episode 4 逢瀬
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートは魔森で魔族の男を撃退する。しかしコートはその戦いで意識を失ってしまう。3日ぶりに意識を回復したコートの元に自らを魔神と称するカイムが突然訪れた。カイムはコートに旅に出ようと誘う。
大きなグラデーションが空を覆う。三日ぶりに見たアレンカールの夕暮れはとことん澄みきって爽やかだった。
が、その間の意識はない。にも拘らずなぜだか久しぶりに思えてしまう。
枯れ葉の匂い、わらの匂い、乾いた土の匂い、竈の匂いとそれに混ざる雑多な生活臭。ちゃんぽんされた匂いに包まれ、あらためて生きていたことを実感する。そしてふと、その前に見たどんよりとしてやたら血生臭かった夕暮れを思い出し、その時魔族の男が発した言葉を頭の中で反芻する。
── 近くにいるか……
── もう少しだというのに……
何を意味していたのだろうか。何が近くにいて何がもう少しなのか。カイムと名乗ったあの得体のしれない男ならなにか知っているのだろうか。次々と疑問が浮かぶが、残念ながら答えが出るものでもない。何せ魔族のことなんてオレは何も知らないのだから。
日が落ちて少したった頃カムランが来た。その時オレはアスケンと二人差し入れに舌鼓をうっている所だった。アスケンの夫婦仲は今のところ良好なようだ。末永くお幸せにねと、切に願う。
「やあコート、元気になったそうじゃないか。良かった良かった。もう歩いたりできるのかい?」
「ああ、問題ない。心配かけたな。それとまた迷惑をかけた、すまない」
オレは頭を下げる。カムランはにこやかに右手を上げオレの謝罪を制止し椅子に腰を下ろした。アスケンが挨拶がてら声をかける。
「カムランさん、こんばんは。お見舞いですか?」
「手ぶらで来てお見舞いも何もないよ。ちょっと話がしたくてね。コート少し散歩しないか? 食べ終わってからで結構だが」
オレは急いで掻き込み食事を終わらせる。そして、アスケンと別れカムランと夜の街を当てもなく歩くことにした。
アレンカールの夜は静かだ。すれ違う人はすでに誰もいない。
不意に、喧騒に包まれていた王都の夜を何気に思い出す。ただ自分の記憶だというのになぜだか人事のような、まるでお伽話でも読んでいたような感覚に、それだけこの町に馴染んでしまったのか、はたまた年齢のせいなのかと考える。
ああ、イヤだイヤだ……。
「体の具合はどうだい。これから森に入ってくれと言ったら大丈夫かい?」
「おいおい物騒だな。勘弁してくれ。あそこは元気があり余っていても無理だ」
カムランの冗談は珍しい。予想だにしなかったことに慌ててオレも下手な冗談で返した。
「ははははは。それは結構。魔森の奥、山の麓の湖の近くに洞窟があるのを覚えているだろう。ニースがそこへ行きたいと言っているんだ。大人数で行けば行けないことはないと思うんだけどヘルマエ様に感付かれたくない。コート、ニースをあそこまで連れて行ってやってはくれないだろうか」
「ただの女の子のワガママってことだったら、まあ付き合ってやってもいいんだけどな。アンタがこうして折り入って頼むんだ。なんか理由があるんだろ?」
じょ、冗談じゃなかったのかよ……。全然珍しいことではなかったようだ。
「ニースがここにいるとアレンカールが危険かもしれないんだ」
なんのこっちゃ。ニースはどう見ても危険度ナシである。と、一瞬そう思ったのだが思い当たることがひとつあった。
「あの貴族のことか。こんなことをするよりニースがあの三男坊について行けば丸く収まるし、別に逃げ場所に森なんて危なっかしいところ選ばなくてもいいだろう。カムランさん、アンタらしくないと思うんだがどうしたんだ?」
「ヘルマエ様のことなら関係ない。僕だってニースを手元に置いて守りたいのは山々だよ。だけど僕の手に負えることじゃないんだ」
「どういう理由か聞いてもいいか?」
「ニースがここにいると魔族がおそってくるかもしれないんだ」
── 近くにいるか……
── もう少しだというのに……
頭にこびり付いて離れないあの言葉がよぎった。湧き上がる嫌な予感に少し苛ついたオレは、カムランに食って掛かってしまった。
「悪いカムラン、そんな曖昧な説明はやめてくれ。ニースと魔族の間に何の関係があるんだ」
「僕からはそれ以上言えないんだ。申し訳ない。それに信じてはくれないだろうよ」
カムランの謝罪で少し冷静さを取り戻したオレは、低い声で唸り頭をかきむしる。するとそれほど力を入れてないというのに指に絡みつく数本の毛髪。毛根の弱体化にため息をつきつつ、もったいないのでそっと頭皮に戻した。無意味なこととは分かっています……。
そして改めて考える。カムランのことだ。冗談の類ではないのだろう。だがニースと魔族、どうにもこうにも結びつかない。
魔族も結婚適齢期でニースを嫁にしたいクチなのか? あの美貌だ、わからないわけでもない。カムランの言う信じてくれないという言葉も気になる。
それはそれとして、また何か悪いことが起きようとしているのではないか。ひょっとして巻き込まれ体質なのオレ?
しょうもないことしか思いつかないので意を決して口を開いた。
「いや、こっちこそすまない。で、いつ出発するつもりなんだ」
「いつでもいいと思う。ただニースは急いだほうがいいと言っているが」
少し間を置き考えた。洞窟へは歩いて半日ほどで着くだろう。途中魔獣の邪魔が入ったとしても、朝、森に入れば日の入りまでギリギリ間に合うかどうかというところか。まあ、たどり着ければ、が前提なのだが。そして、その夜は? 知るかっ!
とりあえず、ニースにも事の真相を尋ねたい。
深夜ニースと直接話す。その後町を出て日の出と共に森に入る。下策だが、まあこんなもんだろう。
「なら明後日、深夜町の入り口付近にある小屋で待っている。別に引き受けたわけじゃあない。ニースに話を聞いてから決めることにするよ」
「いつもいつもこんなことばかり。ほんとうにすまないと思っている。恩に着る」
カムランは深々と頭を下げる。さすがにこれは下げ過ぎだ。
「ちょ、ちょっとやめてくれよ。アンタの頼みはそう無碍にできないからな。それにニースに会う口実もできたんだ。こっちこそ感謝したい気分だよ」
「あとお前さんの剣はもう使い物にはならないだろう。新しい武器は剣でいいか? そういい物とはいかないけれど二本小屋に用意しておくよ」
「餞別ありがとうよ。なら四本頼む。あそこまでの往復なら普通の剣じゃ途中でナマクラになってしまいそうだ」
カムランと別れてから、数日が過ぎた。
その間オレは装備を整えたり携帯食を準備したりとなんだかんだ言いつつも旅の支度を整えていた。一方ニースはあの厄災とも言えるボンクラ貴族につきっきりにされていたようだった。
約束の日の深夜、ひとり町の入り口へと向かう。周囲を警戒しながら慎重に。
指定した小屋の影にちょこんと座る人影が見える。向こうもこちらに気づいたのだろう。暗くて顔は見えないが、細く小さな体で立ち上がり、手を振っているのは確認できた。
「こんばんはコートさん。もうお体の方、大丈夫です?」
「いやいや、ほんとに来たのか」
「それはこっちのセリフですよ」
ニースはキョトンとしている。オレとしては冗談か何かといった考えを、捨てきれなかったので出た言葉なのだが。誰かに騙されてやしないか、辺りをキョロキョロする。
「すいませんコートさん。一人で行くと言ったらおじさんに止められてしまいまして。で、こういう流れに……」
「ははは。同感だ。女の子が一人で行くようなところじゃない。カムランがどう話したかはわからんがオレはアンタを止めに来たんだ」
ニースの視線がすうっと下がる。
「そういうことですか。なら丁度よかったです。実はこのことにコートさんを巻き込みたくないとも思っていましたから」
「どうしても行かなきゃならないもんなのか?」
問い詰めるオレに、表情はそのままに、だが少しさみしげな声で答えた。
「はい。どうしても行かなければなりません」
「魔族と何か関係があるんだろ? 理由を聞いてもいいか?」
オレはカマをかけてみた。聞いてもすんなりとは答えてくれないだろうと考えたからだ。ただこのカマは確信に近い。
「少し歩きながら話しませんか?」
「ならちょっと待ってくれ」
オレは小屋へと向かった。扉を開け埃っぽい部屋を見渡す。すると入り口のすぐ脇に置かれていた、二本の短剣と二本の長剣を見つけた。暗くてよくわからないが握った感触はそう悪い物ではない。使ってみないことにはどうとも言えないが、それなりのものだということは何となく分かった。カムランの野郎、奮発しやがって。
そして二人、互いに少し間隔をあけて森へと続く街道を歩き始めた。いい歳してまるで思春期カップルのようである。
しばらくは無言が続く。
オレは目線だけでニースの全身を視界に収めた。引っ込む所は引っ込み、出るはずの所も引っ込んでしまっている貧相な体は、心なしかいつもより細く頼りなく見えた。しかし何の気無しに自分のつま先を見ている表情に、それほど悲壮感は感じられない。
「あ〜、なんだ、これから魔森へ行くんじゃないみたいだな」
違和感から思わず口をつく。
「えへへへ。これでも精一杯強がってますから」
俯きがてらこっちを見上げにっこりと赤ん坊のような無垢な微笑みを返してきた。暗くて視界が悪いというのに何たる破壊力を持った微笑みの爆弾である。
やや腰砕けになりそうになりながらもオレは視線を外し一息ついて話を続けた。
「もうそろそろ話しちゃくれないか?」
「あはははは。そうですよね。ちょっと考えてたんですけど、どう話していいものか……。う〜ん」
胸の前で腕を組み頭をひねっている。あからさまな『今考えてますよ〜』ポーズだ。あざとい。
ちなみにジャマするものがないからだろう、非常に腕が組みやすそうだと余計なことが頭にちらつく。そのことをあわや口から出てしまいそうになった。だがニースに先手を取られてしまう。アブないアブない、変態オヤジになっちまうところだった。
「最後になるかもしれませんので、まず最初に言っておきますね。コートさんとこうしてお話ができてよかったです」
強い目線でこっちを見ている。でも歩きながらじゃ危ないよ。前気をつけてね。
「あのなぁ、オッサンをからかうのは遠慮してくれ」
オレは少し恥ずかさを感じ嘯いてしまう。
「あはは。そうきますか。でも本当の気持ちですよ」
ニースはそう言うと一転、今まで朗らかだった笑顔をキッと引き締めた。その表情はオレにも伝染していた。




