episode 7 洞窟
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートはニースを森に連れて行ってほしいとカムランに依頼される。迷ったものの数日後、ニースに自分は人間ではないと打ち明けられたコートは、ニースを森に連れて行くことを決意する。
数日ぶりの森は相変わらず薄暗くそこにある空気の密度は依然高く感じられた。しかしいつもの粘っこくまとわりつくような不快感はない。先日の魔族の出現で失われた瘴気は未だ元には戻っていないように思えた。
魔獣も小型のものが時折姿を見せるだけで、行程も今のところはほぼ何事もなく進んでいる。
これはニースは周辺の瘴気の濃淡が見えるらしく、瘴気の薄い場所を選んで歩いてきているということもあるのだろう。この調子なら日没前には目的地に着くと思われた。
「ここに魔族がいたんだ。ぱあっと消えちまったけどな」
黒く焼け焦げた跡。無造作に折られ倒された木々。草花が抉られむき出しになった地面。森が少し開けた例の場所には魔族や魔獣の群れとの戦いが残した爪痕が未だ生々しく残っていた。
「コートさんが魔族を追い返したと……。随分と無茶なことをしましたね。話を聞いた時は驚いてしまいました」
「ヤーンあたりから聞いたのか?」
「いえ、カイムさんから」
そういやカイムがニースの話をしていたような。いつの間に会っていたのだろう。胸にちくりと刺さる感情に気分を害する。
「そうか……。オレがやったってわけじゃない。よく解らんがさっきも言ったとおり煙みたいになって消たんだ。あとかたもなくな」
「瘴気が切れたのかと。瘴気がなければいくら魔族でも実体をこちら側に繋ぎ止めておくことはできませんので。おそらくかなり無理を押してこちら側に来たんでしょうね。その時魔族の取れる行動は二つしかなかったと思います。瘴気の濃い場所に行くかここにいる人達を殺して瘴気を発生させるか」
で、後者を選んだってわけか。前者を選んだのであったならと考え少し身震いする。ニースは魔族が消えた辺りを見下ろしながら一呼吸置いた。
「ペギーさん言っていました。コートさんがみんなを守ったと。魔族と一対一で戦って生き残った人なんて聞いたことがありません。勇者や英雄王ですら魔族相手に一人で立ち向かうなんてことはできなかったはずですから」
見てきたように言う……ってか見てきているかもしれないんだよね、この人の場合。
「オレはただボコボコにされただけだったよ。そんなご大層な奴らと並べて話しないでくれ。むず痒くてかなわん」
オレはおどけて体を搔くふりをする、頭以外。そんなオレにニースは真摯な視線をはずさない。
「それでもコートさんがみんなを守ったんです。他の誰でもありません。さあ行きましょう。早くしないと日が暮れちゃいますよ」
最後は視線を暖められたミルクのように優しく柔らげ先を促した。
「そういやカイムになんか誘われたんだろ?」
「はい。でもあの人、悪い人ではないと思うのですが信用はできません。コートさんも気をつけて下さい。あははは」
「そ、そうか……」
その時なぜニースが笑ったのか解らなかった。いや、それほど深い意味はなかったのだろう。
その後もニースの案内の下危なげなく道程の半分以上を終え警戒しながらも一息つくことにした。と言うか魔獣の発生すらニースがあらかた察知してくれる。オレはそこら辺をニースに丸投げし、それほど厳重に警戒しているわけではなかった。
オレは腰にぶら下げていた水筒を切り株に腰を下ろしているニースに手渡した。切り株好きだな、おいっ。
ニースはにっこりしながら会釈し水筒に口をつけ喉をコクコク鳴らしながら水を飲んだ。こ、これで六回目だ。もうかれこれ六回も間接チッスを交わしてしまっている。しかもあの喉の鳴らしようはディープなチッスではなかろうか。これはもう責任を取らなければならないレベルまできている。
神世にいると思われるニースパパにどこのワカゾーだニースをキズモンにしやがったのは! なんて怒鳴られ土下座するオレ。そりゃあヤツらに比べればオレはまだまだワカゾーかもしれん。でもカクゴはできているよニース。年下で頼りないかもしれないけどオレ頑張るから……。と鼻息荒くニースを凝視していたが当の本人は「ん?」みたいな感じのすまし顔をオレに向け水筒を両手に持ちながら何のことやらとばかりに小首を傾げていた。
静かな湖の畔。もうすぐ目的の洞窟に着く頃、この森に入って初めてヒヤッとする場面に遭遇する。五体の魔獣に囲まれたのだ。
ニースから離れず迎え撃つべきかそれとも打って出るべきか。オレは迷った挙句、一番近くの一体に狙いをつけ右手に持った長剣で斬りつけることを選択した。これで魔獣がオレに向かってくれればよし、そうでなくても先手を取れる。ずっしりと重い手応えに一体目は放置して構わないと判断したオレは次にニースに向かっていた二体目に背後から斬りかかった。どこが背中かはよく解らんが……。左の短剣で突き右の長剣で薙ぐ。そしてニースを視界に入れるとすでに三体目がニースに襲いかかろうとしていた。右手に持った長剣を全力で投擲する。魔獣はたまらずその勢いを殺し草むらに墜落した。ホッとしたのもつかの間、別な方向から長い触手のようなものがニースの頭めがけて振り下ろされる。
ここで気づいた。魔獣の狙いはニースただ一人だけだったのだ。ニースから離れたことを悔やむ。急いでニースに駆け寄ろうとするも間合いが遠い。間に合わない。
万事休すと思ったその瞬間ニースがまるでダンスでも踊っているかのように軽やかにヒョイッと躱した。アレッ? という表情でオレはあっけにとられ動きを止める。あの〜、森の入り口での「私を守って下さい」ってのはどういうことだったんでしょうか〜……。
その後もニースが軽い足取りで躱しその隙にオレが斬る。ものの数分で五体いた魔獣の全てがその姿を霧へと変えることになった。そしてようやく目的地である洞窟に到達することができた。実はオレいらない人じゃなかろうか……。
「地面から一体出てきます。気をつけて下さいね」
ニースの指し示す方向にタイミングよく長剣を突き刺し、また魔獣を一体霧散させる。洞窟内でもニースの指示は実に的確だ。その精密さは偏屈な職人の域にまで達している。ダテに三百年魔森に篭もっていたわけではないというとこか。おかげでそれほど苦もなく洞窟内を進んでいる。オレは左に持っていた短剣を松明に持ち替えニースの数歩先を歩いていた。
「この先もうちょっとで瘴気がなくなります。あともう少しですよ。がんばりましょう」
左カーブに差し掛かったとき鈴をふるわすような澄んだニースの声があたりに響いた。以前一度魔獣の群れに襲われて命からがらこの洞窟に逃げ込んだことはあったのだが、ここまで深く入り込んで来たことはない。あの時恐れずに奥深くまで侵入していたならニースと出会い一人っきりの寂しさに打ちひしがれていた彼女とラブラブチュッチュだったのかもしれない。
そんな邪な妄想を抱きながらニースに振り返ると余程締りのない表情を浮かべていたのだろう「何なのこの人?」と言わんばかりの訝しい顔つきでオレを見上げていた。
しかしそれもつかの間、ハッ! と目を見開き後を振り返る。オレ達の後方つまり洞窟の入り口から身に覚えのある嫌な気配が忍び寄ってきていた。そして洞窟を満たす耳障りな高めの振動音がそのボリュームを徐々に上げ重々しく響かせる。単なるペザンテじゃない。間違いない。ヤツだ! 先日の魔族の出現でワンランク下がったもののそれまでオレの『魔森で出会いたくないランキング』栄えある第一位に燦然と輝いていた、ヤ、ヤツだ!
「逃げろニース!」
この魔獣は戦うとか倒すとかそういう類の相手ではない、逃げるしかないのだ。
オレはニースの手を取り奥へと走りだした。するとすぐに右腕にかかるニースの重みが消える。横を見るとあろうことかニースが並走しあっという間に追い越していってしまった。意外にハイスペックなんだなコイツ……。今やオレの右手を引く形となったニースに必死で追随する。やっぱりオレ必要ないんじゃ……。
走りながら後を振り返ると洞窟を塞ぐようにモヤのようなものがかかっていた。もうそこまで迫ってきているのか。速すぎる。
息が切れ横っ腹がキリキリ痛んでくるが足を止めるわけにはいかない。全力で走っているものの明らかにペースが落ちてきているのがわかる。ニースの左手に繋がれた右腕がだんだん強く引かれてきている。
その時ひたっと頬に何かが触れた。まずい追いつかれてしまった。それは小麦のひと粒のように小さくナメクジのようにしっとりと湿り気を帯びた小さな小さな魔獣の姿だった。一匹一匹形は違えどその性質はほぼ同じ。モヤのように見えたのはそれが数えるのがバカバカしくなるほど大量にいるためだ。小さいがため人を殺せる能力はない。しかし恐ろしいことにその体に触れると……カブれるのである。
「かっ、痒い」
一匹また一匹と肌にまとわりついてくる小さな悪魔。オレはニースに叫んだ。
「先に行け、ニース!」
ニースは困惑した表情をオレへと向ける。そしてスルッとオレの右手に握られていたニースの左手が抜けた。
「もう少しですからねー! 頑張ってくださいねー! コートさーん!」
頭から大量のとろろ芋を豪快に被ったような姿になりながらオレは薄暗い洞窟の中、見えなくなりそうなほど遠く離れてしまったニースの後ろ姿を追い、もつれる両脚を必死で前へ前へと動すことしかできなかった。
オマエらニースをねらっていたんじゃないのかよ……。あとカムラン……あの娘放っといても大丈夫だわ……。




