episode 10 帰還
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営む中年男性コートは美人で名高いニースをあわよくば口説こうと町の庁舎を訪れていた時、町に滞在している貴族が森へ侵入したと報告を受けた。助けに向かったコートと自警団の面々は魔獣の群れをかわし辛くも魔族の男を撃退した。そこに居合わせた貴族の男ヘルマエは気絶したコートをここへ置き去りにすることを指示。森で出会った謎の男ジムが不思議な力を使いコートを救った。
月明かりに照らされた夜道を一人歩く、子供のように華奢で小柄な人影があった。ニースである。
彼女は町の入り口にたどり着くと、一旦後ろを振り返った。そして、世話になった人達に黙って町を出るのは申し訳ないとばかりに深々と腰を折る。
今ならあそこにたどり着けるかもしれない。森の方角へと振り返ったその時には、決意に固まった晴れやかな表情に変わっていた。
町を出てから魔森に続く街道をしばらく歩く。夜だというのに森からは魔獣の気配が全くない。急げば間に合うはず。そう思い歩みを速める。
しばらくは道沿いに歩く。すると、前から複数の足音と馬蹄の音が聞こえてきた。少なくない人数が無言で町に向かっている。彼女には予想がついた。今朝方行方不明になったヘルマエ一行と自警団の面々だろう。ニースは見つからないように、急ぎ街道脇の茂みに身を隠す。
生きていた……。茂みの奥でニースは、安心からか両手で口元をおさえ、涙が零れ落ちそうになるのをグッとこらえていた。
そして一行とすれ違いざま、安否を確認するため隙間からこっそり様子をうかがう。
まず、ひとり先頭を歩く男の姿に思わず息を呑んだ。その直後、暗闇だというのに目が合ってしまう。その男は自分に向かって、口を大きく横に開きと鷹揚に笑った。間違いなく気づかれた。急がなければ。いや急いでどうする。焦燥し混乱している自分がいた。
しかし男は気づいていながらも、そのまま町へ向かう歩みをとめる様子はなかった。どういうことだろう? 見つかっていないのだろうか。いやそんなはずはない。ニースは男から視線を外すことができずにいた。と、その背中に背負われている人物が目に入ってきた。
いつも悲しげに笑いいつも何かしら大きなものを背負っている、それが何かはニースにはわからない。なのにいつも平然と、飄々と生きているとても強い人。そして心の奥底にひっそりと美しい光を携える人。
その人が魔森で起こったことの凄惨さを物語るかのように、ボロ雑巾のようになり果ててしまっている。その姿を目の当たりにして、男に気づかれたこと、これから起こるであろうこと、街の人々のこと、そして固まったはずの決意。それらの思いが次々といとも簡単に瓦解し消えていってしまう。残念なことに、ニースにはそんな感情に抗う術を持ちあわせてはいなかった。
一行が町に着いたのを見計らい、ニースはこっそり帰途へとついたのだった。
一行は町に着くと、すぐさま病院へと駆けつけた。その結果、疵に関しては全員が、運良く大事には至っていない、とのことだった。
しかし、問題もあった。コートの意識が回復するのがいつになるかわからないこと。ヘルマエの精神的衰弱が激しいことだ。コートは金銭的なこともあり自宅療養。ヘルマエは回復するまでのしばらくの間、入院を余儀なくされることとなり。一行は、と言っても二人だけとなってしまったが、已む無く町に留まることとなった。
翌朝、ヘルマエは意識を取り戻すと、持ち前のわがままさを十二分に発揮しだした。
ニースを看病と称して、四六時中自分のそばにつき従うことを要求した。カムランは困りながらも断りきれずニースに頭を下げた。
ニースは受諾するも気が気ではない。
そんな彼女の様子を、アミルカンはおぼろげながら察してしまった。そして自分の権限において、少し気を利かせることにする。これは厳しくも情深い、彼らしい行動とも言えた。
「今、ヘルマエ様はお休みになられている。ヘルマエ様にとって睡眠は一番の重要事項だ。少しでも静かな環境にしておきたい。ニース、しばらくの間外で待機をしていてはくれないだろうか。明日の朝までには戻ってきてくれればいい。何かあったなら自分が対処する。よろしく頼む」
ニースはアミルカンに一礼し、そのままコートのいる厩舎の二階へ向かった。
コートの部屋に行くのは初めてである。道すがら少し戸惑っている自分を自覚する。歩調が心なしか遅い。
それでも、時間はかかれど歩みを進めれば、当然、扉の前へと着く。
そこでニースは、ふぅっと大きく二回深呼吸をして心臓の鼓動を整え、そしてコンコンと控えめに扉を叩いた。
「はーい」
気の抜けた女性の声に、返事を予想していなかったニースは少しビクッと体を震わせる。しかし聞き覚えのある声に少し安心を覚えつつ、おそるおそるドアを開けた。
ギー。立て付けの悪いのだろう。きしむ音がする。眠っているであろうこの部屋の主を気遣い、音を立てないようゆっくりと閉めた。
「こんばんはペギーさん」
そこにはいつも姉のように慕っている自警団員のペギーが、ベッドの横に置かれていた椅子のひとつに脚を組んで座っていた。その気だるそうな仕草が実に様になっている。かっこいいなあ。ニースはついその姿に引き込まれた。
「あれ? ニース? どしたの、こんな夜更けに」
「ちょっと抜け出せたのでお見舞いに。どうですか様子は」
「まあねえ、こんな感じ。あれからまだ意識が戻らないし」
二人は各々、薄明かりに照らされたコートの顔を見下ろす。
「そうですか。ペギーさんはなぜここに」
「自警団で交代交代で来てるの。今日はアタシの番。座ったら?」
「ハイ。では失礼しますね」
ペギーの隣に並べられた椅子に姿勢よく座り、心配そうにコートの寝顔から視線を外さずにいた。そんな何気ないニースの姿にペギーも思わず見とれてしまう。
ーー まあオレはニースを口説くがな ーー
シンメーの言葉を思い出し横目でニースを眺める。何も飾らない。何も主張しない。とても自然体。だがそれなのに、引き込まれるほど美しい。どう転んでもこの娘にだけは敵いようがない。ペギーの心にチクリと嫉妬にも似た切なさが過る。
少しの沈黙の後、ペギーはきまりの悪い表情を浮かべニースに話しかけた。
「あのさあ、ちょっといい……かな」
「はい?」
「柄にもないってのはわかっているんだけどね、ちょっとだけ語らしてもらうね」
「はあ、どうぞ」
ペギーはおずおずと話し始めた。
「このオッサンさあ言ってたんだよね。ニースの所に帰るんだって。冗談半分だろうけどね。だけどアタシは半分は冗談じゃないと思ってるんだよね。きっと必死でアンタの所に戻ろうとしたんだ。そしてこのザマ。オッサンなのにバカみたいだし」
ニースは黙って俯きペギーの言葉に耳を傾ける。
「あの時アタシはっきり覚えてないんだよね。緘口令がしかれて森での出来事は誰にも話しちゃいけないし、誰にも聞いちゃいけない。だから何が起こったかアタシにはよくわからない。だけどオッサンのお陰で助かったってのはなんとなくわかる。アタシたちが倒れちゃって意識なくなって、それで気づいた時には何もかも全部終わってた。でオッサン、情けないくらいボロボロになって血だらけになって倒れてた。だからねアタシ達が助かったのは、間接的にはいつもこのオッサンに優しくしてたアンタのお陰。たぶんオッサン、アンタにもう一回会うために足掻いてくれたんだ。だからアタシ達もこうして無事帰ることができたの。ニース、ホントありがとね」
ニースは心がざわめきを自覚した。しかしまさか。そんな思いも過る。
うまく混ざってくれない幾つもの感情が、マーブル模様を描いているかのようだった。
「アタシはさ、こんなオッサン好みじゃないしさ、それにおっさんもアタシなんかにそんなに興味もないだろうし。だからさ、アンタがアタシの分まで優しくしてやって欲しいかなって思うんだ。アタシなんかが優しくするよりもそのほうがオッサン喜ぶし。そもそも優しくなんてできないし。でも迷惑だよね、こんなお願い」
ニースはじっとペギーを見ていた。薄暗くてよくわからないが頬は紅潮しているように感じる。ニースはその瞳をすうっと下に逸し、浮かべていた軽い笑みを崩さずに口を開く。
「迷惑なんてそんな……。じゃあ私からも、ちょっと話しますね」
「あっ、うん」
そしてペギーに柔らかに微笑みかけた。
「コートさん。ペギーさんのことよく話しているんですよ。話しかけたら笑ってたーとか、剣筋が良くなったーとか、いい体付きになったよなーとか」
「うわっ、キモッ! なにそれ。単なる卑猥なオヤジだし」
ペギーはあわてて胸元を手で隠し防御をする仕草をとった。これにはさすがのニースも苦笑いするしかなかった。
「あははは。確かにそうなんですけどね。でもきっとコートさん、ペギーさんのこと好きなんですよ。好きな人を、ケガをしてでも痛い思いをしてでも守りたかったんだと思います。いつもケガとか痛いのとか、やだやだ言ってるくせに……。だから私のお陰なんかじゃないです。この人のお陰です」
「はっ? アタシのことを? 冗談でしょ」
怪訝な表情を隠そうともしないペギーに対し、コートの寝顔を優しい表情で見下ろしながらニースは本題を告げる。
「本当だと思います。だからペギーさん、直接お礼した方がいいですよきっと。私としては……、まあちょっと妬けちゃいますけどね。あはは……」
「妬けちゃう? はあ? アンタこのオッサンのことどう思っているわけ」
先ほどとは別な理由でまたも怪訝な表情に戻るペギーに、耳まで真っ赤に染めあげながらもクスッと小さく笑い言葉を続ける。
「大好きですよ。こんなに美しい人は今まで見たことがありませんから」
とても暖かく力強い響きに覆われ、ペギーは母親の腕に包まれているようなそんな気分になる。しかし、つっこまずにはいられない。
「はっ? 美しい? キモッ。ホントに?」
「ええ……ま、まあ……、恥ずかしながら……。あはは……」
そう言うと、言葉通り恥ずかしそうに俯いてしまった。それを見たペギーは呆れ顔だ。
「はあ〜あ、『高嶺の花』呼ばわりのニースがねえ。解らないもんだし。でもいいんじゃない、なんかねアンタらしいかも。このこと誰か知ってるの?」
「多分、誰も知らないかと。聞かれたこともないですし」
「まあ普通は聞かないわ。予想の範疇完全にこえてるし。でもまあアンタの言ってる美しいってとこ、わからなくもないかな。ボロボロのオッサン見た時ちょっといいかもって」
「あはははは。気のせいかもしれませんけどね」
「じゃあさあ、付き合ってやんなよ。オッサン喜ぶよ〜」
ペギーはいたずらっ子のような表情を向けた。
「それは絶対ありませんよ」
ペギーはほんの一瞬だけニースの笑顔が大泣きしている子供のように思えた。なので理由を問いただしたくなってしまう。
「どうしてさ」
「どうしてもです」
ニースに気の張った笑顔を向けられ、さっきの表情は気のせいだったのかもしれないと、そう思い話をはぐらかす。
「まあそりゃそうだわ。お金もない、家もない、家族もいない、職もない、片目もない。なーんもない最底辺のしがないオッサンだし」
「そういうわけではないんですけど、まあそうですよね。でも、なーんも持ってないわりに、なにか大きくて大切なものを持っている気がするんですよ。気のせいかもしれませんけどね」
苦笑いのニース。対してペギーは大声で笑い出した。
「はははは! そうかもね。まあどうでもいいけど。でもねえ、そうやって男を持ち上げて手玉に取っていると後で痛い目見るよ〜」
「ウィッス! 気をつけます! あはははは。でもこう見えて私、一応コートさん一筋なんですよ。ペギーさんもシンメーさんでしたっけ? どうなんですか?」
ペギーは、魔森に行く途中で聞いたシンメーの一言を思い出し額の血管がプチッっと切れる感覚を覚えた。
「はあ〜っ! 幸せそうな顔して何言ってんの。シンメー、アンタのこと口説くんだって。どこがいいんだろうねぇこのド貧乳のっ!」
「うえ〜! 胸の話は今関係ないじゃないですか〜」
完全な八つ当たりである。しかしお陰で少し冷静さを取り戻す。
「でも、オッサンとアンタ意外とお似合いかもね」
「えへへ……。ありがとうございます。でも残念ですけど、もうすぐ皆さんともお別れになりそうです」
淋しげに少しうつむくニース。ペギーは思い当たることがあるため言葉に怒りがこもる。
「なんで! ひょっとしてあのバカ貴族?」
「ええ、それもあります。どっちにしても、もうここには居られません」
「美人は美人でいろいろ苦労するもんなんだね〜。まあ頑張りな!」
「はい! お互い頑張りましょう! 実は私もペギーさん大好きなんですよ。憧れです」
急に向けられた好意の言葉にペギーは頬を染めた。そして力強く答える。
「ああアタシもだ、ニース。それじゃあ邪魔者は帰るし。あとよろしくね〜」
「ウィッス! 了解しました!」
最後は二人とも笑顔で別れを告げた。ペギーは肩越しに手をひらひら振りながら部屋を後にする。いつも妹のように思っていた少女の幸せそうな告白に、嬉しさがこみ上げるものの、もうすぐ来るであろう別れの寂しさに表情が曇ってしまった。
ー 第1章 アレンカール編 完 ー




