ」
「ああ、ありがとう。じゃあそろそろ行くことにするよ。またなニース」
ペンダントを大事に布に包み腰のポケットにしまう。そしてサヨナラの挨拶とばかりに軽く右手を挙げオレは結界を後にした。やはり何もない真っ暗な洞窟の奥で一人っきりの生活に戻るのは寂しいのだろう。ニースは見えなくなるまでずっと手を振っていた。ニースの許へ戻りたい衝動をぐっと堪え歩を進める。
一緒に町へ戻ろう。森に入ってニースと別れるまでの間オレは何度もこの言葉を言いかけた。しかし断られることは目に見えていた。これ以上困る顔を見るのも嫌だったのでオレはその言葉を何度も何度も飲み込んだ。
帰りは一人、魔森を抜ける。
この数日間の出来事でオレの頭の中は少し混乱していた。魔族の出現に始まり、ニースのこと、洞窟のこと、カイムのこと、昔々の神話の時代のこと。そしてヘルマエのことも考えなければならない。
様々なことが雑多に頭の中を駆け巡る。こういう時こそここブラマンテの森は丁度いい。何も考えず、何も気にせず剣を振るえる。
オレは八つ当たり気味に魔獣と戦い、そしてその日の夕方、夕日が山に隠れてしまう直前全身傷だらけになりながらアレンカールに帰ってきた。
ああ、それにしても痒い……。




